過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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イタリアの旅 フィレンツェ (2)

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ボーボリ庭園 Ⅰ


ボーボリは彫像の庭園だった。 いたるところに彫像があった。
16世紀にメディチ家が所有していて、彼らはこのすぐ裏手にあるピッティ宮殿に住んでいた。 当主のコジモ1世が華麗なパーティのあとで、「ちょっと腹ごなしに散歩でもするか」 と云って奥方のエレオノーラを連れて 「糸杉の坂道」 をそぞろ歩いたり、この池のほとりで、激しい変遷を経てきたメディチ家の来し方行く末に深い想いをはせたのかもしれない。




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メディチ家の変遷と興亡はまるで長編小説を読むようで実におもしろい。
しかし代々の当主が昔から変わらずに守ってきたのは、芸術の偉大なパトロンになることだったようだ。 ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、を筆頭にメディチ家の擁護がなければイタリアのルネサンス芸術はここまで爛熟しただろうか?





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僕らがつい先程までいたヴェキオ橋周辺の狂的な混雑とくらべて、ここの閑静さは嘘のようだった。
この広大な公園でほんのたまに行き交うのも、観光者だけではなくて地元の人達が多かった。 




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今度イタリアを訪れる機会があるとしたら、その旅行のテーマはこの時もうはっきりと僕の頭のなかにあった。 メディチ家の変遷を辿る、というテーマが。
当然ながらその旅の本拠地はフィレンツェということになるだろうな。




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コメント:

* うん。

私的にはこのⅣの写真がかなりのツボです。私の頭は螺旋に支配されているといっても過言ではないので。笑
旅をする中でもイタリアを旅するとき、私もそれなりの覚悟とテーマが必要されます。あの国で、美を実際に目に入れて、それなりに吸収するというのはたいそうなことだと、無意識に考えているかもしれません。
だから私の人生で旅というのはイタリアなしでは語れません。
2013/08/07 [inei-reisan] URL #pNQOf01M [編集] 

* Re: うん。

inei-reisan さん、

旅はいいです。

長いあいだ私は日本へ帰るたびに、他の国を旅するように日本を旅してるのだ
という感覚を捨て切れないままに生きて来ましたが、
最近になって、「ああ、帰ってきた」 と思えるようになりました。
inei-reisan さんの人生で旅というのはイタリアなしでは語れないように
私にとっては、日本なしでは旅を語れません。
2013/08/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

若いころにロレンツォ・ディ・メディチに惹かれてからずっと、フィレンチェは、いつか行きたい憧れの街の一つです。ヴェキオ橋の写真を拝見して「うぎゃっ!現実ってこんなのなのね」と、少し気が失せていたのですが、今日の写真でますます思いが募りそう。思えば長い片思いです。
ロトでも買ってみようかしら…
2013/08/07 [わにURL #- 

*

september さん、こんにちは。
ヴェネツィアお宅の私は、フィレンツェについて書こうとすると
屈折した思いに囚われます。
今でも文通を続けているフィレンツェ人アルフォンソ(夫妻)は測量士で、
フィレンツェやフィエーゾレ案内からキアンティの丘のヴィッラへの
招待までお世話になりました。ヴェネツィアのアパートに遊びに
来てくれた時、フィレンツェ起源の伊語、の勉強を何故ヴェネツィアで
するのかと問われた時は言葉がありませんでした。
大運河の華麗な建物を見るにつけ、メーディチ家のごつごつした建物の
壁面に接すると愛着をもって近づけない思いに捕らわれてしまいますが、
ルネサンスと言えば、フィレンツェがその同義語です。
2013/08/07 [ペッシェクルード] URL #j9tLw1Y2 [編集] 

*

このボーボリ庭園に行くのにタクシーを拾ったのですが、降り際に
”お金いらないから僕とドライブしない?”と運ちゃんに誘われ、それもいいかなと0.1秒考えましたが、時間がないのでと断りました。
行っていたら今頃はこの世にいなかったかもしれないし、September氏のブログにも出会えなかったかもしれないですね。

前日も、道を歩いているひとにボーボリ庭園に行く道を訊いたら教会に連れていかれたりして(←人の話を聞いていない)、なかなか辿り着けなかった場所です。

という、変なことばかり思い出しています。
2013/08/07 [micio] URL #O/XG6wUc [編集] 

