過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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神に洗礼を断られた話

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JOhn Hancock building and Trinitiy Church.
Boylston Street, Boston

教会とは
天国へなんて1度も行ったことのない坊さんたちが
天国へ行けそうもない人々に向かって
いろんな自慢話をする場所なのです。
Henry Louis Mencken



「ねえ、相談があるんだけど」
と妻が改まった口調で話しかけてきたのは、妻の実家へ生まれたばかりのマヤを見せに行ったその帰りの車の中でだった。
「両親がねえ、マヤに洗礼を受けさせて欲しいと云ってるのよ」
「洗礼?  あの教会でする洗礼?」 と僕は思わず訊き返していた。

厳格なカトリックの家庭で育った妻自身、他の7人の兄弟姉妹と同じく幼児の時に洗礼を受けていたが、彼女は10代の終わり頃から宗教そのものに対して疑問を感じ始めて、家を出たあとはいっさい教会との関係を絶ったのを僕は知っていた。 それだけではなく、僕らが教会の司祭の前で結婚をしなかったことが、想像していた以上に両親を傷つけたようだった。 そのために今後僕らは両親の家には出入りができなくなるのでは、と妻の兄弟姉妹たちは本気で心配したりした。
そんなわけだったから、今回はるばるボストンからマヤの顔を見せに連れてきた時も、僕らは少し恐る恐るという気持ちがあったのは確かだった。 ところが両親は、この初孫の顔を見て抱き上げたとたんにもうだらしないほどデレデレと崩れてしまったので、妻も僕も ほっとしたのだった。

両親と妻の間で洗礼の話が出たのは、我々は教会で司祭の祝福を受ける結婚をしなかったのだから、せめて子供には洗礼を受けることで神の祝福を与えてやって欲しい、というのが両親の願いらしい。 僕は洗礼をはじめとして堅信礼や告白など、宗教的な儀式なんてまったく意味のないことだとふだんから思っていたし、それには妻も同意していた。 そこで妻の相談というのは、我々にとってはやってもやらなくてもどうでもいいようなことなんだから、もしそれで両親を喜ばせることができるのなら、両親のためだと思ってマヤに洗礼を受けさせてやったら、ということだった。 僕はそれに反対する何の理由もなかった。

休暇を終えてボストンに帰ってきたあと、ある日洗礼の話をしに近所のカトリック教会へ出かけていった妻が帰ってきて、マヤは洗礼を受けることができない、と云う。 その理由は父親である僕が洗礼を受けた信者でないから。  
それを聞いた時に僕は、まるで父親の自分が社会の落伍者だからマヤは一流会社には就職ができない、と云われたような気がして少し腹が立ったが、すぐに苦笑してしまった。 迷える子羊を救いあらゆる罪人(つみびと)を受け入れるのがカトリック教の宗旨じゃないの? と妻に云ってみたけれど、彼女はもちろん何も答えられなかった。 それでとにかく、両親が納得せざるを得ない立派な口実ができたことは悪いことではなかった。
   
それからからしばらくして、妻の両親が孫の顔見たさにボストンを訪ねてくれたことがあった。 その滞在中に日曜日がくると、両親は朝早く正装をして近所のカトリック教会へ出かけていった。 毎週日曜の教会行きは、たとえどこにいようと欠かしたことのない両親なのだ。 そして彼らは朝のミサから帰ってきたと思ったら、正午のミサにもう1度出かけると云う。 「えっ、1日に2度も?」 と驚く僕に、「うん、先週は旅行に出てしまって行けなかったから今週は2度行くんだ」 という返事だった。

思うに、教会へ行くということは神への免罪符を手に入れるようなものらしい。 キチンキチンと毎週収めないと天国へは入れてもらえなくなってしまう。 ちょうど今月の電話料の支払いを忘れてしまったら、来月は当然2ヶ月分を払うことになるのと同じなのだ。 それをしないと神との契約違反ということで罪も罰もどんどん重くなっていくのだろう。 そして、いつまでも払わないでいると電話を止められてしまうのと同じで、(教会へ行かなくなった妻のように)天国への入場権を失ってしまうことになる。
そうか、宗教の世界も我々の生きる現実世界と同じで、神と人間とのあいだの契約社会なんだ、と僕は改めて納得した。 毎週ちゃんと契約料を払っていれば、洗礼や堅信礼などの特典がちゃんと付いてくるのは、電話機の契約に無料のメールや割安の国際通話が組み込まれているのと同じことなのである。


