過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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September30

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恐ろしいものを見てしまった


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ソルトレイクシティーから長崎へ
Air Force Museum, Dayton, Ohio USA


僕のすぐ目の前にあるのは、ボックスカーのニックネームで呼ばれたB29爆撃機だった
1945年8月9日、このB29はソルトレイクシティーの空軍基地で 『太っちょ』(Fat Man) を積み込むと、太平洋を横切り長崎の上空でそれを落とした。広島に原爆が落とされた3日後だった。
そして
その6日後に日本は無条件降伏をしたのだった。





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『太っちょ』

最初の写真にかえって操縦席の外側に描かれた太っちょのシンボルを見て欲しい。
5個のうち1個が赤く塗られているのが長崎の成果だとすると、アメリカは日本の降伏がなければ、更に日本の他の都市へ原爆を落とす計画があったのだろうか?





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『坊や』


この、坊や(Little Boy) と呼ばれた長さ3メートルほどの金属の塊が、これもB29の 「エノラ・ゲイ」 に運ばれて広島に落とされて、実に16万人の日本人の命を奪ったとは・・・・

『太っちょ』 にしても 『坊や』 にしても、人類の歴史を変えるほどの恐ろしいモノに、無邪気な他愛ない愛称を付けるアメリ人のユーモア。
その裏に、底知れない不気味な凄みを感じてしまうのは僕だけだろうか?




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コメント:

*

これってマジなネーミングだと私はとりますが。
何故ってヒロシマもナガサキも正義だったと言っています。
この子たちのおかげで戦争が早く終わったんだと。
丸腰の市民を殺すことを今もやっていてそれはアメリカの正義なんですよね。

私には到底理解できませんが、
それとも女だからユーモアが解らないのかしら。






2013/11/15 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

*

これならナチスのV形ロケットのVergeltungswaffe=報復、のほうが救われますね。米人の戦争を遊びでする感覚はイスラムのテロよりたちが悪い。
2013/11/15 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

* Re: No title

ムーさん、

マジなネーミングというか、どんな時でもユーモアを捨てることのできない
ヤンキー気質の表れだと思います。
他国から見るとそのユーモアに眉をひそめることも多々あります。
丸腰の市民を殺すことは最近の戦争でも以前のベトナムでも
極力避けたようですね。
アメリカにとっては広島と長崎が最後だったのかもしれません。
2013/11/16 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

上海狂人さん、

戦争を遊びでする国など無いとは思いますが・・・
それにアメリカがイスラムのテロよりたちが悪いとは私には到底思えません。
こういう話はいったんフタを開けると中から虫がウジャウジャと出てくるので
開けないでおいた方がよさそうです。
2013/11/16 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

大学生の時、ある事情でニューメキシコ州のロスアラモス国立研究所に行った事があります。このFat Man とLittle Boyが開発・製造された施設です。私が日本人だと恐らく見た目で判断されたのでしょうか、施設内では複数のセキュリティにがっつりマークされて四方八方から厳しい視線を受けて非常に居心地の悪い経験をしました。

開発当時、ロスアラモスでは反原子爆弾派の科学者もかなりいたようですが、この施設そのものは原子爆弾の機能性や"安全性"を誇らしげに展示しておりました。この展示に対して疑問を持った米人のクラスメートがゲストブックに記入した内容は係員が黒のマーカーで速攻削除。ページをめくると内容のほとんどがマーカーで消されておりました。1995年の事です。

戦時中これだけの機密計画を決行するにあたり、ユーモアの1つや2つ備えていないとやってられないという気風があったかもしれませんね。九州や関東にも投下計画があったとかなかったとか・・・機体のシンボルが確かに不気味です。
2013/11/17 [Endless] URL #d2yN2EXI [編集] 

* Re: No title

Endless さん、

それは後味の悪い経験でしたね。
しかもそれが1995年と比較的現在に近い時代だったのに驚きました。

この博物館も私がデイトンに来た頃とはディスプレーの内容が大幅に変わりました。
1990年代に初めて来た時には、大東亜戦争に関するかなり詳細な資料の展示に大きなスペースさかれていました。
当時の新聞の切り抜きとかアーカイブの写真をふんだんに見せて、戦争経過の詳しい説明もあり
それを読むと私の知らなかったアメリカサイドの様々な事実がわかってすごく興味深い経験でした。
資料の内容は一応公平な姿勢で作られていて、
それを読む日本人の私が感情を害するという内容は無かったと思います。