*

フィレンツェの町を歩いて、あの『花の大聖堂』 が目の中に飛び込んできた時には、涙がぽろぽろ出ました。口では言い表せない感動でした。きれい過ぎて、人間がこんなものを作れるのか、と、建物を見て泣いたのは、生まれて初めてでした。
そして、メディチ兄弟が襲撃され、ロレンツォの弟のジュリアーノが殺害されたバッツィ家の陰謀事件の後、人間の嫉妬や妬みの恐ろしさを痛感したロレンツォは、人々に公開していた大聖堂の外側は華やかに、そして礼拝堂の中は質素に作った、メディチ家の菩提寺は、外側は質素に、関係者しか入れない内側は豪奢に、との説明を読み、妙に納得したのを覚えています。
話がそれてしまいましたが、ボーボリ公園をそぞろ歩きしながら、私もSeptember30さんと同じようなことを妄想していました。ただ、そこで撮った写真が、当たり前ですけれど、September30さんのものとは雲泥の差で、我ながらあきれるというか、恥ずかしくなってしまいましたが。
2013/08/07 [けろっぴ] URL #ok7oinrE [編集] 

* Re: No title

わにさん、

ロレンツォという男はビジネスマン、政治家としては凄腕だった上に
美術を愛してルネサンスに大きく貢献していながら
家運を傾けて若くして死んでしまうのですが、
美術への貢献は大富豪としての見栄もあったのでは、と思います。

フィレンツェやローマへの旅行はもうそこだけに執着して、
他の場所を回るなどとは考えられません。
2013/08/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

ぺさん、こんにちは。

イタリアの各都市は永いあいだそれぞれが独立国として存在したので
都市間の対抗意識のようなものは現在まで残っているのは大いにうなずけます。
ことにフィレンツエの場合はルネサンスは俺達がやったんだという誇りが強いのでしょうか。

言葉に関しても
フィレンツェが東京弁でヴェネツィア語は地方の方言だよ、
みたいな意識があるのかもしれませんね。
私もアメリカ人が関西弁をペラペラ喋るのを聞くとなんとなく笑ってしまうのですが
あれはあれで非常に味のあるものです。

国土の狭いイタリアで、このような多文化が共存したのは
実に驚くべきことだと思います。
2013/08/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

micio さん、

あははは、それはすべてメディチ家の祟りかもしれませんよ。
もしタクシーの運ちゃんについていっていたら
micio さんは今頃イタリアのオカミさんになって
8人もの子供の母親になっていたかも。(笑)

あ、micio さんはそんな歳じゃなかったな。
2013/08/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

けろっぴさん、

あの聖堂には私は行かなかったのですが、車の駐車場がアルノ河畔の丘の上にあって、
そこからはフィレンツェの町の全貌が見渡せました。
高い建物がまったく無いフィレンツェの風景の中で
あの「花の聖堂」はひときわ目立っていました。

その時撮った写真を載せればよかったですね。
2013/08/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

昔、美術学校でフレスコやテンペラ画を学んでいたので(あまり真面目な学生じゃなかったけれど)特にイタリアは面白かったです。
旅行自体は美術学校の友人と回ったのですが、絵を見るのは単独行動と決めていて、各自好きなところを見て回る。誰かに付き合って見たいものを見逃すのはやめようという約束でした。
私の頃、ウフィツィ美術館は予約なんてあったのかしら。記憶に無いんですけれど。そんなに混んでもいなかったし。
暗い廊下を進んで、ボッティチェリの部屋に入った瞬間は鮮明に覚えています。
部屋に入った途端から確かに春が花開く、そんな優雅な香り立つような部屋でした。
そこにあの絵があったから。

ウフィツィ美術館ではないけれど輝く美しさのフラアンジェリコの受胎告知。
名前は忘れてしまいましたが修道院の廊下を歩いていると、そこの天井を支える柱のカーブが幾つも続き、まるでクラシックの序章のようなのです。曲がって、あの絵を見上げた瞬間、エンジェルの奏でる祝福の音が聞こえたような気がしました。
日本のお寺に仏像があるように、ここにあるべき絵という気がしました。

ヨーロッパはクラシック音楽そのものみたいですね。

でも、イタリアでの一番の感銘はアッシジのジョットです。

ルネサンスが絢爛たる文化の開花期だとすると、ヴィザンチン様式の名残の残る初期ルネサンスは
そこまで行っていないけれど、人としての目覚めを感じます。
遠近法も発見されておらず、人々は横に開いてしまった建物の中で不器用にたたずんでいる。

絵の具に関しては、本当に一つの色を出すために今の絵かきと違って、宝石のような値段で絵の具を作らなくてはならなかった。
そこでやっと表現できた色。

ジョットの絵は美しい女性もあまり出てきませんが、何か日本人に響く、哀しさみたいなものを感じます。

その後、地震でジョットの絵のかなりが損傷を受けたのはショックでした。
見ておいて良かった。

その後、修復に同級生が関わったと風の噂に聞きました。

ヨーロッパは、特にイタリアは見るものが多すぎて毎日がめくるめくような日々でした。

おかげで、その後何十年も、あの記憶を反芻して味わっている気がします。
まるでするめみたい!
あら、この優雅なサロンに似つかわしくない表現をしてしまいました。

でも、何故か記憶を揺すぶられる場所ですね、こちらは。
自分の浅はかさを露呈するまい、もう書き込まないぞ、といつも思うのです。
でも読んでいると、つい書き込みたくなってしまう麻薬のような場所です。
どなたのせいでしょう。

