過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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ケネディのこと

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オーバルオフィスのケネディ親子


アメリカでは来年の大統領選挙を控えて、すでに激烈な選挙戦がくり広げられている。
数多くの候補者の演説に、オバマやブッシュを始めニクソン、レーガンなど過去の大統領がよく引用される中で、僕にとっては何といっても1番馴染み深いのはケネディの名だった。
それには幾つかの理由がある。


1963年11月22日の午後1時半、といっても日本時間にすると23日の早朝になるが、ケネディが暗殺された日は僕には忘れられない。
というのはその頃の僕は、大学へあまり顔を出さないで横浜の米軍キャンプで毎夜ジャズを演奏していた。 ゲートを抜けて1歩中へ入るとそこはもうアメリカだったから、自国の大統領暗殺というとてつもない大事件へのアメリカ人の反応を目の当たり目撃してしまった。 僕ら日本人にとってもあの臨時ニュースは大きな衝撃だったが、米軍キャンプ内はその比ではなかった。 その日の夕方いつものように車でキャンプに乗り入れると、ゲートでチェックするアメリカ人警備兵の顔つきからしてすでにいつもとは違っていた。僕らの仕事場であった将校クラブには多勢の高官連中が詰めかけていて、沈痛な面持ちでひそやかに顔をつきあわせているその雰囲気には今まで見たことのない異常なものが感じられた。 彼ら職業軍人にとっては大統領は軍隊の最高責任者、いわば自分たちの大ボスであったから、その突然の死、しかも暗殺というセンセーショナルなニュースは、普通のアメリカ市民とは比較にならないほどの大打撃であったに違いない。
その夜のクラブ演奏はもちろんキャンセルされて、僕らはそのまま、頭上に飜える半旗を見ながらゲートへ引き返した。


それから5年後の1968年の春から夏にかけて、僕は沖縄の米軍キャンプに3か月の仕事で出かけていた。
それまでに僕はすでに結婚していて、幾つかのバンドを転々としながらピアノを弾いていたが、米軍キャンプの仕事を取ったのはあの横浜以来だった。
ケネディ大統領の弟、上院議員のロバート・ケネディの暗殺がこの時に起こったのは、何という偶然だろう。
そしてその2年後に僕は日本を捨ててアメリカへと渡ってしまう。


ケネディの3兄弟のうち一人だけ残された最年少のテッド・ケネディも1962年頃からリベラルな上院議員として政界に乗り出していた。 それがロバート・ケネディの暗殺の翌年、1969年には、マーサズ・ヴィニヤードのチャパキデック島でパーティのあと運転を過って運河に落ち、本人は水に沈む車からの脱出に成功して命をとりとめたものの、同乗の若い女性を死なせてしまう。 あの事故がなければ、テッドは間違いなく大統領の候補になっていたはずだった。


そしてさらに、11年後の1979年。
当時のカーター大統領が、ケネディのホームグラウンドであったボストンの郊外に、JFケネディ記念図書館を設立した時に、僕はボストン市内のある写真ラボで暗室技師として働いていた。 日本を離れてからすでに9年のあいだ、僕はボストン内外で写真を生業としてうろうろと生きていたのである。 そして新しくクライエントとなったこの図書館の依頼で、写真のアーカイブの仕事を受け持つことになったために、僕は何百枚ものケネディの写真をプリントすることになった。 その中にはすでに大新聞やライフ誌などに載せられて有名になった写真もあったが、大部分は未公開のものが多かった。 ケネディの少年時代の家族写真、大学時代のクラス写真、成人して政界に足を踏み入れたばかりの頃の写真、ジャクリーンと婚約した頃の写真、そして大統領となったあとの公的私的を含める膨大な数の写真、それらの有名無名の写真家達が撮ったオリジナルのネガに囲まれて、僕は暗室の中で毎日のようにケネディとケネディ一族に対面していた。


