過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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夕やけ小やけで日が暮れて
Somerville, Massachusetts 1988


僕らの家族がボストンでの最後の数年を過ごしたサマ-ヴィルの家の話は前に書いた。
ニューイングランド地方によく見られる、トリプル・デッカーと呼ばれる3階建ての古いアパートで、その1階を僕らは借りて住んでいた。 1階だから裏には小さいながら庭がついていて、まだそのころは幼かった二人の子供たちのために、滑り台や砂場を置くこともできた。
その庭から金網をはさんで隣家の大きな菜園があり、そこにはチューリさんというイタリア人の老夫婦が住んでいた。 老夫婦は自分たちの菜園で採れる見事な野菜類を籠に摘んではわが家に届けてくれた。 それはトマト、バジル、ペッパー、スイスチャート、ズキニ、などで、どこの八百屋で買うものよりもずっと新鮮で美味しかった。 そして、必要な時にはいつでも菜園に入って行って勝手に摘んでいいんだよ、と言ってくれた。 このチューリ夫妻は子供さんが成人して家を出たあとの二人だけの暮らしだったから、僕らの子供をまるで自分たちの孫のように可愛がってくれた。 家の中に子供たちの姿が見えないと思う時は、決まって隣家の菜園で夫妻に遊んでもっらているのが我が家の寝室の窓から見えた。

このチューリさん夫妻と初めて話をしたのは、僕らが引っ越してきたその日に隣の菜園で何かを植えていたチューリ夫妻が近寄ってきて、跨(また)げばすぐ越えられる低い金網の向こうから、イタリア訛りの強い英語で初対面の挨拶をしてきた時である。 老夫婦の眼が妻の眼と合った時に、双方であっと言って立ちすくんだまま言葉が出てこなかった。 次の瞬間に双方でお互いの名を呼びあうと、金網越しにしっかり抱き合っていた。 そばにいた僕は何が起っているのかまったく訳が分からず、ポカンとしてそこに立っていた


話はその時から10年前にさかのぼる。
妻がまだ20代の半ばで、僕と出会う数年前にスカンディナビア半島に旅行をしたことがある。 グループツアーでデンマーク、フィンランド、スェーデン、ノルウェイを廻る二週間の旅だった。 そのグループでたまたま一緒になったのがチューリさん夫妻と娘さんのマリアンの3人連れだったのである。 彼らは たぶんひとりぼっちでツアーに参加していつもまごまごしている妻を見て可哀相だと思ったのだろう、声をかけてくれてそのあとの旅程を4人は文字通り朝から晩までまるで家族のようにいっしょに過ごしたらしい。
その頃の妻はあまり金に余裕のない生活をしていて、その時の旅行もギリギリ最低限の予算で来ていたから 最終地のノルウェイに着くころには資金が尽きてしまい、自由行動になってもツアーに組み込まれている食事以外にはレストランに入る金も、美術館などに行く金も無くなっていたそうだ。 (そのころからすでに、予定とか予算にはまったく気を使わない人だったという証拠がここにもある)。 そしてそれを知ったチューリさん一家が親切にもそのあとの面倒をすべて見てくれた、という話は僕ももう何度か聞かされていた。

アメリカに帰って来たあと、ニューヨークに住むマリアンと妻との間で手紙のやり取りがずっと続いていたそうだ。 それにもかかわらず、サマーヴィルに住む彼女の両親の住所などは、妻はもちろん知らされていなかったのである。

トニーと呼ばれていた御主人は、むかしイタリアのどこかの小都市で長いあいだ警官をしていたそうだ。 痩せ型で背が高く若い頃はさぞ女性に騒がれただろうと思わせるような美男子だった。 僕はよくトニーさんに、何でもいいからイタリア語を喋って欲しい、とお願いして、意味も分からないままにその音楽のような響きを、うっとりとしながら聴いていたものである。
奥さんの方は生涯を教師として終えた人で、御主人よりも英語がずっと達者で料理の好きな人だった。彼女のイタリア料理を、僕らの一家はどれだけご馳走になったことか。