それが確か10年ほど前に博物館のその部分だけが改装という名目で閉じられ
長いあいだ、たぶん数年ものあいだ閉じられたままでした。
そした再び展示が再開されてみたら、今回は戦争関係の史実は一切取り去られて
ただ、飛行機だけを並べていたのです。

そんな操作の裏にどのような政治的な意図があったのかは知ることはできませんが
アメリカにすれば 「世界に知ってほしくないこと」 を隠してしまったというのは事実でしょう。

また、この博物館というか、ここの空軍基地では1995年11月に世界和平会議が持たれたことで
デイトンの名が世界中に知られることになりました。
当時戦争のさなかにあったボズニア、セルビア、クロアチアの3国に加えて
仏、米、英、独、露、の首相がここに集まりましたが、
メディアの介入を避ける意図で、米国でも1,2の規模とライト兄弟以来の飛行の歴史を持つデイトンが
会議の会場に選ばれたそうです。
2013/11/17 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* アメリカ人のユーモア

Septemberさん、

私は、父の叔母やいとこたちなどがfatmanの犠牲になっています。父は当時大分にいて無事でしたが、小学生時代を浦上のあたりですごしていたため、おさななじみは全員死亡。父が大分にいたのは、鹿児島にあった高等学校から大分の工場に動員されていたせいなのだけど、長崎の工場に送り込まれた同級生は何人も亡くなっています。実は、父がいたクラスが長崎、別のクラスが大分に行くことになっていたのが、何かの都合でそれが入れ替わり、おかげで難を逃れたそうです。そんなこんなで原爆については胸がざわざわするところがあります。

一方で、アメリカ人の蛇口がこわれた水道みたいなユーモアや皮肉のセンスについては、自分の中ではそれはそういうものなのだと片付いてしまっているところがあるのか、「けしからん!」というような強い憤りは覚えません。自分でもちょっと不思議ですけど。でも、とっても怖いとは思います。人はどういうときに何をジョークの対象にしてしまうのか、それはなぜなのかについても、考えさせられます。今回の記事は多くの読者にとってfood for thoughtだったと思います。
2013/11/19 [うらら堂] URL #PTRa1D3I [編集] 

* 負の遺産

Endlessさん、

コメントが遅くなりました。気付いていただけるとうれしいです。
原爆という話題が重くて、あれこれ考えているうちに時間がたってしまいました。

私人が展示しているのなら、主催者の趣味に合わないコメントをどうしようと勝手かもしれないけど、国立研究所でゲストブックへのコメントがその場で塗りつぶされるだなんて、言論統制ぽい。一種の暴力です。私も1995年までの数年アメリカにいたので、えええ、あの頃にとびっくりしました。その前から、ヘイトスピーチを処罰の対象にするような法律や条例と表現・言論の自由との関係なんかが問題になっていましたよね。基本は、社会にとって有害な言論への対応であっても、(抹殺や抑圧ではなくて)新たな別の表現によるべきということで。。。

この度量のなさとユーモア精神の暴走は、実はおなじところから出ているのかもなんて考えてしまいます。だって、本当になんのこだわりもないことなら、ジョークの対象にすらならないだろうし、自信のあることなら、どんな批判も質問も余裕綽綽で対応すればすむのだから。そういう意味では、そのゲストブックは立派な負の遺産かもしれません。もし残っていればですけれども。
2013/11/19 [うらら堂] URL #6facQlv. [編集] 

* Re: アメリカ人のユーモア

うららさん、

お父上の身内や友人の方々が長崎の原爆の犠牲者であられた、
ということで急にまたこの話が身近になってしまいました。
というのは、私の周りには偶然にもそういう人がまったくいなかったからです。
うららさんも生まれていなかったかもしれない、と思う時に
運命というものの不思議さをつくづく考えてしまいました。


私の叔父は零戦の編隊長として出撃して多数の部下を失ったあと
ほとんど片羽を失った戦闘機で奇跡的に母艦にたどり着いたのですが
「自分はなぜ生き残ったのか」 という無念と後悔で残りの人生を送ったようです。
どんなに苦しかったのだろう、と私には想像もできません。
その零戦もこのデイトンの博物館に陳列されてあって
脇腹に大きく描かれた日の丸を見ながら、数年前に亡くなった叔父を思っていました。
その叔父の言葉で忘れられないのは、
戦犯として巣鴨の法廷にかけられた時に、アメリカは信じられないほどの公平さと尊敬をもって自分たちを扱ってくれた、ということです。


