過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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醜女の美しさ

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少女のように、レモンのように
Vaison la Romaine, France



若いころは美しい容貌をもつ女に惹かれた。
今考えてみると、それは男としての性の本能というような生々しいものではなくて、むしろ野原で綺麗な花を見つけた時の、素朴な驚きと憧憬のような無邪気に近いものだったような気がする。 美しい女の容姿に魅せられてしまうのは、理性とか理解を必要としない、いわば一瞬の恋のようなものだったから、実に易しいことだった。 ところがその女の容貌の裏にあるもの、優しさとか知性とか才能とかユーモアとかの内面の美しさを発見するためには、その人を時間をかけて知らなければならないからそう簡単にはいかない。 たいていはそこまで行き着く前に美しい女の拒絶にあって、いとも簡単に諦めた。 
アメリカ製の恋愛映画でよく見る、断られても嫌われても諦めないで、信じられないような執拗さで迫っていって、結局最後には彼女の心を勝ちとるなんていうのは、あれは美男美女同士だからこそできることで、僕のような並の男にはまるでお伽話の世界のように思えた。 しかも僕は自分なりのプライドのようなものもしっかりと抱えていたから、それがまた大いに恋路の邪魔をしたんだと思う。

美しい女は、まず例外なく自分の美しさを十分に自覚している。 どこにいても何をしていても、まわりの男たちの関心が常に自分に向いていることに慣れきってしまう生活とは、どんなものなのだろうかとよく想像する。 決して悪い気分ではないはずだ。 選ばれた者だけが持つことを許される満足感とか、恍惚感のようなものがあるのだろうか。 時には煩わしいと思うこともあるだろうけど、だからといって醜く産んでくれなかった親を恨む、なんてことは考えられない。 そしてある時は、美しい自分をまったく無視できる稀有な男に会った時には、傷つけられた自尊心がチクチクと痛むのかもしれない。

ところで僕が思うのは、こうした美しい女たちの心には一種の 「恐れ」 のようなものも存在するのだろうか、ということだ。 つまり、自分が多くの男たちの注意を惹くのは、容貌という外から見えている部分だということをよく知っているから、たとえもし本当の自分の内面に惹かれて近づいてくる男がいたとしても、彼女にはそれを判別することは難しいかもしれない。
美しい女にとって、それは不幸なことだといえる。

それでは醜女はどうか?
ここでことわっておかなければならないのは、僕が醜女と呼んでいるのは 「醜い女」 という意味ではないということ。
世間一般に美女と呼ばれている以外の女性を、適当な言葉を知らない僕が、便宜上 「醜女」 と呼んでいるだけである。 「醜女」 とは 《自分の顔を美しいと思っていない女性》 の意味だと思ってほしい。

それでは醜女はどうか?
醜女のガードは美女のそれよりもさらにはるかに堅 い。 男が近づいてくるたびに彼女は残酷な質問を自分に投げかける。 自分のような美しくない女になぜ男が興味を持つのか? 相手は何が欲しいのか? 何が目当てなのか? どこかに罠があるのではないか? 
醜女は、世の中に自分の容姿をまったく気にせずにその奥の心に惹かれる男たちがいる、という事実をなかなか認めることができない。 たとえ一度認めて納得しても最初に持った疑問は常にあとあとまで、黒い滲みのようにどこかにこびりついていて、ことあるごとにそこへ帰ってゆく。
しかしそういう堅いガードを突き破って醜女のなかの美しい心を勝ち取ることのできる男は、きっと彼女を永久に幸せにしてあげられるにちがいない。 その意味では、醜女が真の幸せを掴む確率は、美女よりもずっと多いのかもしれない。

読者の皆さん、とくに女性の皆さん、独断と偏見に満ちた今日の文章。 ごめんなさい。



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コメント:

*

醜女という言葉は心臓に悪いので、例えそう思われたとしても、私の目を見ながら言わないでください。
2013/05/20 [micio] URL #O/XG6wUc [編集] 

* Re: No title

micio さん、

私の意味した醜女は英語のuglyではもちろんなくて、plain(美しくない、あっさりした)に近いもので、
この言い方はアメリカの日常でよく使われます。
でも美女とか醜女とかは客観的な描写ではなくて
本人が自分をどう思っているかで決まるのだと思います。

私は生涯を通して自分の容貌をplainだと思っていましたが
最近、ひょっとしたら実はhandsom(イケメン)だったのじゃないか、と思い直したら
とたんに人前に出るのが楽しくなりました。(笑)

2013/05/20 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

なんかドキッとしました。
レモンもシワっぽいし。

「醜女のガード」凄いフレーズ(笑)
でもさー(なんか急にお友達言葉になる)
容姿じゃなく内面に惹かれてくる男なんているのかなー。
面白い奴、とかさばけた奴、とか言われたことはあるが、
それは友人としてでしょう?
それが証拠に昔はともかく今なんか誰にも見向きもされない。
ついに醜女の領域に入ったらしい。
入ってみて判ること知りたい?
もーね楽ちんたらありゃしない。
誰にも見られない爽快さ。
自分自身でいられる軽やかさ。

人前に出るのは楽しくなくなったけど(笑)

2013/05/20 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: No title

ムーさん、

同じレモンのシワを見ても
それがこれから熟していこうとする幼さの象徴と見た私と
そこに老齢を見たムーさんとのあいだの距離というものを
つくづくと感じました。
それは男と女の違いなのか? 人間同士の違いなのか?