あれだけ長い年月を過ごして、僕らの子供たちにとっては生誕地であるボストンなのに、最後に訪れてからもう15年も経ってしまっている。 その時は、大きく成長した子供たちを見せに、懐かしいサマーヴィルのチューリさん宅へ行った。 トニーさんはその数年前に亡くなり、奥さんがひとりでひっそりと暮らしていた。
荒れた菜園には作物はもう無く、その向こうに、僕らの一家が住んだアパートの裏庭が見えていて、そこには幼児と遊ぶ若い母親の姿があった。 ぼんやりとそれを眺める僕の眼に、その若い母親とあの頃の妻の姿が重なった。
そして見事に手入れの行き届いたチューリ夫妻の菜園でトニーさんがホースで水を撒く、あの水音が耳に響いているような気がした。
そういえば、トニーさんが呉れた赤唐辛子は涙が出るほど辛かったなあ。


関連記事: 『サマーヴィルのころ



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コメント:

* ひとこと

いい物語りです。

読んでいて、何と言うか・・・・・、いい物語りです。
2014/09/10 [henri8] URL #av6ed.vY [編集] 

* 「汽車の旅」のコメントのこと

先日の「汽車の旅」のコメント欄の話題、軌間変換のこと、
”鉄爺”さんの新しい記事を紹介します。
(会員のみのSNSなのでURLが開くかな)

http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=239034
2014/09/10 [henri8] URL #av6ed.vY [編集] 

* Re: ひとこと

henri8 さん、

ありがとう。
嬉しいコメントでした。
2014/09/10 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: 「汽車の旅」のコメントのこと

henri8 さん、

ちゃんと開けてふむふむと頷きながら読みました。
鉄爺さんの鉄道に関する知識はすばらしいと思った。
ウィキペディアにさえ記されていないこういう情報はもっと世界中の人とシェアして欲しいですね。
それにしても、一つのことにこれほどの情熱を傾ける事が出来る人はしあわせだと
つくづく思いました。
2014/09/11 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

写真の真ん中は坊ちゃんですか?
後ろ姿だけどはっきり日本の男の子してますねー(笑)
かわいいねー。
2014/09/11 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: No title

ムーさん、

そう、銅が長くて足の短い日本人体型は誰から受け継いだのでしょう?
でもそのおかげで高校生の時にやったレスリングではなかなか強い選手でした。

ところで
ムーさんは自分の子供さんのことに言及したことはなかったと思うけど
なんとなく娘さんがあるような気がしていたのはあれは錯覚でしょうか?
2014/09/12 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 証拠....

そんな夢のような再会ってあるのですね。梟サロンは奇跡のようなめぐりあわせでいっぱいだけど、このご縁はSeptemberさんご一家にとってもチューリさんご夫妻にとってもどれだけお幸せなことだったろうかと思います。

ところで、奥様について「予定とか予算にはまったく気を使わない人だったという証拠がここにもある」と書いておられるのを読んで、あら、それは初耳ですよとまずは思いました。でも、確かにそうかも、証拠はほかにもあるかもと考え直しています。(ぎゅぎゅっと奥歯にものがつまっております。もごもご)

ええと、とにかく、Septemberさんと結婚してくださってありがとー。(激しくもごもごもご)
2014/09/12 [うらら堂] URL #PTRa1D3I [編集] 

* Re.証拠....

うららさん、

妻が予定とか予算には全く気を使わない人だった「証拠はほかにもあるかも」とはどういう意味ですか?
私のような根無し草の男とあとさきも見極めずに結婚した、という事実ですか?
うららさんらしくないもごもごした言い方、
ハッキリと言ったんさい。(笑)

チューリさんの娘、マリアンがアシスタントとして長く勤めていたLaw Firmは
ニューヨークのWorld Trade Centerの中にあって
2001年の9月11日の朝起きた時に、体の調子が悪くて出勤しようか休もうかさんざん迷ったあげく
ええーい、休んじまえと事務所に電話を入れたあとまたベッドにもぐりこんだそうです。

これを書いていてはっと気がついたのは
今日はその9月11日でした。
2014/09/12 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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