過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

Profile

September30

Author:September30

Visitors Counter

Search form

モナとその周辺 (3/4)

bostonbw0052-blog.jpg

砂の女
Manhattan, New York City



まず、モナと僕はアランのパーティに招待される。 アランはボストンのゲイのコミュニティではリーダー格の男で、モナが自分の兄のように親しくしていた。 彼のサウス・エンドの瀟洒なアパートで僕らを迎えてくれたアランは、その顔を見たときアッと思うほどDavid Bowie に似ていて、僕の手を優しく握ると全員に紹介してくれた。
アランの広大なアパートはどの部屋も洗練されたアート・ヌーボーのインテリアで統一されて、そこらじゅうに置かれた美術品も、居住者の知性とセンスの良さを感じさせた。(彼はアンティークの売買を仕事としていた) 
パーティは男女をまじえた五, 六人の少人数の集まりで、モナのルームメートのジェロームもそこに来ていた。 全員がゲイとレズビアンである事は東洋人をアメリカの街角で選び出すのと同じくらいにまちがえようがなかった。

そのあとの数時間は、パーティ嫌いのはずの僕がこんなにリラックスした時間を、初対面の人たちに囲まれて持つことが可能だなんて、自分でも信じられないくらいに楽しかった。 それぞれのゲストは驚くほど話題が豊富でありながら、それらの話題は常に控えめにしか語られず、何の話をしていても最後には主客である僕のところにいつも注目が戻ってきた。そして途中から僕は気がついていた。 そうか、今夜のこの集まりは僕の認証式だったんだと。
仲間うちでアイドルのように愛されてきたモナを、どこからともなく現れたストレートの東洋人の男がいきなりさらって行こうとしている。 兄として姉として仲間として、彼らがこの侵入者の真意をチェックするための会合だったのだ。
帰り道でモナとふたりきりになった時に僕がそのことを言うと 「だいじょうぶよ。 全員があなたの事をすごく気に入ったみたいだわ。 たとえそうじゃなくたって私には自分が選んだ男について行くしか選択は無いんだけど、でもやっぱり友達や仲間は失いたくなかったから、私とってもしあわせよ。 あなたも彼らのこときっと好きになるわ」
僕は認証式を無事にパスしたようだった。

認証後の僕たちはモナの仲間のパーティには頻繁に招待されるようになり、短いあいだに次から次へと僕の交際の輪は広がっていく。 そのほとんどがゲイやレズビアンで年齢も20代から70代までと幅が広いうえに、みなそれぞれがユニークな経歴の持ち主で、ありとあらゆる興味深い仕事を持っていた。 彼らの世界は世間の常識やメインストリームからは完全に隠されていて、ふつうの人たちにはその存在さえ見つけることができない。 そのどこか淫靡で非現実的な魅力を持つ世界へ、僕はモナというドアを通して足を踏みいれてしまったとになる。
それまで僕が一度も行ったことの無い地域のバーやクラブにも、モナやアランに連れられていくと、どこでも常連として扱われた。
なかでもよく行ったのは、マサチュセッツ・アヴェニューのMIT (マサチュセッツ工科大学) の斜向かいにあったナイトクラブだった。(名前を覚えていない)  かなり広い店内はいつ行っても客で溢れていたが、その中で僕はただひとりのストレートの存在だったに違いない。 センスのいいロックバンドが演奏する中で人々はフロアで踊っていたが、そのほとんどが男同士、女同士のカップルだった。
ここでもモナはプリンセスだった。 そのプリンセスのボーイフレンドという事で、僕は紹介されたとたんに誰にでも暖かく迎えられ、次から次にドリンクが目の前に出てきた。 時折りモナがそばを離れて僕がひとりに残されると、あからさまな目的を持って僕に近づいて来た男達も、誰かが耳打ちをすると事情を理解したらしく、改めて握手を求めてきてモナの友達だと自己紹介した。



こんなふうにして、それまで固く閉ざした貝の殻の中で独りで生きていた僕の生活が、少しづつ変わってきた。 最初は貝の殻をちょっとだけ開けて恐る恐る外界を覗いていたのが、モナと、モナの優しい仲間たちのおかげで僕は完全に貝から出てくることができたようだ。
アンティーク好きだった僕らは、土曜日になるときまってモナの車で海沿いの町を巡って骨董の掘り出し物を探しに出かけた。 買い集めたものは、アランの所有するビーコン・ストリートの骨董屋に置いておけば、時には買値の10倍以上に売れたりすることもあって、そんな時モナと僕は手を取り合って子供のように狂喜した。 そして土曜日のアンティークのハントの後は、海辺の町に僕が借りているアパートにふたりで帰っていく。 それから夕凪(ゆうなぎ)の海で泳いだり、ふたりで夕食を作ったり、その町で一軒しかないバーへ飲みに行ったりしたあと、モナはそのまま泊まってゆくのが習慣になった。

