過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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ブラームスはお好き?

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エミリー
Boston, USA


フェイスブックを持っているけど僕はあまり活発なユーザーとはいえない。
自分の日常の詳細を他人とシェアしたいという欲望が僕には薄いから、積極的に参加することはまずない。 知人友人親族間に飛び交う夥しい数の写真と記事を、僕は完全な傍観者として時々ざっと眺めるだけだった。そういう自分が、まるで滔々と流れる大河の岸に孤立する寂しい1本の樹のように感じられることがある。
人生の傍観者・・・
そんな言葉が浮かぶ。


それでも時々、あっと思うようなことがフェイスブックでは起こる。

先日のこと、「◯◯さんがあなたにフレンドの要請をしていますが承認しますか?」 という通知を受けた。その名前にも、そこに付けられた初老の女性の綺麗な笑顔にもまったく記憶がなかった。 NO とクリックをしかけてその手が一瞬止まったのは、そのエミリーというファーストネームに何やら記憶の底で引っかかるものがあったからだ。 まさか? と彼女のフェイスブックを覗いてみた時、思わず自分の目を疑った。 やはりそうだった。 結婚して姓は変わっていたけれど、あのエミリーに違いなかった。


あれはアメリカ中がバイセンテニアル(200年祭)で沸きあがっていた時だから、1976年のことだった。
ボストンのチャールズリバー河畔の野外コンサートで、芝生に寝転んでボストンシンフォニーの演奏を聴きながら、僕はぐうぐう眠ってしまったらしい。初夏の午後の陽ざしは温かいし、川風が顔に気持ち良く、耳に聞こえるシンフォニーは最高の子守唄だった。 先ほどランチで飲んだビールもそれにひと役買っていた。
はっと目が覚めると上から僕を覗きこんでいる美しい女の笑顔があった。 吸い込まれそうな碧(あお)い眼だった。
「あなたの鼾(いびき)とブラームスが絶妙のハーモニーだったわ」
その口調には皮肉の響きが無く、本当にそうだったのかと思わせるほどだった。
慌てた僕の口から苦し紛れに無意識に出た言葉は 「ブラームスはお好き?」
彼女は笑いながら 「それってフランソワーズ・サガンの小説のことかしら? それとも只の質問?」 と逆に質問をする。
「あっ、いや、只の質問」

それがエミリーとの出会いだった。

エミリーとはどのくらい続いたのかは、はっきりと思い出せないが、そんなに長くはなかったはずだ。 ただ、別れる時に泣いたのは彼女の方だった、ということは忘れることはない。
人に捨てられるよりも人を捨てる方が何倍も辛い、と以前にどこかで書いたが、エミリーはそういうふうにして僕が傷つけてしまった人たちの一人だと長い間思っていた。 そのエミリーとの軌跡が40年を経た今になって再び交わるということの不思議さ、そしてそれを可能にしてくれたのが彼女の方からだったということに、僕は改めて運命を感じ、女の慈愛を感じた。

幸せな結婚をしてボストン郊外に住み二人の子供と生まれたばかりの初孫を持つ、とメールをくれたエミリーは40年前の僕らにも触れていたが、苦しかっただろうその結末のことは何も書かれず、僕らが分けあった日々への懐かしさだけがそこにあった。
そんなエミリーに返信を書く僕は、あの時彼女を傷つけた事への許しを乞いたい気持ちと最後まで闘いながら、結局それには何も触れずにメールを終えた。 それでよかったのだ。 彼女はもう許してくれているからこそこうして僕に接近して来たのだ、ということに気がついたからである。 『過ぎたこと』 と 『過ぎて行くこと』 がこうしてぴったりと重なる、という奇跡が起きた。
僕は手紙の最後に追伸として一行だけ書いた。
「今でもブラームスは好きですか?」



* 本文中の女性の名は実名ではありません。



ブラームス ハンガリア舞曲 第1番
西本智美 指揮
Budapest Philharmonic Orchestra





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コメント:

*

フェイスブックへの招待は頑なに拒み続けている自分ですが、こういう話を伺うと「やってみようかな」って気持ちがこみ上げて来ます。もっとも「そんな過去はなかったな」とすぐに気が付いて、やっぱり手を出せません。しかしそうそうあるはずのないことが、September30さんにはときどき訪れるようです。
2014/06/07 [川越URL #uvrEXygI [編集] 

* Re: No title

川越さん、

いろいろ聞いたのですが日本でのフェイスブックとアメリカでのそれは
少し性質が違うようですね。
アメリカでは利用者のプライバシーがずっと厳しく管理されているので
不快な経験はないようです。

音信不通になってしまった昔の知人や同僚との繋がりが
フェイスブックでまた復活するのはなかなか良いものですよ。
2014/06/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014/06/09 []  # 

*

YOKO さん、

初めてのアメリカはヨーロッパとはまた違う体験をされたようで
それでまたYOKOさんの視野がぐんと広がることでしょう。

地図を見てキョロキョロしている外国人に気さくに助けを申し出るアメリカ人。
「それは君が若い女性だからさ」 というアメリカ人男性の反応は
私から見ると、自分の国を褒められたと思った彼の謙遜の意味を表す
アメリカ人特有のユーモアのように受け取れますね。

YOKOさんのコメントのように
ヨーロッパに住む日本女性のアメリカ観は非常に興味があるので
ぜひ他の読者ともシェアして欲しいな、と思いました。
きっと皆さんそれぞれの感想を書いてくれると思います。

ところで
私のブログでは非公開のコメントは以下の二つに限られているのをご存じでしたか?
① 毎月のクイズの回答 (公開で送ってくる人がけっこうある)
② 私への愛の告白 (これは時々男性からも来る)

もちろんアメリカ流のジョークです。(笑)

2014/06/09 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

素敵なお話です。
エミリーさんは勇気ある女性だと思います。
それに心も広い人です。
だって自分を泣かせた男なんかには二度と関わりたくないのが女。
寛容な人なんだと思いました。
しかも女は年取った自分をできればさらしたくないないものです。
(それも自分を泣かせた男なんかに)…くどいですね(笑)

フェイスブックにはこんな良い話ばかりじゃなく、
おかげで幻滅した~なんてことも起きるようです。
友人の昔の恋人が「いやに家庭的な男だったのよ!
奥さんとうまくいってなかったはずなのに嘘だったんだわ!」
と思い出に水をぶっかけられたと怒っていました(笑)

私はいまさら連絡してほしい人もいないし、
過去は過去で心の中に住まわせておきたいと思っています。





2014/06/09 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

*

ムーさん、

自分を泣かせた相手には二度と関わりたくないというのは
男も女も同じでしょうね。
私も以前はそうだったと思います。
それが歳を取るに連れてそういう怒り、恨み、悔恨などのもろもろの感情が少しずつ剥げ落ちていって
そのあとに残るのは
青春をいっとき共有したという事実への静かな容認のようなもの
あれはあれで良かったのだ、という肯定のようなものです。
それは只の懐かしさという以上の、一種の感動でさえあるようです。

私を泣かせた女たちのトップにくるのは何と言っても別れた妻ですが
その彼女にさえ
いったいどうしているのだろうか?
どんな人生を送ってきたのだろうか?
とふっと考えている自分を発見して驚きました。
思い出したくない、顔も見たくない、名前も忘れたい、不幸になっていればいい、
と思ったのは昔のこと。
今では逆に、しあわせてあって欲しい、と心から願っています。

だからといって、その人の消息を尋ねたり探したりするわけでもなければ
会いたいと思っているわけでもないけれど
もし二人の軌跡が再び交わるという奇跡が起きた時には
私はそれを喜んで受け入れるだろうと思います。

ムーさんが
「年取った自分をできればさらしたくないない」 と思うのは
まだ年を取っていない証拠ですよ。(笑)


