過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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古い日記から

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Restaurant "Half Shell"
Boylston Street, Boston, Massachusetts USA



〇月〇日
明け方、あまりの寒さに目が覚める。 暖房費を払わないので2日前からヒーターをとめられている。 皮肉にもきのうからすごい大雪になり、気温が摂氏零下15度まで下がってアパートの中も外とあまり変わらないような寒さだ。 仔猫のムチャチャもベッドで僕の足元の毛布の上にへばり付いて震えている。 僕はごそごそと起き出すとクロゼットから厚手のセーターを引っぱり出して頭からかぶり、そのまま、またベッドにもぐりこむ。 ムチャチャを胸元に引き入れると、僕は横向きに背中をまるめて、手足を思いきりちぢこめてまるで胎児のようなかっこうで眠りにつく。 人間はどんな孤独にも耐えられるけど、この寒さには耐えられない、などと思いながら。

〇月〇日
出て行った妻が電話をしてきて、残していった衣類を取りに来るという。 わざわざ電話をかけてきたのは、顔を会わせないですむようにその時間にはアパートを空けておけということだろう。 さいわい今日はレストランで昼夜と働く日なので、僕は昼前に出かけたまま夜遅くまで帰っては来ない。
出かける前に、廊下とベッドルームの両方のクロゼットに、ハンガーにかかったまま残されている妻の衣服をまとめてベッドの上に重ねる。 タンスの引き出しに妻の下着がまだ残っているのを、どうしようかとしばらく迷ったあげく、そこまですることはないだろうと、それはそのままにしておく。 ムチャチャはどうするの? 連れて行くの? と紙切れに書いて鏡台の上に置く。
今日は金曜日だからレストランは忙しくなるだろう。

〇月〇日
学校のアルバイトで写譜をした金が入ってきたのでガス代を払う。 これでヒーターも入るだろうし、第一、何日かぶりで熱いシャワーを浴びられる。 外は大雪である。 何となく人が恋しくなって(ポケットには金もあるし)うんと厚着をして、エスキモーの着るようなコートを着ると外に出る。 雪道を歩いて行く先は行きつけの "Half Shell"。 嵐のあとでしかも時間が早いので客は僕ひとりだった。 バーのいつもの席に腰かけるといつものバーテンダーが 「よう、元気かい?」 と言ってくれるのに 「あまり元気じゃなかったよ」 と答える。 しかし今の気分はけっして悪くない。
ふだんは自分が働く日本レストランで飯にありつけるけど、たまにはよそでも食べてみたい。 ギネスの黒ビールに生牡蠣を1ダースぺろりと平らげる。

〇月〇日
ニューイングランド音楽院の声楽科の学生、アンがアパートにやって来る。 アンは (オペラ歌手がみんなそうであるような) 豊満な体を、するりとドアのあいだから滑りこませるようにしてやってくる。 そして僕にとっては久しぶりのマリワナを巻いてくれる。 極上のやつだ。
アンの卒業リサイタルに (まだ先のことだけど) 彼女の伴奏を一曲だけやってくれ、と頼まれる。 曲はフォーレの 「月の光」。 僕の好きな曲だ。 いいよと承諾する。 あれはソプラノの曲だと思ったらアルト用の編曲もあるらしい。 彼女が譜面を持参していたので、僕らはピアノの長イスに並んで腰かけるとさっそく二人でやってみる。 アンの優しくてやわらかな中音域の声を耳のすぐそばで聞いているうちに、僕の内部にこのところ膨らみ続けていた暗く刺々しい感情が、急速に萎えていくのがわかる。

帰りぎわにアンは僕の肩に手を置いて僕の目をすぐ近くから覗きこむと 「あなた、だいじょうぶ?」 と尋ねる。
「うん、だいじょうぶだよ」 と答える僕。
それからアンは下から僕の顔を見上げながら言う。 「あなた、わたしを抱きたい? 抱いてもいいのよ。 それであなたがもとのあなたにかえることができるのなら」
一瞬、僕は彼女の優しさに胸がいっぱいになる。
「わからない。 でもたぶんそうしない方がいいと思う。 今の僕は誰とも新しい関係に入るべきじゃないような気がする」 
アンは僕の頬にそっとキスをすると 「わかったわ。 来週のいつかステージでリハーサルをしましょう。 電話するわ」 と言って、来たときのようにまたするりとドアのあいだから抜けるように帰っていった。
 

