過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

Profile

September30

Author:September30

Visitors Counter

Search form

寒い国から来たギター弾きを見ませんか?


二つのギター
ロンド (J. S. バッハ)

最近、実はぞっこん惚れ込んでしまった女性がいて、このところ長い冬の夜を毎晩のように彼女といっしょに過ごしている。
彼女の名はアシャという。 アシャはロシア生まれのギター弾きである。
そのアシャが今夜は珍しく友達のギタリストのオルガを連れてきて二人で僕のために弾いてくれた。 僕は床に腰を下ろすと膝を抱えてウォッカを飲みながらそれを聴いている。 この二人がバッハの小品で見せるコラボーレーションは絶妙で、聴きながら僕はどんどん彼女たちの世界ヘ引きこまれていった。 向かって左がアシャで、右手に座る左利きの(ややこしいな)、女の子がオルガだ。
演奏の合間に僕が二人のショットグラスにウォッカを注いでやると、彼女たちはそれをぐいっと一息に飲み干す。 ロシア人だけにできる飲み方だった。 そして二人はまたギターを取り上げる。 今夜はずっとそれの繰り返しだった。 部屋の中は暖かく、 零下15度の外界とを隔てる窓ガラスが凍りついて、そこに中世のフラスコ画のような模様が表れていた。 アシャが立ち上がって窓のそばへ行くと、凍ったガラスにその美しい指先の、蜥蜴(トカゲ)のように尖った爪でカリカリと音を立てながら、LOVE と書いた。



現代クラシックギターの大御所というと、ニキタ・コシュキン(Nikita Koshkin) というロシアのギタリストで作曲家の名がまちがいなく挙がると思うけど、僕のアシャ (Asya Selyutina) はそのコシュキンの作品をほとんど演奏している。 中でもコシュキンの代表作と云われる 『アッシャー家のワルツ』 はあのエドガー・アラン・ポーの 『アッシャー家の崩壊』 の陰鬱な物語に鼓舞されたアシュキンが書いた大曲で、技術的にも大変な難曲だということはギターを彈かない僕にさえ容易にわかる。
このアシャのギターを聴いていると、いつの間にかそれが日本の野性的な津軽三味線のように聞こえたり、そうかと思うと平家物語を語る琵琶法師の琵琶の音とピッタリ重なってしまったのは、これは飲み過ぎたウォッカのせいに違いない。

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり......



アッシャー家のワルツ





ブログランキング にほんブログ村 写真ブログ 一眼レフカメラへ
スポンサーサイト

コメント:

* 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014/01/19 []  # 

* Re: やはり完璧

鍵コメさん、

私信を送ります。
2014/01/19 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

ロンドンに3ヵ月ほどホームステイしていた時、隣の部屋にロシア人の女性が1週間ほど滞在・・・・・あっという間に職を得て出て行きました。東北の人が東京で就職するよりも易々と。
風邪を引いていたら、小さな林檎を一つ持って来てくれたこと思い出しました。

部屋に取り込んだ鉢に、何気なく線量計を翳すとソファーの上の2倍。
ビオラたち、半分だけ残してまたベランダに戻しました(苦笑)。

2014/01/21 [いらくさURL #- 

* Re: No title

いらくささん、

何気なく書かれていますが、
線量計をそばに置きながらの暮らし、というのは話には聞いていましたが改めてショックです。
人がものを書いたり歌を詠んだりするのは悲しみがあるからだ、
ということは私もさんざん体験したきたのですが....
2014/01/22 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

コメントの投稿

:
:
:
:
:

:
: ブログ管理者以外には非公開コメント

トラックバック:

>>>> http://blog1942.blog132.fc2.com/tb.php/694-b51023d2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)