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コメント:

*

入場権ですか・・。
ドイツの場合は入場券とでも言ったら良いのでしょうね。
州にも寄りますが所得税に対して更に8~9%の教会税というのが
しっかり天引きされます。
しかも所得税って高いんです。
2人両方とも税金を収めていないと教会での結婚式はできません。
最近は教会から脱退する人が多いんです。
そうすると税金の割合は更に高くなるのでしょうね。
2012/12/17 [のほほん] URL #60nqeuCY [編集] 

* Re: No title

のほほんさん、

うわあ、知りませんでした。
教会税ですか!
これは外国人でも宗派とか宗教の種類に関係なく、
ドイツに住んでいるというだけで払わされるのでしょうね。
まさに天国への前売り入場券です。

アメリカにはこれはありません。
気になったので調べてみたら、
オーストラリア、デンマーク、フィンランド、ドイツ、アイスランド、イタリア、スウェーデン、など
ヨーロッパではあるんですね。
フランスにないのは頷けるとしても、スペインにないのはちょっと驚きました。
2012/12/17 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 私も

払ってます。教会税。しかもバイエルンは教会への意識が高いので、払うことを誇りにしている人も多いです。
今年のクリスマスは遠出をするので、あの聖夜の教会に第三者として遊びにいけなくてちょっと残念です。笑
2012/12/18 [inei-reisan] URL #pNQOf01M [編集] 

*

非常に興味深い事象です。
そういう点に興味を向けたことはありませんでした。
他の宗教はどうなのでしょうね。
仏教はもうちょっと寛容な気もしますが。もちろん宗派にもよるでしょう。
2012/12/18 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

* Re: 私も

inei-reisan さん、

教会税、やっぱりあるのですね。

聖夜のミサは私も何度か行きました。
あの雰囲気の中で聖歌隊の歌を聞きながら
静かに自分の来し方行く末を考えるのは嫌いではありません。
2012/12/19 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

上海狂人さん、

他の宗教はもっと排他的ではないかと思います。
私は仏教や儒教は宗教というよりも
哲学ではないかと前から思っているのですが、どうでしょう?
2012/12/19 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

本当に仏教は宗教というより哲学だと思います。
ただ ドイツ語で、それは私の哲学だという言い方をよくするのですが、
その場合、日本人の思う哲学というよりは、ただ単に、
私のの考えでは、方針では、という軽い意味ですね。
サッカーの監督が、好んで言う言い方なんですよ。
哲学も色々です。

ところで私は教会税は払っていません。
夫は一族郎党 敬虔なカトリックの育ち
いい加減うんざりで18歳の誕生日を待って教会から離れました。
従って我が家では誰も教会税は払っていません。
でも聖夜にはプロテスタント教会のミサに通って、お話を聞いて
目的のはっきりした寄付をしています。
2012/12/19 [のほほん] URL #60nqeuCY [編集] 

* Re: No title

のほほんさんのご主人も私の妻と似たような環境にいて
似たような理由でカトリック教会を離れて行かれたようですね。
信徒でなければ教会税は払わなくてといいということなのですね。
それならフェアといえるでしょう。

実は我が家の垣根を超えた隣の大きな建物は
以前はユニテリアン派の教会で、
クリスチャンの中でもかなりリベラルなこの宗派が、
ミサで演奏するフォークやジャズの音楽がしょっちゅう聞こえていました。
この宗派では信者でなくても誰でも洗礼を受けることができるようです。

その教会が他へ引越しをしたあとは今度はユダヤ教のテンプルとなって
毎週土曜日には(クリスチャンのように日曜ではなく)家の前を黒い服の家族が通ります。
2012/12/19 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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