過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

Profile

September30

Author:September30

Visitors Counter

Search form

スティーブのこと

steve01-blog.jpg

Steve
Somerville, Massachusetts USA



長い人生の中のほんのささいな一部分をおたがいに共有していながら、そのまま混沌の中へと別れて行った、そんな人達の何と多いことだろう。
そんな人達との数知れない交友の残骸が、日記などをつけた事のない僕には写真というかたちで残っている。 その中には日常の生活の中で思いだすこともなく、もう名前さえ忘れてしまっている人も多い。 それなのに古い写真を取り出して見ていると、その人の声や仕草や、場所や、衣服などといっしょに、その人と自分のあいだの微妙な交友関係までが一瞬にして蘇える。 目にしているのは一枚のスチル写真にすぎないのに、僕の脳の中ではそれが一連のビデオフィルムのようになまなましく再生されるのだった。

スティーブもそんな人達の中のひとりだった。 友達と呼ぶほど親しくはなかったけれど、仕事場でのただの同僚と呼ぶにははるかに仲良くしていた。 つまり、短い邂逅のあとでふたりがそれぞれの方角に別れてしまうことがなければ、僕らはきっと良い友達になっていただろう、と思う。
絵描き志望だった彼も、その頃ボストンで何とかして生き延びようとしていた無数のアーティストと同じく、絵とは直接関係のない写真のスタジオで働いていた。 物静かで口数は少なく、いつも悲しそうな眼をしていた。 社交家といえない僕には交友の範囲は限られていたが、その僕よりもスティーブははるかに人付き合いがなく、僕はその数少ない中の一人だったようだ。
すでに家庭を持っていた僕の家へ、彼はよくウォッカのびんを抱えてやって来ると、同じくアーティストだった僕の妻を入れて3人でとりとめのない話をした。 美術や音楽だけではなく、本や映画や政治などを夜遅くまで話しこんだものだ。 面白い話になると彼はよく笑ったが、その笑いはいつもどこかで抑制されていて、心から大笑いをするということはなかった。 そして、声に出して笑っている時でも彼の眼だけは笑うことが絶対になかった。 その眼の奥にあるものを引き出そうと僕は何度か試みたが、その試みはいつも優しく静かな拒絶に会うだけだった。

そうしているうちに、僕らの家族は遠い中西部へ移ることになって、スティーブと僕は右と左に別れて行ったのだ。
この写真は、スティーブの悔恨ではなくて、僕自身の 「悔恨」 なのにちがいなかった。

スティーブ
幸せになっていてくれよ


真実の友人同士のあいだでもっともすばらしいことは
別々に生きることは別れではない、ということだ。
Elisabeth Foley




にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ
スポンサーサイト

コメント:

*

縁あった人は、そうしてまたいつかその糸が絡まる時が訪れます。きっと。
2010/11/14 [KAORI] URL #- 

* Re: No title

KAORIさん、
そうでしょうか?
私には、一度切れた糸はもう二度と元に戻ることはないように思えます。
交わった二直線が再び交わることはないという幾何学の定義のように・・・
2010/11/14 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

コメントの投稿

:
:
:
:
:

:
: ブログ管理者以外には非公開コメント