過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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死の記憶 

shadow in boston-blog4

断罪
Boston, Massachusetts  USA



あれは僕が13歳の真夏のことだった。
いつものように友達数人と自転車に乗って海に泳ぎに行った。 日本海はいつも波が荒く、凪いだ海を見た記憶があまりない。 そのうえ海水浴場ではないこのあたりは遠浅の海岸は少なく、水に入って10メートルも泳ぐともうそこは背のとどかない深い海である。 人影はなく、見渡すかぎりの海と陸を僕らだけが占領しているという少年らしい幸福感があった。
水に入るのを待ちきれずに服を剥ぎ取ると準備体操もそこそこに海に飛びこんだ。 そしてそのままどんどんと沖に向って泳ぎだしてゆく。 かなり沖に出たあたりでいきなり片方の脚の筋肉に痛みを感じ始めた。 あ、まずいと思うより前にその痛みは恐ろしく確実に僕の片脚を占領する。 陸の上なら地面をのたうち回るほどの痛みだった。 僕はなんとかして水に浮こうとするがあまりの痛みに耐えきれず体を水平に保つことができない。 大声を上げてわめく。 わめくたびに水を飲み込んで僕は水面下に沈んでいった。 まわりには自分をとり囲む高い波があるだけで、その高い波と波の間に時々見え隠れする白い海岸は絶望的にはるか遠くにあった。

どこかにいるはずの友達の姿は視界の中にはなかった。 次々と襲ってくる高い波に飲みこまれながら、脚が千切れるような痛みをかかえて、もう、もがく力も尽き果てかけていた僕はその時 (もう駄目だ) と思った。 海水を飲みすぎてほとんど息もできない状態で、僕はその時一種の 「諦め」 に到達していたような気がする。
(そうか、ひとはこんなぐあいにして死んでゆくのか) と、長いあいだわからなかったことにようやく答えが出た時の、あの満足感のようなものさえあった。
(だいじょうぶだよ、この苦しみはもうすぐ終わる。 楽になるよ) と誰かが先ほどからしきりに僕に囁き続けている。 一つの波が来て次の波が来るまでの合い間に僕の頭が水面に浮かび上がる。 僕の頭上には嘘のように平和な青い空があった。 いくつかの雲が、ほかほかとのん気に浮いているその空は、いつも見慣れているいつもの空だった。
「嘘だ。 こんな何気ない、いつもと変わらない平凡な風景の中で死ぬなんて、嘘だ」 と思いながら、僕が感じていたのはぞっとするような孤独感だった。

いきなり僕の腕を掴むものがいて、それが友人のT だった。
次の瞬間、すべてを諦めようとしていた僕に、「死にたくない」 という強烈な意志が湧き上がったようだった。 僕は必死の力を出して彼の体にしがみつく。 そして、しがみつかれて体の自由を失ったT と、死にたくないという本能にとりつかれた僕と、2個の身体はもつれるようにして海中に沈んでいった。 それは、T と僕との水中での格闘だった。 その次にようやく浮かびあっがたところで、 T が口から水を吹き出して喘ぎながら、「離せよ・・ 手を離せよ」 と叫んだ。 そしてあとで考えると自分でも信じられないことだけれど、僕は彼の体から手を離して彼を自由にしたのだった。
それで助かったのだ。 ふたりとも。

僕の命を救ったTは中学を出たあと郷里を離れ、その後はいっさいの消息を絶ってしまっている。


《死のタンゴ》 
あるいは 《ゴヤの世界》






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コメント:

* 青空

わあ、こわい!
こんなふうに、
自分の日常の中でも何度も鎌が振り下ろされようとしているのかもしれない、
それを知らずに素通りして、偶然やり過ごせているだけなのかもしれない、
いいえ、誰かの心の中ではこれは現実に起きているのかもしれない、、、

なんてことでしょう…きっとこの影の本体は、ごく普通の風景なんでしょうに。
これぞ写真のマジックですね。
撮る時から、この絵には気づいてらしたんですか?


