過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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死を見つめるひと

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二人の女
Palais des Papes, Avignon, France



ディックが僕に電話をかけてくるのは珍しいことだった。
アンティークのギャラリーを経営するディックとリンダの夫婦は僕の古い友達だった。以前からそのギャラリーに少しだけ関係していた僕は、商売のことでよく話をすることはあっても、そんな時の相手は大抵リンダだったからである。今では80歳をこえるディックはギャラリーは20歳年下のリンダにほとんど任せていた。

「ブライアンのことはリンダから聞いただろう?」 とそのディックが云う。
「つい最近、リハビリの施設に入ったんだ。しかし身体の方のリハビリが効いても効かなくてもその先は長くないらしい。俺とは何しろ30年以上の付き合いだからね、もう何度か様子を見に行ってるんだけど、今日行ったら、その彼がお前さんの顔が見たいと云ってるんだよ」
それを聞いてちょっと驚いた。ブライアンにALS(ルーゲーリック病)の症状が現れたという話は去年の春に聞いていて、今年になって施設に入ったということも知っていたが、彼と僕とは前にたった1度会っただけの間柄(あいだがら)だったからである。

ブライアンと会ったのは数年前、僕がディックとリンダのギャラリーで写真の個展をやった時、そのオープニングのパーティで紹介されたのが初めてだった。その時の彼の印象はかなり強烈だったといっていい。50歳を過ぎたばかりらしいブライアンは、一次大戦の戦闘パイロットが使ったすり切れの皮ジャンを着て、精悍な髭面に若者のような黒い目が光っていた。日本の浮世絵の蒐集をしているという彼が、北斎や広重の浮世絵の構図と僕の写真のコンポジションとの類似点を明確な言葉で論じるのを、非常に興味をそそられて聽いた。それだけではなく、僕が若い時代を過ごしたボストンに彼も同じ頃住んでいたことがわかったりして、話は次から次へと発展しそうな中で、オープニングの当事者である僕は彼だけに独占される時間を許されなかったのは残念だった。
いつかゆっくりと話そうよ、とその時は云いながら機会が無いままに数年が過ぎてしまっていた。



そのリハビリの施設は昔の州立精神病院を改築して建てられた大きな建物だった。明らかに人工とわかる池と林を挟んですぐ隣りの敷地にはこれも大きなビルがあって、そこは僕の義父が亡くなる前の最後の数か月を過ごしたホスピスだったから、僕は何度か来たことがある。この一画を車で通るたびに条件反射的に「死」のことを考える、そんな年齢に自分も近づいていた。

施設の玄関に車を停めた時、入り口の脇にある喫煙場所にディックとブライアンの姿を見た。車椅子に座って煙草を口にくわえたブライアンの前に、煙草を吸わないディックが立っていた。もっとやつれたブライアンを予想していたから、最後に会った時とほとんど変わらない彼を見て嬉しかった。しかし、握手のつもりで腕を差し出してきた彼の手は大きく膨(ふく)れあがって、指が異様に変形していた。開くことのできないその拳(こぶし)を僕は上からそっと握って挨拶をする。
最初に彼の口から出た言葉は
「そのコート、とってもいいよ。その仕立てはロンドン製じゃないの?」。
その通りだった。10年も前に買ったそのツイードの、膝下まであるトープ色のコートを僕は今だに愛用していたのだ。
「僕は気に入ってるんだけどね、女房はどうもそうじゃないらしくて、一緒に出かける時にこれを着るのを嫌がるんだよ」 と答えた。彼は笑いながら
「たぶん、ギャングの親分か芸能界の大物みたいに見えるからでしょう」 と云ったが、これも女房の云った言葉そのものだった。

そんな他愛無い会話をしているうちに僕の緊張も少しずつ緩んできたようだった。眼の前に死を見ている人にいったい何を話せばよいのか、僕は朝からずっと考えていた。そして怖かった。人の判別もできなくなった高齢の病人を見舞ったことは何度かあるが、死を前にしてここまで明晰な意識を持った人を相手にした経験が僕には無かったからである。
指の使えないブライアンは吸い終わった煙草を口から吸殻入れに落とすと、ディックを向いて 「もう1本いい?」 と訊いた。煙草を吸わないディックがポケットから煙草の箱を取り出すと1本抜いてブライアンの口にくわえさせた。それにライターで火を点けてやった僕も自分のを取り出して吸い始めていた。