〈月の光〉





〇月〇日
土曜の夜。 アンに無理やりに連れ出されて行った先のパーティで、いろいろな人に紹介される。 ほとんどがクラシック畑の若い音楽家だった。 酒を飲みマリワナを吸い、チェロの独奏あり、ピアノの連弾あり、歌曲あり、弦楽四重奏あり、と次から次にみんなが代わる代わる演奏する中で、僕も乞われてジャズを弾いた。 珍しく良い音のするグランドピアノが置いてあったから。 それからアンが僕の伴奏で 「月の光」 を歌う。 

〇月〇日
雪の降るニューバリー・ストリートを歩いていて妻とQの二人連れにばったりと会ってしまう。 一瞬お互いに顔を見合わせてちょっとだけ頷くと、言葉も交わさずに行き過ぎる。 いつのまにか自分がシッポを脚のあいだに挟んで退散する負け犬のような気分になっていることに気がついて、われながら嫌になってしまう。
もうたくさんだ。 ボストンの冬がつくづく嫌になる。 寒くて陰鬱でまわりの風景はすべて荒涼としている。 まるで自分の内臓をそのまま曝けだしたかのように。

〇月〇日
イーグルズの 《Hotel California》 を聴いて心は西海岸に飛んでいる。 とくに好きなグループというわけではないが、この曲は好きだ。 同じ哀感でも、燦々(さんさん) と明るいカリフォルニアの陽光の中でのそれには若さと夢が溢れている。 冬のボストンのように陰鬱で老人くさくない。

Hotel California.......
You can check-out any time you like,
But you can never leave!

一度行けば二度と離れたくないそんな場所がこの世にあれば、いつか行ってみたいと思う。



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コメント:

*

ワタシにはSeptemberさん永住の地アメリカが実はそうではないようにみえます。きっとそこでは飽き足らないんではないかと。どこかへまだ行ってみたいのではないかと。前日のブログを読んでそう思っていたら今日の最後の一言でした。
まだ源流探しの旅は終わってないんですね。
2010/12/02 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

* Re: No title

上海狂人さん、
アメリカにちょっと長く住みすぎた、というのが正直な気持ちです。
放浪性のあるひとは定着する場所を常に求めるそうですが、自分もそうかな、と思います。
これは源流探しの旅ではなくて、死に場所探しの旅なんです。(笑)
2010/12/02 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

*

september さん、お邪魔します。
かつてモダンを聴きながら、ようやくビートルズ等のロックを聞くようにもなり、「ホテル・カリフォルニア」もよく覚えています。今聞きながら思うに、こんなに濃密な詩情が籠もっていたとは!
涙しそうになりながら、昨夜NHKに出演した秋吉敏子の「Long Yellow Rord」を思い出していました。というより初めてこの曲を聴いた感激のことを。今や80歳を越す彼女はピアニストとして致命的な病で指が動かなくなり、手術で動くようにはなったものの、だから演奏が今一つということはしょうがないことでした。
C'est la vie!
2010/12/03 [pescecrudo] URL #- 

*

ペッシェクルードさん、
秋吉敏子さんは私と同じ中国大陸からの帰還で、"Long Yellow Road" は彼女の大連の記憶でしょう。
「からす、なぜ鳴くの?」に似たメロディで始まるあの曲の最初のレコードでアルトサックスを吹いたチャーリー・マリアーノさんと結婚したのでした。
しかも秋吉さんは私が行ったボストンの学校の大先輩で日本人ではたしか最初の留学生だったと思います。
夫君のチャーリーさんはあのころは学校の講師をやっていて、わたしとは結構親しかったのです。

That's life です。
2010/12/04 [September30] URL #bncAx0zQ [編集] 

* Long Yellow Road

Septemberさん、

マリファナの記事から古い日記のコメント経由でこちらに来ました。

私はジャズはほとんどダメでCDも数枚しか持っていないのですが、そのうちの1つは秋吉さんのです。20年以上前にNHKで秋吉さんが数十年ぶりに生まれ故郷を訪ねる様子をドキュメンタリー風にまとめたものを見て、それですっかりやられてしまいました。当時は秋吉さんが初めてピアノを習った時の先生がご存命で、感動の再会に私ももらい泣きしそうになりました。

こどものころはレッスンのために先生のお宅に通っていたのだけれど、寒い冬の間は、先生のお宅に着くとピアノを弾く前にお湯で手を温めくださっていたそうです。師弟関係やレッスンの内容について、そのエピソードがすべて語っているように感じました。

Long Yellow Roadは、大連ではなくて生まれ故郷の埃っぽい田舎の道なのではないかなあ。それも、先生のお宅へと通じる道。というのが、うららちゃんの今年の初妄想です。

それにしても、「からす、なぜ鳴くの?」は、思いつきませんでしたが、そういわれてみると確かに... アジアのかほりがただよう曲ですが、その秘密はこんなところにもあるのかしら
2014/01/05 [うらら堂] URL #PTRa1D3I [編集] 

