
たそがれの天使
Dayton, Ohio USA
うわあ、今回のクイズ、凄い楽しかった。
と書いてしまってこれも正しい日本語じゃない、と気づく。 凄く 楽しかった、と書くべきなのだ。 僕が今までに書いた記事の中から間違った日本語を探してください、というのはクイズになりそうだけど、これ以上恥をかきたくないからやめておこう。
今回は最初に当選者発表から。
「Via Valdossola」 さんに、たそがれの天使がニッコリと微笑んだようです。 最後まで残りながら惜しくも敗れたのは 「henri8」 さんだった。
それでは読者が寄せてくださったものを列記してみよう。
☓ 「・・の風下にも置けない」 → ◯ 「・・の風上にも置けない」
☓ 「半端ない」 → ◯ 「半端じゃない」
☓ 「取り付く暇がない」 → ◯ 「取り付く島がない」
☓ 「布団をひく」 → ◯ 「布団を敷く」
☓ 「こんにちわ」 → ◯ 「こんにちは」
☓ 「櫛の歯が抜けたように」 → ◯ 「櫛の歯が欠けたように」
☓ 「未曾有(みぞうゆう)」 → ◯ 「みぞう」
☓ 「黒白(くろしろ)をつける」 → ◯ 「こくびゃくをつける」
☓ 「間髪(かんぱつ)をいれず」 → ◯ 「かんはつをいれず」
☓ 「団塊(だんこん) → ◯ 「だんかい」
☓ 「生殺与奪(せっしょうよだつ)」 → ◯ 「せいさつよだつ」
☓ 「世論(よろん)」 → ◯ 「せろん」 「せいろん」 「輿論(よろん)」 は少し意味が違うし、当用漢字にはない。
以上はわりと簡単な言葉の間違いだけど、今度は表現の仕方が正しくないものを挙げてみよう。
・ 「浮き足立つ」
この意味は、「不安や恐れで落ち着きを失う。逃げ腰になる」 (大辞泉)、とあるように浮き浮きと浮かれることではない。
「今度 September さんとデートなんだけどもう浮足立っちゃって・・」 などと言ってはならない。 正しくは、「September さんとのデートが旦那にバレたみたいで、私このところ何となく浮足立ってるの」 と使って欲しい。
・ 「確信犯」
「道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪」 (大辞泉)
ところが現代では、悪いことだと知りながら犯してしまう、という意味に使われることが多い。 意味がまったく逆なのだ。 かつて幾多の人妻が 「あなたとの恋は私には確信犯だったのよ」 と僕に告白してくれたけど、それは上記のどちらだったのだろう?
・ 「おっとり刀で・・」
「急な出来事で、刀を腰に差す暇もなく、手に持ったままであること。急いで駆けつけること」 (大辞泉) というわけで別におっとりと構えることじゃない。 そういえば、「今宵は旦那は帰りが遅いよって、うちら、おっとり刀でいきまほ」 と彼女が言ったにもかかわらず、気配を察したその旦那がおっとり刀で帰宅したあの時は慌てたなあ。 靴を持って裏口から逃げ出した。
・ 「Hエッチ」
普段は謹厳なこの読者がいみじくも言ってくださった。
『元々は、キャバレーやクラブの女性が、体を触ってくる客の男性に対し、”いやらしい” や ”助べえ” 等に代えて、「変態」(Hentai)の ”Hエッチ” と言ったのが始まりと聞いています。今や性行為の言葉として定着、立派な?日本語になってしまいました。こんな軽い、いい加減な言葉が、人間の大事(おおごと)を表すなんて、このグローバルな時代、日本人として恥ずかしいと思います。 せめて、Sexの 「エス」 とか Love の 「エル」 とかにしたい』
言わせてもらうと、Hは好きじゃないけどSやLも違和感を感じる。 なぜなら日本語ではないから。 アメリカでは "フxxク" という赤裸々で直裁的な言葉を別にすれば make love という古典的な言葉があるけど、こんなの使う人は今時いない。 やはり sleep が最も一般的のようだ。 日本語でも一番無難なのは 「寝る」 だと僕は思っているけど、もっと適切な言葉があってもよさそうだ。September 氏ならきっとさらに日本語特有の言い方をするだろう。 「抱きたい」 とか 「肌を合わせたい」 とか 「あなたと一緒に濡れてみたい」 とか 「ひとつになっていたい」、 あるいはもっと無邪気で動物的で天真爛漫で端的な表現 ・・ 「したい」 とか。
つい興奮してしまったけど、なにしろこれは 人間の大事 だから仕方がない。
・ 「姑息」
もともとは 「とりあえず」、「一時的」 という意味でネガティブな感じは無かったのが、昨今では 「姑息な手段」 などといって 「卑怯な」 という悪い意味に使われるのが圧倒的に多い。 団塊世代に属するこの読者が、仕事の上でクライエントに対してこの言葉を(元々の意味で)使ったら、上司に徹底的に叱られたそうだ。
・ あと、数人の読者が指摘されたのは、「全然・・・ではない」 という否定的表現のルールが今は無視されているということ。
これは実は僕も耳が痛い。 さすがに文章を書く上ではそれをやらないとしても普段の生活で、「うん、全然だいじょうぶだよ」 と言っってしまって、はっと気がつくだけまだ良心が残っているのかもしれないけど。 気をつけなくちゃ。
・ 「・・・的には」
これは僕もいつも眉をひそめていた。 「私は」 あるいは 「私としては」 というところを 「私的には」 と奇妙な言い方をしてしまっている。
あと多数の読者が触れていたのが、予想したように敬語と謙譲語の問題。 これは僕にとっては苦手な分野だ。 英語の世界に慣れた僕にとっては戸惑うことが実に多い。 この数年、日本語を書いたり話したりする機会が圧倒的に増えた僕が目指すのは、敬語も謙譲語も最小限に抑えて、相手に失礼にならないように、といって必要以上に丁寧にならないように、ということかな。 たとえば、
☓ 「電話を掛けさせていただきます」 → ◯ 「電話をお掛けします」
☓ 「ご出席なさいますか?」 → ◯ 「出席なさいますか?」
☓ 「お召し上がりになられますか?」 → ◯ 「召し上がりますか?」
☓ 「とんでもございません」 → ◯ 「とんでもないです」
最後に、
ある読者が送ってくださったリンクはNHK 放送文化研究室のサイトで、これがすごくおもしろい。 NHKは日本文化において日本語のお目付け役だと考えても良いので、いろいろな日本語の歴史を混じえた考察は、僕にとってはとても楽しくそしてためになった。 膨大な資料が詰まっているサイトなので、時間と情熱を持て余している方はぜひぜひ見てください。
ことば(放送用語)
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Via Valdossola さん、おめでとう。
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