死をすぐ目の前にしながら、ブライアンのように落ち着いて生きることなど自分にはできるだろうか、と思う。彼とて一時は人には想像もできない心の葛藤があったに違いないのに、それを乗り越えてこんな静かな心境にたどり着くことができたのか。もし、一日一日と確実に死に向かって近づきながらいまだにその苦しみを抱えてているとしても、絵や写真のことをしゃべり続けるブライアンの口調や表情からそれを読み取ることはできなかった。
人間には例外なく死が待っているという事実を我々は普段の生活の中で考えることはない。若者にとっては死などは存在しないに等しいだろう。それがこの56歳のブライアンのように、鼻先に死という怪物をぶら下げながら生きる人を前にして、僕の口から出るどんな慰めの言葉も健康な人間の傲慢としか響かないだろうと思えた。僕にできるのは、彼の話を聞いてあげること。心を通わせて彼と話をすることーーーそれだけだった。


摂氏0度に近い外気の中に長いあいだ居たので、さすがに3人共寒くなってきた。ブライアンの操る電動の車椅子を先頭にして中へ入る。長い廊下の両側には何十という個室が並んでいて、ランチの時間が終わったばかりの屋内には給食に出た食べ物の臭いがこもっていたが、それはまるで食欲をそそらない、薬品のような臭いがした。
ブライアンの室の壁には彼が持ち込んだ大きな複製の絵が掛けられていた。殺風景で非情な病室を、その絵が人間の息づく温かい空間に変えていた。30年近く前にデイトン美術館で催されたオクトーバーフェストのそのポスターと同じものを、僕もずっとあとになって手に入れていた。そういえば彼はあの美術館で仕事をしたこともあったのだ。
僕は帰宅したあとそのポスターを取り出して改めて眺めながら、死期を前にした一人の男はこの絵に何を見て何を感じているのだろうか、と思いをめぐらせた。


P9270793-blog3.jpg

オクトーバーフェスト
Dayton Art Institute








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コメント:

*

私の経験では、しっかり意識があるのに、でもこれから死を迎える人の目には、死という言葉が見えてきませんでした。例えば病気よりも、精神的に病気により死を考えている人のほうが、淀んでいる気がします。もちろん絶対的とはいえないけども。
2015/02/06 [inei-reisanURL #pNQOf01M [編集] 

* Re: No title

inei-reisan さん、

身体の病気なら辛くても痛くても我慢ができて自分なりの対処ができるんじゃないか、
しかし精神を病むことだけはしたくない。

そう思う一方では
精神を病むほうが本人にとってはずっと楽なのかも知れない、なぜなら
自分という存在が消えてしまうわけだから。

どちらにしても
私はもし難病にかかったら(痛み止め以外は)治療を受けるつもりはありません。
2015/02/06 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015/02/06 []  # 

* Re: いま

鍵コメさん、

メールをチェックしてください。
2015/02/06 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

今日のテーマは難しい。
死は恐くないけど、プロセスが問題ある。

精神を病むと言っても突然何もわからなくなるわけじゃないらしい。
自分がおかしくなっていく、それはきっと怖いことだと思う。

September30さんはクリスチャンでしたっけ?
たしか教会に行く話を読んだ記憶があります。
私は無宗教なので信仰を持っている人はどうなんだろうと思います。
いま生きていることも神様の意思であり、
死ぬことは神に召されること。
そして天国があると信じられる人達。
神様に丸投げしちゃえば思いわずらわないですむんだろうか?
だとしたら信仰は良い知恵かもしれないと思ったりもする。
でも、私には一神教のエエゴイズムがどうも信用ならない。
というわけで信仰が持てない。
身近にキリスト教の人がいるんだけど、
話を聞いてるとどんどん喧嘩のようになっちゃう(笑)
だってつじつまが合わない話なんだもーん。
向いてないなー理屈っぽいのかな私。

というわけで死についてはまるで解決しません。



2015/02/08 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: No title

ムーさん、

私ほど敬虔なカソリック教徒はあまりいないでしょう。
日曜日には欠かさずミサに行くし
どうしても行けない時は次の週に2度行きます。
それを怠ると
天国行きの予約切符を手にすることができないから。

聖堂でお祈りをしていると心がきれいに洗われて
今さらのようにイエス・キリストのお慈悲をありがたいと思うのです。
教会へ行くのは20代のころから変わらずに続けていますが、
この歳になっても時にはに邪悪な行為や言動をしたりする事があると
今でも年に数回は牧師さんに懺悔をします。

