過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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リオから来た女 (2/2)

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夜へ
Las Vegas, Nevada USA


1970年代の初め、僕は日本の音楽界を離れてボストンの音楽学校に留学した。 その少し前からピアニストとしての自分の才能に限界を感じはじめていた僕は、大学では器楽科ではなくて作曲科に籍を置いていた。 それでも時々ギグが入ってくるとあちこちに出かけていってピアノを弾いていた。 コンバット・ゾーンのストリップ小屋だとか個人のパーティなどつまらない仕事が多かったが、経済的に苦しかった僕にとってはどんな仕事でも無いよりはましだった。
作曲科の学生としてその頃の僕がもっとも興味を持っていたのは、ギル・エヴァンス (ピアニストのビル・エヴァンスではない) とミシェル・ルグランの二人の作編曲家だった。
そのギル・エヴァンスが、アストラッド・ジルベルトのために全曲をアレンジしたLPを僕は日本から持ってきていた。 ふつうならストリングスなどを使って甘くイージーリスニングになりがちなアストラッドの歌に、ギル・エヴァンスは不協和音をためらわずに多用した重厚なハーモニーをぶつけて、独特の世界を創り上げている。 それはアストラッドの細く繊細な歌との完璧な結合だと僕は思っていたが、このアルバムを僕は文字通り擦りきれるまで繰りかえし聴いた。
そのアルバムの中のこの歌は映画 《シェルブールの雨傘》 の主題歌で、作曲は偶然にも僕にとってもうひとりのアイドル、ミシェル・ルグランだった。




そのアストラッドがボストンのジャズクラブに来たのは、71年か72年だったろうか。それまでに彼女は夫だったジョアンとはすでに離婚していたし、スタン・ゲッツのグループからも離れて、世界的にトップレベルのシンガーとして独立していた。 ジョアンとの離婚は、アストラッドとゲッツの深くなりすぎてしまった関係のためなのか、それともブラジルに帰りたがっていたジョアンと、アメリカに永住する決心をしたアストラッドとの意見の相違からなのか、そのへんのことは僕には分からなかった。

ある日、大学で僕のピアノの教師だったレイ・サンティージがレッスンの後で、「仕事があるよ」 と言い出した。
レイは以前にチャーリー・パーカーやスタン・ゲッツ等と仕事をしたこともあり、ニューイングランド地域では著名なピアニストだった。 ボストンを訪れる一流のバンドやシンガーがピアニストを必要とするときには、決まってレイを指名した。 レイはその時、ニューヨークの初演を終えてボストンにやって来たばかりのミュージカル 《ヘアー》 のために長期公演の契約をむすんでいたので、たまたま一週間だけのクラブ出演のアストラッド・ジルベルトのギグとぶつかってしまったのだ。 僕が金に困っていることをよく知っていたレイは、それまでにも時々仕事を回してくれていた。

日本にいた頃からあんなに好きだったアストラッドといっしょに仕事をすることになって僕は不思議な気がした。 彼女の歌った曲は僕はすべて知っていたし、この仕事で集められたグループの中には顔見知りが二人いたこともあって、午後のリハーサルは何の問題もなかった。 当のアストラッドは化粧のない素顔で現れ、カタコトの日本語であいさつをして僕を驚かせたが、リオにはサンパウロほどではないけれど、けっこう日系人が多いのだと言っていた。 僕と二つしか年の違わない彼女は、きさくな飾らない性格で、話をしていてその声を聞いているだけで僕は彼女の歌を聴いているような気がしていた。

リハーサルの次の日から一週間、ジャズクラブ 《ポールズ・モール》 での演奏は一晩2ステージで、 客席は毎晩満席だっただけではなく、長い列がボイルストン・ストリートに並んだ。 聴衆はどちらかというと三十代以上のおちついた「大人」が多かったのは、先週このステージで聴いたばかりの BB・キングとは大きな違いだった。 酒を飲み食事をしながら誰もがボサノヴァのリズムに身を任せて、今にも立ち上がって踊りだしそうな楽しい雰囲気だったが、誰よりも楽しんでいたのはこの僕自身だったに違いない。 この十年のあいだ遠くからだけ見続けてきたアストラッドのすぐそばでピアノを弾きながら、耳に聴いているのは擦り切れたLPからのサウンドではなくて、生身の彼女の声だった。 そしてその彼女と、音楽のコラボレ-ションの中でピッタリと一つになっている瞬間に僕はこの上ない幸せを感じていた。
暗い鬱々とした日々を送っていたその頃の僕にとっては、実にまれな事であったと言っていい。

アストラッドとまる1週間をいっしょに過ごしていて、僕がひとつだけ気になったことがあった。 それは彼女がふだんだけではなく、ステージの上でもとても静かなことだった。 静か過ぎる・・・
日常の生活でどんなにおとなしいエンターテイナーでも、いったんステージに上がればそこは別の世界のはずだ。 客のために歌い、笑い、しゃべる。 アストラッドのステージにはそれがなかった。 そして彼女の見せる控えめな微笑は、隠れていた母親の背後から押しだされて歌っている恥ずかしがり屋の少女を思い出させた。 (幸せじゃないのかな) と僕は思った。 厳しいショービジネスの世界を生き延びてゆくには、彼女はあまりにも線が細く、壊れやすいガラス細工のような雰囲気を持っていた。

最後の夜の最後の演奏が終わったあとで、《ポールズ・モール》 のオーナーのポールがバンドの全員をディナーに誘ってくれたが、アストラッドは疲れたからと言ってそれを断ると、自分のマネージャーを後に残して、数ブロック先のコプリー・ホテルまで歩きたいからと言ってひとりで帰って行こうとしていた。 送って行こうかと申し出た僕に、アストラッドはそれも丁寧に断った。 そして僕の手を握ったあとでガラスのドアを開けると、夜中過ぎでもまだ人通りの絶えないボイルストン・ストリートへと姿を消して行った。
そのとき僕が思っていたのは、リオ・デ・ジャネイロの家のキッチンでワインを飲みながら、陽気に歌を口ずさんでいた頃のアストラッドは、こんなに孤独ではなくてもっと幸せだったのかもしれない、ということだった。

(終)

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2010/11/20 []  # 

* Re: すごい、です。

鍵コメさん、
コメントありがとうございます。

2010/11/20 [September30URL #- 

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