ありがとうございます。
2013/08/08 [みん] URL #6moyDOY6 [編集] 

* Re: No title

みんさん、

花が匂うような乙女だった頃のみんさんのイタリアの思い出が
私のブログで蘇ったらしいのはとても嬉しいです。
画学生としてのみんさんにとってイタリア、いやヨーロパはそれこそめくるめくような宝庫だったに違いありません。
そういうのを英語で 'like Kids in a candy store' キャンディ屋に入った子供のように、
と表現します。

ウフィツィのボッティチェリの部屋は
たしか以前のブログでみんさんがコメントに書いていたような覚えがあります。
ここの読者の皆さんが、時代をそれぞれ別にしながらあの部屋にいたのだなんて
そしてその時の気持ちを今こうしてシェアしているなんて
何か感慨深いものがあります。

ジョットは私にはあまり馴染みがなく、たしか14世紀に生きたフィレンツェの絵かきだったくらいしか知りません。
オリジナルの絵も私は見たことがないと思います。
というのはもちろん
彼の絵はフレスコ画なのでその寺院に行かなければ見ることができないから。
モザイクなら世界一のモザイクの宝庫ラヴェンナ(これはボローニャのすぐ北)で、いやというほど見ましたが・・・

絵の具のことに言及しておられますが、それで私が思い出したこと。
少し前に見たカナダ映画 「赤いヴァイオリン」 です。
現代のモントリオールで億単位の価格で競売に出されたヴァイオリンは
400年前にイタリアの一熟練工が制作したものなのですが、
その後そのヴァイオリンはイタリアからウイーン、ロンドン、上海、モントリオールと400年をかけて
実に5つの大陸を旅して数奇な運命を辿るという話です。
そしてそれぞれにまつわる物語が語られます。

ところがそのヴァイオリンに施された「塗り」の秘密が長い間謎とされていたのを
科学的に分析をした結果、それには人間の血が塗られているとわかりました。
その血とは、イタリアの熟練工が愛妻を失くした時に、その体から抜いた血を使って塗りを仕上げたのですね。
というとどこか怪談めいていますが実際にはずっともっと綺麗な映画です。
機会があれば見てください。

ところで
みんさんには珍しく長いコメントを頂きましたが
どうしたのでしょう?
野毛あたりの焼き鳥屋でお友達と飲んで陶然と酔ったところで書いたから? (笑)
私もつられて長くなりました。

ありがとう。
2013/08/08 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

たぶん野毛のせいではなくて、September30さんの記事から、
belrosaさんの絢爛たるメディチ家の時代へと誘われて、
昔のフィレンツェへと旅に出てしまったのでしょう、私の心が。

絵の具に関しては、
ルネサンスの絵描きが、
網膜に焼き付けた色を
顔料に変えるために、
もしかしたら絵の主題まで譲って表現しようとした気持ちを推し量ることくらいでしょうか?

ウルトラマリンの色はラビスラズリ(青い鉱石)
クリムソンレーキ(カーマイン)はカイガラムシのコチニール色素
これはたしかエジプトの近くの海の中から少量採れる貴重な顔料です。

そして劇薬のカドミウムから作られる鮮烈なカドミウムレッド、
カドミウムイエロー、カドミウムホワイト
どれもその毒素のように揺るぎない純色です。

どれも大変高価な顔料でした。

たぶん画学生でおられたGreen Eyesさんもご存知かと思います。

現代はデータとモニターの世の中です。
恩恵を感じない私達は中世の人々より不幸なのか幸せなのか?

すこし妄想が過ぎました。
どうしたのでしょう、また、長くなりました。

ありがとうございました。
2013/08/09 [みん] URL #6moyDOY6 [編集] 

* Re: No title

みんさん、

まず、
「顔料」という言葉を見つめてしまいました。
なんと懐かしい日本語でしょう!
たぶん、50年ぶりくらいです。
ちゃんとした意味を完全に忘れてしまっていて、なんとなくその字から化粧品に関係あったのかなあ、と思い
しかしそれではここで意味が通らない。
と和英辞書を見たら、pigment なんですね。
それで理解しました。
自国語を英語に訳さないと意味がわからないなんて
まったく変な日本人になってしまったものだと、情けなかったです。

我がGreen Eyes は画学生といっても苦学をしていたので
油絵は絵の具に金がかかるから。と敬遠して専攻を彫刻にしたら
これもまた金がかかることには変わらない。
というわけで結局学校は最後まで続けることが不可能だったようです。
そういえば私がやっていた写真もずいぶん金がかかりました。
カメラはもちろんのこと、暗室の器材や薬品、紙などです。

芸術って金が無い人にはできないものなんですね。

だからメディチ家が必要なんだ。
2013/08/09 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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