僕が制作した数百枚のプリントはそのまま今もケネディ記念図書館のアーカイブに残されているはずだ。 今、インターネットで検索してみると、出てくる画像の中にはあの時僕が制作したプリントがかなりあるようだ。
冒頭の写真もその1枚。 これはケネディが狙撃される前年に撮られた写真である。

父親の手拍子に合わせて2人の子供、キャロラインとジョンがぴょんぴょんと跳ねているのはケネディ家の源流であるアイリッシュのダンスに違いない。 この時キャロラインは5歳の少女だった。 ずっとあとになってこの子がボストン郊外のコンコルド・アカデミーで10代の学生生活を送っている時に、僕はコンコルドの町のフェスティバルで彼女を1度見かけたことがある。 2人のシークレットサービスに挟まれて雑踏の中を歩いていた。
そして周知の通り、2013年以来キャロラインは女性として初めてのアメリカ大使として日本に住んでいる。

そしてキャロラインの3歳年下の弟ジョンは…
39歳の時に自家用機に妻と義姉を乗せて、家族の結婚式へとマーサズ・ヴィニヤードへ飛行中に、海に墜落して全員が死んだ。
1999年のことである。


ケネディの家族とその周囲を流れる危険な死の影のようなもの、病死でも自然死でもない突然の死の訪れ、それも2009年に脳癌という人並み(?)な死に方をしたテッド・ケネディを最後に終止符をうったようだ。 いや、そう思いたい。







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コメント:

*

JFK.Jrの死を知ったのは、コーネル大学を訪れていた夏。主人の大学院時代からの友人の父上が、コーネル大学に莫大な寄付金を与えて、偶然ですが、私達もその時に、コーネル大学のビジネススクールが営業するホテルに滞在していて、ラッキーなことに素晴らしい招待を受けました。
キョロライン女史は、アルゴアの大統領選の演説の時に、Tケネデイーをとても、ポジテイヴな感じで紹介していました。自分の子供達のおじさんは、他界してしまったけれども、テデイーは健在です。みたいな感じでTケネデイーを、紹介していたのを、鮮明に記憶しています。息子の数人の友人が、彼女の子供たちと同じ大学に入学しているので、ちょっとした噂話を耳にしますが、キャロラインの子供たちは、とても、とても、ノーマルだと感じています。
とりあえず、新しいブログを読んで、とても興奮しています(笑)主人が、11月1日にグランドプロポーゾーの締め切りがあり、先ほど、午後10時に帰宅。貴殿のブログを私に説明されて『馬の鼻息を荒くした。』その言葉通り、彼も、興奮していました笑
また、送信させていただきます。ちょっと、主人とワインを1本空けて疲れ気味。
でも、ワンダフルなブログです。日本語を理解できない主人でも、関心を示していましたもの。
2015/10/26 [キャットラヴァーURL #mQop/nM. [編集] 

* Re: タイトルなし

キャットラヴァーさん、

なにしろ僕はボストンに19年も住んで、子供達もボストンで生まれているし
ボストンは第2の故郷といってもよさそうです。
South Shore のケープコッドやマーサズ・ヴィニヤードには何度も行ったので
ケネディ1族もいつも身近に感じていました。

ご主人は僕のブログを読んだ最初のアメリカ人かもしれませんよ。(笑)
2015/10/26 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

今夜は、ワインを飲まず、JFK.Jrが、事故死した時のことを、主人と夕食をとりながら会話していました。ちなみに、彼、珍しく午後6時過ぎに帰宅、1時間を一緒に過ごして、今、寝込んでいます。コーネル大学で知ったあの事故は、みんな、一瞬ですが、暗殺説を考えてしまっていたようです。私も、一瞬ですが、そう思ってしまいましたものとにかく、あの当時、みんな、この話題でした。(ちなみに、私達、同じ場所で、ヒラリー女史を見かけています。髪の毛が、テキサスライオンみたいでした(笑)いつだったのかは、思い出せないんですけど、、、、、。)ケネデイー家の男性って、スポーツがとても好きで、危険を冒しても、冒険に挑戦する精神を受け継いているようですね。

