過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

Profile

September30

Author:September30

Visitors Counter

Search form

長い眠り

T160413--18-blog3.jpg

古い帳簿



わが家の地下室の片隅に小さな部屋がある。
物置として使っているその部屋には、昔やっていた木工の工具だとか写真用暗室の器具などがぎっしり詰まっていて、もう何年もそのドアさえ開けたことがなかった。 それが今回、引っ越しという大事件が起こりつつある中で、このドアを開けなければならない状態に追い込まれ、中に入っているものを一々調べ始めた。 リョービ製のテーブルソーや電気カンナ、ルーター、ドリルスタンドなどのパワーツールから、十何本もの大小のクランプやノミ、手鋸など、よくこれだけ揃えたものだ、と自分でも驚くほどの数の工具が出てきた。 それに加えて写真の引伸し機や乾燥機、マウントプレスなどもある。 昔さんざん使いこなしたものばかりでその一つ一つに思い出があり愛着があった。 思わずセンチメンタルになってしまう自分を、いけないいけないと叱りながらも作業はなかなか進まない。 おそらくもう2度と使うことはないだろうと思うと、重ねてきた年月の重さに、つい動作が止まってしまうのだ。

すべてを処分してしまうつもりだった。 捨てるものはほとんどなく、貰い手を見つけるのは難しくないだろうと思われるものばかりである。
そんな中に、見覚えのない小さな段ボールの箱を見つけた。 開けてみると3冊の使い古された帳簿のようなものが入っている。 明らかに僕のものでも家族のものでもなかった。 どこから紛れ込んだのだろう? 20年前にこの家へ越して来た時に、すでにそこにあったものに違いなかった。 手書きの帳簿のようなその本には日付や人の名前、それに金額の数字がぎっしりと書かれていた。
日付を見て驚いた。 1885年から1887年までの3年間となっている。 なんと130年前の記録なのだ!
それにしても何の帳簿だろう? 店のオーナーが金銭の出納をきちんと付けたように見えるが、それにしては売れた品目の名前などいっさいなくて、そこにあるのは人の名前だけ、というのが不思議だった。 と思いながら丹念に1行づつ読んでいくと、あったあった! ところどころに品目が書かれているじゃないか。 「1/4 ポンドのジンジャー … 10セント」 とか 「桃1缶 … 15セント」 とかがそれだった。 そうか、これを書いた人は町の食料品店の店主だったのだ。 その頃は買い物をして一々現金で払う客と(By cash とあるのがそれ)、ツケで買う客との二通りがあったようだ。 左欄がツケの金額、右欄が現金の売上げのようで、月末には左欄を総計してそれぞれのツケの客へ請求をしたのだろう。

上の写真に見える1886年といえば日本は明治19年。
その数年前に日比谷に鹿鳴館が建てられて西洋風の舞踏会が盛んに催され、当時の外務卿であった井上馨は欧化政策に失敗して1887年に辞職している。
そんな頃にこのオハイオ州の一都市で商売を営んでいた人の息子か孫かが、僕らが20年間住んだこの家の持ち主だったのだろうか。 家が建てられたのが1920年代だと聞いているから、それで辻褄は合うことになる。 そのあと、1996年に僕らがこの家へ越してくるまで、どんな持ち主の変遷があったのかは知る由もないが、その長いあいだ、この帳簿はずっとこの地下室に眠っていたに違いなかった。 それが130年ぶりに人の目に触れたことになる。 長い眠りだ。


この3冊の本が郷土史の資料として貴重なものなのか、それとも何の値打ちもないものなのか。
まったくわからない。
さて、どうしよう。

というようなことで、家の整理などまったく進まないこの頃だった。







ブログランキング→にほんブログ村 写真ブログ 一眼レフカメラへ
スポンサーサイト

コメント:

*

september さん、こんにちは。
本当、良い話ですね。感動的です。それにつけても思い出すのは、仙台である教授が自分が所持していた古書を皆に使って貰おうと図書館に寄贈した所、館報にその事が一向に出ないので尋ねると、汚いから廃棄したとの返事。またある人が珍しい虫の標本の引き取り先を探しても国内で見付からず、大英博物館に行ったとか、現在日本で伊藤若冲が大人気ですが、それについても美術館の酷い話があります。
2016/06/18 [pescecrudoURL #j9tLw1Y2 [編集] 