2014/06/10 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

FacebookでSeptember氏と間違えて別のひとに友達申請をしてしまい。
承認されてしまったらどおしよお?
と、逆にドキドキしています。
2014/06/10 [micio] URL #O/XG6wUc [編集] 

* Re: No title

micio さん、

承認されてしまったところから思いがけないロマンスが生まれたりしたら
まるでフレンチコメディですが
それにしてもちょっと心配。

だけどどこからそんな間違いを?
2014/06/10 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

Septemberさん

早速ですが、私の疑問を聞いていただけますでしょうか。決してアメリカを馬鹿にする気持ちで書いているわけではありませんが、もし不愉快な気持ちにさせてしまったようでしたら、先にお詫び申し上げます。

今回の初めてのアメリカ滞在の中で、「この国(まち)・・何かが嘘くさい・・」と正直なところ感じました。目がチカチカする看板、何もかもがとにかく「大きい」社会構造、カラッフルなソフトドリンクを「これでもか!」とまでに消費する人の姿、そんな環境の中で違和感を覚えずにはいられませんでした。だけどこれらは、アメリカ国外でも見られる姿なのです。私はどうしてこうも、「嘘くさい」という感情を抱いたのか・・

ということをブログにかいたところ、
「そう,この何かが嘘くさい・・・感覚は20年前の僕も同じでしたね。思いつくままに在米の(というかアメリカが一番!って感じの)友人に説明しつつ旅をしていましたが,何故かその人は僕がアメリカをバカにしている!?という方向に受け取りがちでとてもストレスが溜まりました。
嘘くさいという言葉がよくないのだと思いますが,だからフェイクって言えば良いわけでもなく(笑)。。」という意見をある方から頂きました。

何がそんなにも「嘘くさかったのか?」と今も悶々と考えているのですが、未だに答えが出ずに気持ち悪いおもいをしています。(苦笑)「嘘くさい」という表現は失礼にあたりますので、避けたいと思う反面、これ以上に自分の印象をうまく表現できる言葉が見つかりません。
2014/06/11 [YokoURL #- 

*

YOKO さん、

もちろん、アメリカの悪口を言われて不愉快になる、ということはありませんからご心配なく。(笑)

私がアメリカに暮らし始めてから20年ほど経った時に、初めてヨーロッパへ行った時のことを忘れません。
もし日本に住む日本人としてヨーロッパへ行ったとしたら、たぶん違っていただろうけど、
自分が長く住んできたアメリカの文化はもともとヨーロッパ文化の延長に過ぎないから
別に驚くものはあまり無いだろう、とごく軽い気持ちで行ったのです。
何という認識の浅さ! 
長い歴史と伝統を基にした揺るぎなくどっしりと重いヨーロッパの国々を見て、
私は大きな衝撃を受けました。
それはちょうど、YOKOさんがアメリカで感じた「嘘くささ」のちょうど真逆のものだったのじゃないかと思います。

アメリカの文化はもちろん「嘘」でも「フェイク」でもありません。
そこに住む人達にとってはこれ以上の真実は存在しないわけだから。
とくに、アメリカから一歩も外に出たことのないアメリカ人(これは驚異的に多数です)にとっては
自他共に許す世界一の大国という誇りと自信があるようですね。
そしてその誇りと自信は一歩間違えば、高慢と偏見にすり替わってしまう危険がある。
アメリカ人旅行者がヨーロッパで嫌われるのは、そんなところに原因があるのではないでしょうか。
しかもアメリカ人の持つあのフランクさ、好奇心、無邪気さ、などもそれに貢献しているようです。
実はそのフランクさ、好奇心、無邪気さ、こそ私がアメリカ人の中で好きなところなのだけど・・・

ヨーロッパでは(これは日本でも同じですが)、物事の判断には常に「長い伝統と古い習慣」が
確固とした基準となっているのかな、という気がします。
だからその基準に沿っていればあまり迷うこと無く判断は割りと楽にできてしまう。
「伝統と習慣」に反することはすべきではない、という不文律のようなものが自然とできている。