あたしは命の瀬戸際に直接立たされた経験は、幸運なことにありませんが、
死の真上には青空があることは知っています。

あの理不尽の前では、頭を垂れるしかない。
それを知って生きていくのと、そうでないのとでは、
いろんなことが随分ちがうような気がします。

希望がどれほど純んだ光を湛えているかということも含めて。

2013/05/11 [belrosa] URL #eJbgdmWg [編集] 

* Re: 青空

belrosa さん、

写真を撮るという行為は「創作をする」というような理性的なものではなく
もとずっと刹那的な、本能の直接反応のようなものではないでしょうか。
この写真も撮るときには「何か」に触発されて
あとは何も考えずにシャッターをきったに違いありません。
ですから
この絵に気づいていたかどうかはその時の私の本能の問題で
自分にも知りようがないのです。

水の中で僕を掴んでくれたTの腕は希望そのものだったのでしょう。
希望が見えたからこそ、僕は彼を離して自由にしたのだと思っています。

命の瀬戸際に立たされたことは昔もう1度だけありました。
オートバイの転落で、あの時は青空はなくて、すごく薄暗い闇にそのまま落ちて行きました。
ゴヤの世界へ。


2013/05/11 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

こんにちは。私もずいぶん前に地元から離れた初めての海に遊びに行き、引き波にもまれてパニックになり「ああ、こんなふうに死んでしまうんだ」と観念したことがありました。
幸いというのか、そのときに私を落ち着かせてくれたのは、すごそばで同じように溺れている女性の「たすけて!」という声でした。不思議なことに私自身が溺れて水を飲み、泳ぐことどころか息もできない状態だったのに、その声が一気に自分を落ち着かせてくれて、その女性を抱えて岸に戻ることができました。岸に戻ってお礼を言われてもなにも答えることができないほど消耗していましたが、助けた人に私も救われた思いでした。
2013/05/12 [川越URL #uvrEXygI [編集] 

*

ご無沙汰しています。
私も、海では溺れ、陸では車にひかれた経験から、もうダメだという気持ちと、死にたくないという気持ちの両方とも解ります。
今も生きているのは、生きていたかったのでしょうね。
2013/05/12 [Via Valdossola] URL #P6wRKz4w [編集] 

*

香港でサーフィンしていて溺れたときに助けてくれたフランス人に、東京の恵比寿でばったり会ったときはビックリしました。
浜辺で雲丹を焼いていたときに誘って一緒に食べたりしたけど、そういえば、命の恩人なのにきちんとお礼してないなあ。
2013/05/12 [micio] URL #O/XG6wUc [編集] 

* Re: No title

川越さん、

これはまたなんと不思議な、そして感動的な話でしょう!
死にそうになっている人を救うために自分は死ぬことをやめた、
と書くとどこかユーモラスでそこから小説や映画が生まれそうな気がします。
しかしもちろん当の本人たちにとってはそれどころではなく
必死で死と格闘をしたわけですが。

川越さんに湧いてきた力はどこから来たのだろう?
人類愛? あるいは宗教で言うcompassion(憐憫)のようなもの?
そうでなければ、もう説明のつけられない人智を超えた神霊の世界へ入って行きそうです。
2013/05/12 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

Via Valdossola さん、

皆さんのコメントを読んで私と同様の經驗を持つ人は少なくないのかな、
という印象を受けます。
人の生涯で 「もうダメだ、死ぬかもしれない」 という体験を持ったことのある人の数は
何人に一人くらいなのかそんな調査結果があれば興味があります。

もっとも私などからきし意気地無しなので
若い時から、ちょっと風邪をひいたり、飲み過ぎて二日酔いの時などに
「もうダメだ、死ぬかもしれない」 とすぐ思ってしまうのですが。(笑)
2013/05/12 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

micio さん、

これもまた小説か映画にありそうな話で
そこからロマンスが芽生えるというのが定番のようですが
それはなかったようですね。

きちんとお礼、などは必要のないことでしょう。
何も言わなくてもmicioさんの気持ちは痛いほど伝わっているはずです。
私だって、友人のTにありがとうの一言さえ言ったかどうか。
たぶん言ってない。
2013/05/12 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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