* Re: タイトルなし

ペさん、こんにちは。

家の中を整理するにあたって何が一番困るといって
本ほど困るものはありません。
運ぶのに重いということは別として
保存するか処分するかの判定が実に難しい。
処分するといっても廃棄することにはやはり罪悪感があるので
誰か貰ってくれる人を探さなきゃならない。
ほとほと困っています。

伊藤若冲は生誕300年ということで東京や京都で展覧会が催されてるようだけど
ペさんの言う、美術館の酷い話というのは検索しても出てきませんでした。
2016/06/18 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

こんにちは。素適なお話有難う。130年振りに人の目に降れたであろう3冊の帳簿。桃一缶15セント。其の帳簿を私は是非じっくり読んでみたいと思いました。そういうものが好きなのです。何気なく書きつけられている文字から、今の時代にはない何かを見つけるのが。イタリアでも時々あります。骨董品市場で古くて触るのも恐ろしいような紙の束の中に、そうしたものは紛れ込んでいて。世間的に値打ちのある物かどうかは私にも分かりませんが、自分が見たこともない時代を書きつけたものは、私には宝のように思えます。是非大切にとっておいて下さいませんでしょうか。
2016/06/19 [yspringmind] URL #UOM.WK7I [編集] 

* Re: タイトルなし

yspringmind さん、こんにちは。

この三冊の帳簿、自分の部屋へ持ち込んで読んでみると
日付と人の名前と数字だけのこの本から
19世紀のアメリカの地方都市の人々の生活が
まるで映画を見ているように目の前に現れて来ます。(もちろんモノクロ映画)

たぶん店主と常連客のあいだではファーストネームで呼び合い
「お祖母ちゃんのぐあいははどう?」
「うん、今日は調子がいいんだ。ありがと」
なんてね。

ところどころに出てくる食品の品名だって
今日の午後自分がマーケットで買ったものとまったく変わらない。
ただ値段が違うだけ…

メリケン粉1袋 $1.80
ミルク1クオート $0.56
コーヒー1ポンド $0.35
バター4ポンド $1.60 
2016/06/19 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

故人が撮った大量のネガが偶然世に出て
その写真が注目されて映画になった話がありました。
遺跡でも化石でも遥か昔の生物の生活の痕跡は
本能的に我々のDNAを刺戟しますね
玉手箱ゲット、幸運でしたね(^o^)/
2016/06/19 [lightseekerURL #zVpgn9mk [編集] 

* Re: タイトルなし

lightseeker さん、

その映画というのは "Finding Vivian Maier" のことじゃないかな。
そのドキュメンタリー映画なら僕は3度見ている。
まとまりがなくてちょっと長過ぎるという難点を別にすれば
秀逸な映画だと思います。
何よりも、よその家庭で住み込みの子守りをしながら外にでるたびに撮ったという
膨大な数の写真はその大部分が実に良いものばかり。
中にはカーティエ・ブレッソンやロバート・フランクがごめんなさいというに違いない傑作もかなりあります。


さてわが家に眠っていたこの宝物は僕が所有していても宝の持ち腐れ。
どこかの団体に寄贈しようと思っています。
市の図書館長をしている僕の義弟が、地域のヒストリカル・ソサイアティを紹介してくれるというので
たぶん、そこのアーカイブ室に行くことになるだろうな。
あそこなら年に1度は公衆向きの展示会をやっているので
住民の目に触れることにもなるしね。

オークションで売りに出したら、という友人もいるんだけど
この3冊の本は個人のコレクションじゃなくて公共団体に属するべきだと思うから。
2016/06/20 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 同好の士を発見!

September30さま
 その、130年前の売上帳簿の発見と解読作業、お疲れ様でした。9月氏の記事と先達の投稿を熟読しますと、矢張り、9月氏は私の同好者である事実を再確認しました。

 それは3年前の4月のこと、アマチュアの愛好家が出品する古本市に出かけたところ、面白い掘り出し物がありました。

 戦前に、千葉県某市の市議会議員を務めていた男性の使い込んだ分厚い博文館・当用日記です。数年分が年度別に販売されており、私が選択し購入したのは、無論1941年。経年劣化のため黒ずんだページには、ほぼ毎日のように細かな記述があり、旺盛な活動記録となっております。