ところがアメリカにはその基準となるものが無い。
だから他国から見るとあっと驚くこと、時には眉をひそめるようなことを
アメリカはやってしまうのでしょうか?
それは逆の言い方をすれば
それだけアメリカ人は伝統や習慣に束縛されなく
自由でユニークな考え方ができる、と言えなくもありません。

YOKOさんのコメントにあまり対応できていないという気がするのですが? (笑)

でもYOKOさんのように幾つもの異文化を経験することは素晴らしいことですね。
そこから
ものの見方、考え方に自然と3D的な深みが備わってくるのは間違いないと思いますよ。


2014/06/12 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

Septemberさん

なるほど・・なるほど・・と10回ぐらい頷きながらお返事を読ませて頂きました。ご丁寧に本当にありがとうございます。

「伝統と習慣」が日本やヨーロッパほど存在しないという点は、間違いなくアメリカ文化をユニークなものにしている大きな要素だと私も思います。Septemberさんのがおっしゃるように、だからこそ自由でユニークな考え方ができるのでしょうね。日本もヨーロッパも、目に見えない縛りというのがアメリカ以上にしているのでしょうね。Facebookというもアメリカ人ならではのアイデアだったのかもしれません。(笑)

こんなことを言うと、「ヨーロッパかぶれ」などと言われてしまいそうですが、いつからか、ヨーロッパの建築を見慣れてしまった自分がいました。今回アメリカに行き、日本やヨーロッパの建築物の素晴らしさ、いや建築だけでなく歴史をもっているという事は当たり前の事ではないのだという事を改めて教えられました。私も先にアメリカを見ていれば、初のヨーロッパ旅行は大きな大きな衝撃だったと思います。

ミラノの空港のチェックインカウンターで、荷物が重すぎて止められているアメリカ人家族がいました。おどおどする事もなく、気難しくなる事もなく、思っきり笑顔で、「WAO!!」とリアクションをとっている姿がとっても印象に残っています。あ、こういう対応法もあるのかと(笑)北ヨーロッパの人であれば、急いで荷物を減らし、イタリア人であれば、リアクションは大きくとも、なんとか勘弁してもらおうと言い訳を始める気がします。Septemberさんがおっしゃる無邪気さ、好奇心のある国民性はこういうところなのかな・・。

次は、アメリカから出たことのないアメリカ人にたくさん出会える旅がしたいと思っています。今、アメリカの中部から車で旅にでた人の本を読んでいますが、やはりアメリカの旅は車があったほうが便利そうです・・ね。(運転嫌い)こうなったらバスと電車で頑張るしかありません。

まだお伺いしたい事があります。また日を改めて書込みさせて頂きます。宜しくお願いします。

2014/06/12 [YokoURL #- 

*

Yoko さん、

『僕をめぐる三人の女』 という以前の記事で
私にとってアメリカは妻、ヨーロッパは愛人、日本は母だと書いたことがありますが
日本を離れる前から「アメリカかぶれ」だったことは1度もありませんでした。
それが後年になって「ヨーロッパかぶれ」になってしまいました。(笑)

http://blog1942.blog132.fc2.com/blog-entry-21.html

それと
アメリカに住むようになってから私に起こったのは
日本文化の再認識でしたが、これは外国に住む日本人は誰もが通る道のようです。
私が日本を捨てたのはちょうどYokoさんの年齢でしたが
日本に住んでいた時にはあまり興味のなかったこと、気が付かなかったことに俄然興味が湧いてきたことです。
外に出てみて改めて日本や日本人の良いところ(や良くないところ)を認識した
という事なのかな。

アメリカから出たことのないアメリカ人に出会ってみたいとYokoさんは書いていますが
アメリカの素顔を知るにはそれが最良の方法でしょうね。
私なりの印象をこれも以前の記事 『斜線の国から来たアメリカ人』 に書いているので
ご紹介します。

http://blog1942.blog132.fc2.com/blog-entry-90.html
2014/06/12 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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