* Re: Long Yellow Road

うららさん、

Long Yellow Road とは秋吉さんの子供の頃の記憶に残っている
あの中国特有の黄土の道には間違いないと思います。
それを考えるとうららちゃんの妄想はきっと正しいでしょう。

上のコメントに書いたように
この曲は最初にチャーリー・マリアーノといっしょにレコーディングしていて
私はそのチャーリーのアルトサックスにぞっこん惚れこんでいたのです。
その演奏をぜひうららさんに聴いてほしいと思ってさんざん探したのに
どうしても見つからなかったのは不思議でした。
出てくるのはすべて後年のご主人になったルー・タバキンのオーケストラとの演奏ばかりです。
ようやくタバキン自身がサックスを吹いているカルテットの録音を見つけましたが
チャーリーとのそれにくらべると残念ながら
若さとスリリングさと奔放さからは比較になりませんでした。

下衆の勘ぐりですが
秋吉さんはチャーリーとのことは思い出したくなかったのでは、と。
私がチャーリーに会ったのは秋吉さんとの離婚後すでに数年経ってからでした。
彼は一口に言うと大人のヒッピーという感じで何事にも束縛されることの嫌いな男で
私のいた学校で教えていながら学期の途中でいきなりヨーロッパへ行ったりして
責任感を持つ教師とは言えなかったようです。
しかし憎いほど魅力的な男で周りには常に女性がいました。(イタリア系だから当然?)

日本食が好きで学校のすぐそばにあった私のアパートへ
時々食べに来たのを思い出します。

「カラス、なぜ鳴くの?」 はある時チャーリーが
「あの曲はトシコが日本の童謡からアイデアを得たんだよ」
と言ったのを私が覚えていたからです。
2014/01/05 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* ちょっとした奇跡

Septemberさん、

お手数をかけていただいてありがとうございますというか申し訳ありませんというか、実は、ただ今、探してくださったバージョンの演奏を聴いております。

というのも、私が持っている秋吉さんのCDというのは、"TOSHIKO MARIANO QUARTET"なのです。(録音は1960年12月)20年前にシカゴで求めました。

久々に解説を読んでみると、問題の曲については、書き出しが "Toshiko's THE LONG YELLOW ROAD began in part as a memory of her childhood in Manchuria where the roads seemed to stretch into an endless yellow distance."となっています。私はこれをうっすらと記憶していただけなのかもしれません。

Septemberさんは、このアルトサックスのチャーリーさんをご存じだったのですか。。。
2014/01/05 [うらら堂] URL #PTRa1D3I [編集] 

* Re: ちょっとした奇跡

うららさん、

それは奇跡でした。すごく嬉しいです。
あのチャーリーの悲痛な叫びにも似たアルト・サックスの音は
今でも鮮明に耳に残っています。

今回の検索で二人の間にできた女の子「Monday 満ちる」 さんはやはりミュジシャンとして
日本で大活躍をしてきたということを知り、その写真を見ましたが
私の知る若いチャーリーの顔がそこにはっきりと残っていました。
2014/01/05 [September30] URL #- 

* 奇跡の続き

Septemberさん、

私は秋吉さんのピアノが聴きたくてこのCDを買ったということもあり、このサックスは音量も表情もちょっと大きすぎではないかい?!と感じていたのですが、このたび改心いたしました。

満ちるさんのサイトへも行ってみました。うつくしー。2歳くらいのときのお写真なら見たことがあったのだけど、それ以来なので、びっくりしました。お幸せそうでよかったです。

ところで、pescecrudoさんのコメントで秋吉さんの指の不調のことを知ったのですが、今、帰国しておられて、川崎でコンサートに出演なさっていたようです。1月5日。ちょうど昨日のことです。
2014/01/06 [うらら堂] URL #6facQlv. [編集] 

* Re: 奇跡の続き

うららさん、

ああーそうだったのですね。
秋吉さんはまだ健在であのエネルギッシュなピアノを弾いてるのですね。
偉大な先輩がまたまた強い励みを送り続けてくれているのを感じました。

それからチャーリーのアルトの音は確かに耳に心地よく入ってきて、心を癒してくれる
という種類の音ではないですよね。
でもそれを受け入れられる人には何かを強く訴えてきて共感さえ感じます。
そんなところがクラシックとの大きな違いかもしれません。
前にブログに載せたオーネット・コールマンなんかもそれでしょう。

http://blog1942.blog132.fc2.com/blog-entry-206.html

それから私の好きなジャッキー・マクリーンもそうです。

http://blog1942.blog132.fc2.com/blog-entry-108.html

2014/01/06 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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