主人は、日本語が全く理解できないのですが、結構、このブログの写真が気に入っていて、性に目覚める頃2を拝見して、大喜びしていました(笑)主人は少しだけ、アイルランドの血が入っていて、熱心なカソリック教徒の家族のもとで育ちましたが、本人は宗教なんて”糞食らえ”って感じなので、子供達は、幼い頃、イエスキリストも知らなく娘が『イエスキリストって、誰のこと?』って大きな声で発言して、私の米国人の友人が震え上がって『日曜学校へ通わせないといけない。』って私に言い寄ってきたことがありましたねえ。
息子の方は、英国の小学校では宗教のクラスがあるので、そこで習ったようです
(そう、私達、9/11を知らないんです。英国に住んでいたので)
話はずれてしまいましたが、ケネデイー家は、華やかですね。ブッシュ家やトランプ毛(家)とは、かなり違いがあるように感じてしまうのですが、、、、、。
私は、個人的にはキャロラインケネデイーが好きです。あれだけ有名な家柄をバックグラウンドに持っているのに、普通の感覚を持っている女性と耳にしています。彼女の子供達も、ハリウッドの俳優を亭主にしたファミリーメンバーの子供達に比べたら、かなり、普通の感覚を持っているようです。もしかすると、彼女の子供達が、将来、政界に進出するかもしれませんね。とても、興味深い。
2015/10/27 [キャットラヴァーURL #mQop/nM. [編集] 

*

私が衝撃を受けたのはむしろキャロラインさんの弟の事故死のほうでした。
ケネディ家の呪い?・・・こわ~~って思いました。

キャロラインさんが駐日大使になったけれど、
周りの若い子たちの感想は「年の割にシワシワっぽい人」
ぐらいの興味しかないようで、歳月だなーと思いました。
若い子からしたらそうですよねそりゃ。
経歴から言っても取り立てて有能な人でもないらしい。
なにはともあれ、
無事に役目を終えて元気に帰国してくれるまでは落ち着きが悪い世代の私です。








2015/10/27 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: タイトルなし

キャットラヴァーさん、

JFK Jr. の死を知った時のことはまったく覚えていません。
1999年といえば僕の家族はボストンを去ってオハイオへ移ってからすでに10年が経っています。
ニューイングランドの思い出が徐々に薄れていっているのは仕方がないとしても
記憶の引き出しにちゃんと残されたものは少なくありません。

ケネディ家の家族写真のほとんどを、僕ほど大量にしかも丹念に見た者は
一般人の中にはあまりいないんじゃないか。
そしておもしろいのは、
自分がプリントした画像は何十年後にインターネットで再会しても、もちろんプリンターの署名などはそこにないにも関わらず
画面のあちこちに自分のシグネチャーが隠されていて
間違いなく僕が制作したものだとわかることです。
とくにモノクロ写真はそうですね。

現在の日本でキャロラインがアメリカ大使としてどのように受け入れられているかは興味があるけど
たぶん日本人のことだから、事あるごとにケネディ大統領の娘という勲章を彼女の上に貼り付けているのじゃないか
という気がします。
そしてそれは彼女が望むことじゃないような気がするけど
実際はどうなのかは知る由もありません。


2015/10/27 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: タイトルなし

ムーさん、

駐日大使というのはそれがどの国であれ、ふだんの日本国民とはあまり関係がないと思うけど
アメリカ大使となるとやはりいろいろな場面でマスコミに名前が出てくるのだろうと、これは僕の想像。

彼女はそれ以前に上院議員への立候補をしていながら、批判の声が強く結果として撤回していますね。
父親や叔父達に比べると。政治家としての資質に欠けるものがあるのだろうか?
一族に特出した政治家がキラ星のように並んでいるだけに、どうしても彼らと比較されるのは
彼女にとっては不幸な宿命かもしれない。
その点、大使という役職に落ち着いたのは彼女には合ってるのかもしれないですね。

でもムーさんが 「落ち着きが悪い」 と感じるのはなぜなのだろう?