でも思うんだけどさ、(と、急に友達言葉になる}
今のぼくは美女醜女の区分けなんかまったくなくなっちゃてるんだよね。
看板だけを見てその店の食べ物が美味しいかどうかはわからない
と、これはもうさんざん経験して失敗してきたから。(食べ物も恋も)

お友達の言う面白いやつ、さばけた奴、という評価は
そのまま女としての資質の評価にもなっているわけだから
あとは二人のあいだに化学反応が起きるかどうか、という事じゃないかなあ。

誰にも見向きもされない、なんてありえないありえない。
男っていつもちゃんと見てるんだって。(笑)
ただ、彼らが若い時のようながむしゃらな突進を控えてるのは
成熟した女に対する尊敬と恐れを感じ取ってるだけだよ。
だからあとは女の方からちょっとした言葉や、笑顔や、仕草で
きっかけを与えてやれば・・・・

「誰にも見られない爽快さ」は「誰にも見られない寂しさ」とはコインの裏表。
ぼくがそうだったからよくわかる。
でもね
けっこう見られてたんだなあ、とずっとあとになって気がついた。
2013/05/21 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

私は醜女(Plainではなく、むしろ平均以下の方)で、September 30 さんの醜女観察眼に、痛く感心しました。そうなのよね~、本当に…と、タメイキ混じりに。
 でも、今までの経験から、容姿をまったく気にしない男がいる、とか、本人が自分をどう見るか、という域には、まだまだ達せそうにありません。
2013/05/22 [わに] URL #- 

* 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013/05/22 []  # 

* Re: No title

わにさん、

自分で勝手に思い込んでいる自意識と、他人から見る自分とのあいだには
かなりの(ある時にはびっくりするような大きな)違いがある、ということを
最近になってある人から教わりました。
自分という人間は嫌なところもいっぱいあるけれど、
基本的にはまあまあ好きかな、と思えるようになりました。

ところで、この記事を書いた時にすぐに頭に浮かんだのが
大昔に読んだシャルル・プルニエの小説「醜女の日記」でした。
「自分は醜い」という自意識の極端に強い女性が
自分の周りにいるひとりの美しい男を愛しながら
醜い自分にふさわしい30も年上の醜い男と結婚してしまう。
その男の死後、
以前の美しい男から長年の愛を打ち明けられて、彼と結ばれるのですが
彼のために美しい女になりたいと思った彼女が整形手術で美しく生まれ変わってしまう。
ところがその結果は男の愛を失うことになる。

というような物語だったと思います。
若い頃の私にはほとんど何の印象も残さなかった物語でしたが、
今ならどうだろう、ともう一度読んでみたいと思い、
そこでアマゾンを検索していて出てきたのが
田辺聖子の「日每の美女: 新・醜女の日記」でした。
これはぜひぜひ読みたい、と猛烈に興味がわいたのですが、
残念ながらアメリカでは手に入らないようです。

上の2冊の本、
まだお読みでなければ読んでみませんか?

2013/05/22 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

鍵コメさん、

あなたのように言いたいことをちゃんと表現できる方には
私もちゃんと応えたいのですが・・・
内容に差し障りのない限りコメントは公開にして頂ければ
他の読者のためにもなると思います。

隠れてないで出ていらっしゃい。(笑)
2013/05/22 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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2013/05/23 []  # 

* 茨の森の美女

かなり有名になった動画なので、もう皆さんご存知かもしれませんが、
今回のこのエントリーを読んだときに真っ先に浮かんだのが、これです。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=E8-XKIY5gRo

この映像を見ると、いつも涙がこぼれてきます。

自分のこれまでの苦しみと、たぶんほとんどの女性が感じている苦しみの、
その二つを感じて、
得も言えぬ気持ちになるのです。

「いつも自分の短所ばかりを気にして、良くしようとしてきたけど…」

人間とは、女性とは、なんと健気で一生懸命な生き物であることか。
そうして、愛する人とは、
自分が二枚目の肖像画であるのだと教えてくれる人だったら…

いいえ、そうに違いない。
愛し合うとは、そういうことなのだ。

そんなふうに思う、思いたい、のですけれど、
それは女の見果てぬ夢だと、男性は思われますか?

2013/05/23 [belrosa] URL #eJbgdmWg [編集] 

* Re: 茨の森の美女

belrosa さん、

動画を何度も止めて2枚の絵をじっくりと比較してみると
その違いには感慨深いものがあります。
自分で思い込んでいる自画像と、さっき会ったばかりの他人が見る肖像画にこれだけ違いがあるのなら
まして愛する者同士ならこの比ではないでしょうね。

それで思い出した私自身の最近の經驗は
人が撮った私の顔写真を別々な機会に違う人に見せたら
女性A 「なんかニヤけてるのがあなたらしくないからこの写真あまり好きじゃない」
女性B 「この笑顔、すごーく素敵! あなたもっといつも笑顔を見せるべきよ」

それぞれに正直な感想を言ってくれてるのですが、
この大きな違いは何なんだろう?
それは、彼女と私との関係とか彼女の私に対する感情を、それぞれ象徴しているのではと思ってしまいました。
2013/05/23 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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2013/05/24 []  # 

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