過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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ハービーのこと 1/4

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ハービーのスマイル


長年暮らしたアメリカとはいえ、友人知人がもともとそれほど多くはいない僕の交友範囲で、ハービーは数少ない黒人の友人のひとりだった。
「だった」 と過去形になるのは、彼はもうこの世にいないからである。 また、「数少ない黒人の友人」 と云ったのは、仕事や生活の環境など僕の選択の自由がきかないところで、周りが自然と白人の社会になってしまったからだった。

ハービーと知り合ったのはもう20年以上も前になる。
地元のわりと大きなコミュニティ大学の夜の学部で、ハービーが教えるテニスのクラスを僕がとった時に、我々のつきあいが始まった。 彼はその頃からもう120キロもある巨体になっていて脚も弱くなり動きは鈍くなったとはいえ、強打を打ってくる若者たちを相手に易々と正確にボールを返す彼のストロークを見ると、昔は相当ななプレーヤーであったことがわかる。
彼をインストラクターとする1年間のクラスが終わったあと、僕は彼を自分の個人コーチとして雇ったので今度は上下関係が逆になった。 しかしインストラクターの時もコーチの時も上下関係には関わりなく我々はすでに友人になってしまっていた。 いっしょに食事をしたり、絵の好きな彼とよく美術館に行ったりした。 また、彼が PC を初めて手に入れた時に、あれこれ設定をしてやってソフトの使い方を教えてやったりしてからは、彼は歳下の僕を逆に 「ビッグブラザー」 と呼んでからかった。

息子の太郎が中学に入ったころ、太郎と僕は毎週日曜の朝6時に起床すると、そのころハービーがマネージャーとして勤めていたアメリカ空軍基地内のテニスクラブまで行って、かなりハードな訓練を受けたものだ。 この特別訓練では彼は僕からコーチ料を一銭も受け取ろうとしなかった。 練習のあと、三人で近くのホテルのレストランへ行って、豪勢な朝食のビュッフェを腹いっぱい食べるのを彼はなによりも楽しみにしていたようで、その勘定を僕が払うことでコーチ料は無し、という暗黙の合意が成立したようだ。 しかしもちろん、これほど不公平なディールはなかったが、彼は僕を友人として扱ってくれていたのである。
太郎がハイスクールへ進んでテニス部に籍を置く頃には、ハービーはすでにテニスクラブの仕事をやめていて、僕等への特訓ももう終わりになっていたので、自然と彼と会う機会も少なくなった。 1年に1度のわが家の年越しパーティに彼が顔を見せる以外は、これといった付き合いもないままに数年が過ぎた。
それが、ひょんなことからまた、彼をしょっちゅう見るようになったのだ。

(続)



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