私はまた、死をちっとも恐れません。
天国で主イエスのみもとに置いてもらえることを思うとむしろ早くそこへ送ってほしい
毎日それを願っています。

カソリック教徒ですから
私は離婚も浮気も自慰も自殺も許されません。
そんなもろもろの誘惑や堕落に犯されること無く
長い人生を今まで清廉に生きてこれた事を
自分でも神に心から感謝しています。

ムーさんのような迷える子羊を見るたびに心が痛み
深い compassion を感じます。

神の救いの手がすぐ目の前まで伸ばされているのに
それに気がつかない哀れな盲目の人達に、さちあれ...
アーメン


と、いいかげんな出任せを並べたのは
ムーさんにクリスチャンと思われていたのがちょっとしたショックだったから。(笑)




2015/02/08 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

やだもー(笑)
からかわないでください~
最初の一行で「え?」と思い、
2段目に来て「うそだ」と思いました。
文体まで変えてあるんだもん(大笑い)

クリスチャンでも私生活はめちゃくちゃな人いるからなー、
ひょっとしてひょっとしたかもでしょう?
でもそうよねー、
わたしよりずっとメチャクチャしてきたSeptember30さんが、
んなわけないよねー(笑)



2015/02/08 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: No title

ムーさん、

えっ クリスチャンで私生活がめちゃくちゃな人なんているの? 嘘でしょう?

いや、おふざけはもう止しましょう。(笑)
一神教のエゴイズムが信用できなくて自分は信仰が持てない
というムーさんと、私もピッタリ同じ意見であるだけに、そのムーさんからいきなり
「あんたはん、クリスチャンやろ?」 と言われて驚いただけです。
ちょうどほら、長年付き合っている愛人から「あんた、奥さんいるの?」 と訊かれた時みたいに。
今さら何を? と思ってしまったわけ。
クリスチャンへの攻撃(皮肉かもしれないけど)ではありません。
2015/02/08 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 死にゆく人たち

病院の内科病棟や、ホスピスで若い頃にボランティアをしていました。死期を知っている人にも様々な感情の起伏があり、決していつも淡々としているわけでも嘆き悲しんでいるわけでもないと学びました。人の心はモザイク模様のようですね。たくさんの色調、濃淡の小さなタイルが複雑に組み合わされてできています。死期をとりあえず知らずに済んでいる者にできることは、その様々な色合いの感情を、判断せず、批判せず、モザイク画の全体を見渡す視界を確保しながら見つめることなのではないかと思います。

私は感情の表出がイマイチ苦手ですが、心の中では嵐の海のように荒れ狂っていることもあります。そんなとき、更に言葉で適切に表現できない異国にいると、閉じ籠められたような感覚に陥ります。今はとても苦しいです。かててくわえて誰にも言えないことを抱えているのはつらいものですね。
たぶん、死にゆく人たちもそうなのかもしれません。彼岸と此岸とではことばがもう違うから。
2015/02/09 [nico] URL #- 

* Re: 死にゆく人たち

nico さん、

死期に近い人達に囲まれて仕事をなさったことは
普通の人には得ることのできない貴重な経験だったことでしょう。
私の母が癌で亡くなった時に私は20歳になったばかりでしたが
母にとってはたった一人の子供であった私の行く末を見ないままに逝ってしまうのは
死んでも死にきれない心情だったのではないか、と思いました。
息を引き取る数カ月前から親類のものに勧められて天理教に入ったのも
宗教にはまったく興味のなかった母にとっては最後に何かにすがりつきたかったのでしょうね。

数年前に『死ぬ時に思うこと』という記事を書いています。

http://blog1942.blog132.fc2.com/blog-entry-355.html



異国での生活を一人で始めるのは大変なことだろうと推測します。
たとえ言葉が通じても心が通じるところまで行くのに、私には何年もかかったようです。
絶望しても帰る国を持たなかったことが、逆に自分を図太くしたのかもしれません。
nicoさんの繊細すぎる神経をしばらくの間は引き出しに閉じ込めてやりましょう。
死にゆく人と自分を重ねたりしてはいけませんよ。(笑)
2015/02/09 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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2015/02/09 []  # 

* Re: No title

鍵コメさん、

私信を送りました。
2015/02/09 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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2015/02/09 []  # 

* Re: メールアドレス

鍵コメさん、

sabikoron で始まるアドレスに送ったのですが...
2015/02/09 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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