アメリカ人のユーモアについては私もうららさんと同じで、「けしからん」 と思うことはあまりありません。
ユーモアを良い資質の一つとする習慣のないわれわれ日本人は、もっと学んでも良いのでは、と思うのですが
こと戦争に関しては直接の介入者としての憤りがあるのは当然だと思います。
昔 「マッシュ」 という私の好きだった連続ドラマがありましたが
あの戦争ドラマにはアメリカ人のユーモアとヒューマニティーがふんだんに表れていました。
2013/11/20 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

Septemberさん

叔父様が生還されたのはご家族にとってはどんなにうれしいことだったかと思いますが、特にお立場がお立場だけに、ご本人のお気持ちには私などの想像の及ばないものがあったことと存じます。数年前までご存命だったとのこと。ご長寿はおめでたいけれど、長くて辛い戦後をお過ごしになったのでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。

戦犯として裁かれた際に敬意をもって遇せられたということについては、ほっとするとともに、さすがアメリカだと感じました。日本人がもう少し見習ってもいいものとして、ユーモアのセンスに加えて「手続き保証」がありますね。たとえば、言葉としては、日本の制度の中にも無罪推定はあるわけだけど、刑事被告人どころか被疑者として拘束されただけで、市民としての尊厳などどこかに飛んでしまいます。

ところで、MASHは40年ほど前に日本でも放映されていましたよ。私も夢中で見ていました。原作本(もちろん翻訳もの)も買ったので、まだ実家のどこかにあるかもしれません。
2013/11/20 [うらら堂] URL #6facQlv. [編集] 

* Re: No title

うららさん、

子供の私にとって叔父から飛行機やパイロットの話を聞くのが、どんな本や映画よりも興味があったのは
それが作りものでない真実の物語だったからでしょね。
後年になって私が大人になってからは、大人にしかわからない話も
酒を飲みながらぽつぽつと出てきました。
彼の一生は本になるべきだと思いますが、生前にもっといろいろと聞けなかったのが残念です。
何しろ私は私で日本には長くいなかったから。

たとえば
彼は終戦の直前まで呉の軍港に駐屯していたのですが
病身だった妻を(これは私の叔母と結婚する前の前妻です)背中に括りつけてゼロ戦に乗り込むと
隊長の権限を利用して軍にはいっさい無断で
東京の多摩飛行場(のちの横田基地)まで飛んて妻を実家に送り届けた。
という話など、まるで Mash に出てくるようなエピソードではありませんか。(笑)

もう一つの話は
叔父は戦後は高校の体操教師として日本の体操教育界に尽くし、
オリンピック選手の養成などの功績を認められて
引退後に(昭和)天皇陛下から紫綬褒章を授かることになった時
「XXはもうとっくに死にました」 と言ってそれを断ったことです。
いまさらどんなツラを下げて恥もなく天皇陛下の顔が拝めるか
ということだったらしいですね。


2013/11/20 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 男前!

Septemberさん

叔父様のお話、もっとたくさん伺えたらと思います。なんとオトマエな方だったことでしょう。背中に奥様を括り付けて軍に無断でゼロ戦で...だなんて、素敵すぎです。人助けのためには、かなりな無茶でもなんでもやってのけるという点では、本当にMASHのエピソードみたいです。(ただしMASHの中で女性がそんなに大事にされていたかどうかちょっと思い出せません)

体操教育についての叔父様の功績は、相当なものだったのですね。運動神経や体力に恵まれただけではなくて指導者としてすぐれておられたのはもちろんでしょうけれど、何より素敵なのは、「過去」に負けないで社会のためにご自分の能力を使ってくださったところです。

叙勲褒章を辞退なさったという筋の通し方も、その折りに「もうとっくに死にました」とおっしゃったのも、軽々しくまとめたいわけでは決してないのですが、とっても男前。そんな方が身近におらたということも、Septemberさんの成分の一部なのですね。なるほどなるほど。

ところで、返礼として長崎でのMASH的エピソードをひとつ。先日高等学校の学生のことを書きましたが、これは三菱兵器工場に動員された組のことで、後年記された手記を読んで知りました。