2015/10/28 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

「帰国するまでは落ち着きが悪い」と感じる理由に、
彼女が赴任した年の前々年に東日本大震災があったことが大きいです。
その頃は今より頻繁に余震があり、
実感として「こんなヤバい国へなにもわざわざ来なくても」と思ったわけです。
キャロラインさんに限って何故特にそう感じたか?
宿命的に悲運な家系の人が来日することで再度直下型の震災を招かないか?
今思えば恥ずかしいような迷信的な想いもよぎりました。
バカバカしい非科学的な妄想といわれればまったくその通りです。
しかしその頃は直感的にそう感じてしまったのも確かです。

オリンピックもそうですが、
経済効果うんぬんより活動期に入っている地震が頭を去らないので、
何もわざわざこんな状態の国へ。と思うのです。

彼女のせいで地震が。などとは今は勿論思っていません。
ただ、無事にお役目を終えて。とは思っています。
「宿命の終焉」の為にもです。

ところで10年ぐらい前に読んだ本に、
「ジャッキー エセル ジョーン」J.Randy.Taraborrelli著があります。
サブタイトル「ケネディ家へ嫁いだ女達」です。
膨大な資料に基づいて書かれたそうです。
その資料の中にはきっとSeptember30さんが制作されたプリントもあったのでは?と思いました。





2015/10/28 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: タイトルなし

ムーさん、

あーなるほど、そういうことだったんだ。

以前の僕なら、バカバカしいと一笑に付したかもしれないけど
年齢を経て少しだけ賢明になった今は違います。
あの大震災の後、それに続く原発事故などで国民全体が不安に突き落とされていた時だから
呪われた1族の一人が大使として来たことに
ムーさんみたいな常識ある知識人でさえつい悪い方へと妄想が行ってしまうのを責めることはできないと思う。
そうじゃなくても日本人にはもともと迷信深さのようなものを誰でも持っているようだから。

僕自身は災害や危険がまったく無いといっていい地域に住んでいるので
日本人なら誰でも感じるはずの自然の脅威や、今の日本の政治や経済までを含めて
国民の心の底に流れる 「漠然とした不安」 のようなものをつい忘れてしまいがちです。


オリンピックのことも
決定を知った時最初に思ったのは、おいおいそんなことやってる時かよ? でした。
これは多かれ少なかれ日本人なら誰もがそう感じたのじゃないかな。

1964年の東京オリンピックの時は僕は東京で学生をやってたんだけど
そんな不安感のようなものはなくてもっと素直に喜べたような気がする。
それとも僕が鈍感だっただけで、問題があったとしたらそれに目を向けていなかっただけかもしれない。
2015/10/29 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

オリンピックのことも
決定を知った時最初に思ったのは、おいおいそんなことやってる時かよ? でした。
これは多かれ少なかれ日本人なら誰もがそう感じたのじゃないかな。


何バカ言ってるの!が私の最初の感想でしたが、決まった時は、それを声高に言えない様な、マスコミのお祭りムードでしたよ。
アベシンゾーのフクシマは安全です宣言、にも呆れましたが。
これをきっかけに、経済を活性化させようという目論見でしょうか?

その後、新国立のデザイン、オリンピックロゴと相次いでケチがついて、今はネットでは公然と、やめとけばよかったのに、という意見も上がってます。
マスコミでは表立ってはそんな声を聞いてません。

皆さんに本音を聞いてないのでわかりませんが。




2015/10/29 [たま] URL #6moyDOY6 [編集] 

* Re: タイトルなし

たまさん、

東京オリンピックの是非については
決定前まではネット上でも盛んに議論が湧いていたのが
開催と決まってからは下火になって、皆さん 「しょうがないか」 となってしまうのいつもと同じですね。
あとは会場建設が東京都の内外でどんどんと進んでいくのを
まるで人ごとのように眺めることになるのでしょうか。
そして決まったら決まったで楽しもう、という人も多いに違いない。
もともと日本人はオリンピック好きだから。
2015/10/29 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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