そして日曜の朝。
遅く目覚めるとモナは全裸の体に白いシーツを巻きつけてベッドを抜け出る。 キッチンに立ってコーヒーを沸かす彼女の姿は、まるで朝の香を焚(た)く古代ローマ帝国の皇女のようにみえる。
それからモナはテレビの前の絨毯に腹ばいになると、よく幼い子供がするように、床に立てた両ひじの上の掌に顎(あご) を乗っけて、テレビの子供向きの漫画を一心に見る。 幼い時から欠かしたことがないというその習慣は、いつも僕に微笑をもたらす。 「そんなに近くで見るのは目に悪いよ」 という僕の警告はモナの耳には入らない。
あけ放した窓から強い潮のかおりを風が吹き込み、それとコーヒーの匂いとが、部屋の中で僕らのしあわせの取り合いをする。 波の音が聞こえてくるほど海に近い僕の部屋には朝日が斜めに射しこんでいる。 夏の終わりのどこか弱々しい朝の光だ。 寝転んだモナの背中を、光と陰の境界線がザックリと切り裂くように二分している。 まるで、モナの美しさや、昨夜僕らが分けあった快楽を罰するかのように。

こんな美しい日々に終わりが来るなんて誰に想像ができただろう?

(続)

にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ
スポンサーサイト

コメント:

*

同じような経験をした事があります。10数年前、性同一性障害の友人から、私が写真を撮っている事から、会合のスナップ写真を任された事がありました。しかし・・・。

「モナはプリンセスだった。 そのプリンセスのボーイフレンドという事で、僕は紹介されたとたんに誰にでも暖かく迎えられ・・・」の部分、私の場合は丸で違っていましたね。私が色眼鏡で彼らを見るよりも前に彼らが私を色眼鏡で見ている、そんな状況でした。

たまたまその団体がそんな類いだったのか、日本と言う民族性なのか、はたまた時代のせいなのか、それはそれは見事な僻み集団の集まりでした。何も知らないので、質問として、ほんの少し差別的な発言をしただけでも、もう鬼の首をとったかのように責め立てる。「人」として不愉快になる集団でしたね。

今でこそテレビタレントに彼ら、彼女らが出演しても気にならない時代ですが、それでも恐らく単に今の生活状況を愚痴り、批判し合うだけの人も多いように思え、こちらの文章を拝見して、やはりアメリカと日本は違うなぁと感じました。


2011/05/29 [BigDaddyURL #X.Av9vec [編集] 

* Re: No title

BigDaddyさん、私の乏しい知識では性同一性障害と同性愛とはかなり明確に区別されているはずです。同性愛は「障害」 ではありません。
ですからBigDaddyさんの経験は、必ずしもアメリカと日本の違いとは言うよりもっと深いところにその違いがあるのでは、と思うのですが・・・
2011/05/30 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

仰る通り、私が訪れた性同一性障害の会合であったので確かに同じ定規で計るのもいけない事かもしれませんね。

しかし、今でさえ、その違いを私自身は明確に理解しておらず、本来、そういう人間に対して、この障害はこういうものである、それを訴える筈であるべきなのを、彼らが屁理屈や僻みで終始していた、私への敵対心は事実で、皆がそうでなく、たまたまそういう団体だったのでしょうね。
2011/05/30 [BigDaddyURL #X.Av9vec [編集] 

* Re: No title

BigDaddyさん、とても難しい問題ですね。正常な人にとっては、障害を持つ人の気持ちは理解をするのにも限度があるのでしょう。私にも昔、身体障害者の知人が数人いましたが、彼らに共通していると思ったのは、いろいろなところで滲み出てくる一種の劣等意識、被害意識、だと思いました。もちろんそんなことを超越した身体障害者もたくさんいるでしょうけど、そこまで行くには健康なわれわれには想像もできないような辛い努力をしなければならないのでしょう。
彼らに何を言っても 「正常なお前なんかには分からないよ」 の一言で心を閉じられてしまった経験があります。
2011/05/31 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

コメントの投稿

:
:
:
:
:

:
: ブログ管理者以外には非公開コメント