工場で一緒に働いていて被爆した工員さんたちをどうやって長崎の外に移動させたらいいか考えて、思いついたのが、被災証明書を発行して無銭乗車で帰郷させるということ。。。。もちろん高等学校の学生にそんなものを発行する権限などないのだけど、分工場長の印鑑を探し出して適当な用紙を集め、手分けして片っ端から長崎被災者であると書き殴り、印鑑を押しまくったそうです。いい話だというには、あまりにあまりなのですが、ちょっといいでしょう?
2013/11/22 [うらら堂] URL #PTRa1D3I [編集] 

* Re: 男前!

うららさん、

長崎の旧制高校の生徒さんたちの話も、私の叔父の話も、
それが Mash のような自由主義で(良い意味での)ちゃらんぽらんなアメリカ人のことではなくて
規律や習慣というものに厳格であった日本の話だ、というところが凄いと思うのです。
現代の日本の若者たちに聞かせたらどんな反応があるのだろうか、
などと思ってしまうこと自体、すでに私が現実を離れて漂流をし続ける人間になってしまったような気がします。

この叔父のことは前にも少し書きました。
今読み返してみると、亡くなってからもう10年以上も経っているのに気がついてびっくりです。
つい数年前だったような、そんな気がしていました。

http://blog1942.blog132.fc2.com/blog-entry-49.html
2013/11/22 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

うららさん、

コメント拝見させていただきました。私がゲストブックのページをめくっている最中はセキュリティが両側から私の一挙一動見張っているという感じで、じっくり読める雰囲気ではありませんでした。たくさんのコメントがマーカーで消されているのも理由がわからなかったくらいしか見る事ができませんでした。私が書き込もうとでもしたら、その場で拘束されていたかもしれませんね(笑)米国は自由を崇拝すると同時に、実はプロパガンダ大国であると思います。

その日の夜のディスカッションで実際にゲストブックに記入した生徒が「展示内容は一方的過ぎではないか?事実を曲げて原爆を美化していないか?と書いたらすぐに削除された」と憤慨していました。当時まだ10代だった私は、少なくとも私と同年代のアメリカ人には、この展示に対して(私と同じように)疑問を持っている人がいるのだと安堵感を覚えた次第です。

しかし時は1995年。アメリカ最高峰の科学者が集まる町で、コメントをマーカーで黒塗りとはなんともアナログでびっくりしました。
2013/11/22 [Endless] URL #d2yN2EXI [編集] 

*

Septemberさん、

私の夫はデイトン合意によって紛争が集結する直前、95年の夏にアメリカに移住してきました。終戦後18年ですが、ボスニアの復興状態は未だずさんです。
2013/11/22 [Endless] URL #d2yN2EXI [編集] 

* Re: No title

Endless さん、

ボズニアの紛争は第二次大戦後では最悪の戦争だったと私は思っているのですが
ご主人はそのすべてを経験されあとアメリカに来られたんですね。
一度紛争が治まってしまうとその後のニュースはあまり目にとまらなくなってしまうものです。
18年を経た現在も復興がうまく進んでいないと聞いて心が暗くなります。

前回のイタリア旅行でサン・マリノ共和国の山の頂上から、眼下に広がるアドリア海を見ながら
その向こうの国々へいつか行ったみたい、と思ったのを思い出しました。

http://blog1942.blog132.fc2.com/blog-entry-168.html
2013/11/22 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

アドリア海のあの色は言葉では表せない美しさですね。
子供がもし女の子だったら「碧」の字を使った日本名を
考えていました。ボスニアとクロアチア訪問の写真は
時間ができたらFacebookの方にアップする予定です。
2013/11/24 [Endless] URL #d2yN2EXI [編集] 

* Re: No title

Endless さん、

その写真是非見たいですね。
載せる時はメールで予告してくれないかなあ。
私はフェイスブックは持っているもののあまり常用してないので
つい逃してしまいたくないから。

『碧』 は
その名前を付けるためにだけでも
女の子をもう一人作ってもいい、と思うくらい
美しい字です。(笑)



2013/11/24 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

了解です。いつになるかわかりませんが、写真を載せる時はお知らせ致します。
2013/11/25 [Endless] URL #d2yN2EXI [編集] 

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