 その議員の家業は和菓子などの製造販売で、流通統制が強まる戦時下での原材料調達に悪戦苦闘する様子や、商談のため各地へ出張する際の鉄道切符の確保購入などの苦労話が綴られており、それだけでも興味津津でしたが、
 目玉は、日記のハイライトは、何と云っても1941年12月8日の記述でした。以下に、その日の記述を転記します。投稿者の手で句読点を加えるなど、若干の修正を施してあります。

(以下より引用を開始)
【博文館・当用日記・昭和十六辛巳年】
十二月八日・月曜日
天気・北の風、晴れ
気温・摂氏九・五度

本日、米英ニ対シ畏クモ宣戦ヲ煥発セラル。国民トシテ職場ヲ通ジ聖旨ニ副ヒ奉リ、以ッテ宸襟ヲ安ンジ奉ランコトヲ決信ス。

午前:雑用
午後:市会ニ出席シ、休憩中経済課長ト菓子配給ニ関シ打合セヲナス。
夜:組合常会ニ出席ス。
(以上で引用を終了)

 万年筆に依る筆跡は極めて力強く鮮明で、文字の退色や擦れも無く、読み易い記述です。当時の社会情勢を反映してのことか、或いは、御本人の政治的な立場もあってのことか、戦争遂行の時局に完全に同化した人間の心情や生活が簡潔にして率直に綴られています。
 その4年後の敗戦など「寸分たりとも想像していなかった気配」がアリアリです。

 ところで、日本で7年前に発行され大いに話題を呼んだ図書があります。
【それでも、日本人は「戦争」を選んだ】(加藤陽子・著、朝日出版社、2009年)

 恐らく市議会議員の御本人の死後、遺族が廃棄処分した為に市場に出回ることとなった、この当用日記を読む限りでは、著者・加藤陽子の指摘は時代の趨勢を正確に捕捉しています。
 他人が、第三者の眼に触れることなく意識せずに、自身の心情を率直に綴った日記の類は、時間を措いて吟味熟読しますと、中々に面白いものです。
 お元気で。
2016/06/20 [Yozakura] URL #Y2lB8pKc [編集] 

* Re: 同好の士を発見!

Yozakura さん、

なかなか興味深い資料を手に入れましたね。
宣戦布告といえば、国にとっても国民にとっても一大事件のはず。
それに対する1市民の覚悟と決意が
簡潔な漢文調の文章に込められています。

それにしてもこの種の古い日記を読んでいていつも感じるのですが
そこに書かれてあることは本音だろうか建前だろうか、という疑問が湧いてくるのを
抑えることができません。


日記といえば
僕は昔から日記なるものをつけたことがありませんが
考えてみると、自分が数年続けているブログというものは
日記と言ってもいいのかもしれませんね。
そこにはもちろん自分の真情しか出していないつもりだけど
それは現代だからできることで
もし言論統制の厳しい時代に生きていれば、伏せなければならない表現は
やはりあるのだろうと思いました。
2016/06/20 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 鋭い指摘です。丸山昇の著書をご一読あれ。

9月さま
 返信を拝見。何時に変わらず、鋭い指摘ですなぁ!

> そこに書かれてあことは、本音だろうか、建前だろうか、
> と云う疑問が湧いてくるのを抑えることが出来ません。
> ----もし言論統制の厳しい時代に生きていれば、伏せな
> ければならない表現は矢張り有るのだろうと
> 思いました。

 あなたの懸念を正にズバリ、先取りした図書があります。戦前の言論統制が徐々に強化された時代に、中国特派員として活躍した山上正義・連合通信記者の日記を引用し、その真意や、文豪・魯迅との交友関係を真摯に論じた図書があります。
 この図書には、魯迅自身が解説した【自著・阿Q正傳】に関する文学上の解釈も日本語による魯迅の原文の儘に記述されており、貴重な歴史資料にもなっています。

 その図書は、言論統制の強化と共に、検閲の強化を予め想定した山上正義が日々の日記の記述に於いて、自己規制とも解釈し得る、体制礼賛や時局迎合的な記述を臆面もなく繰り返した事実に言及し、
 それを「近未来の出来事を予測した特派員が、生き残りを懸けて捻り出した『高度な自己韜晦』であろう」と評して居た記憶があります。


書名:ある中国特派員---山上正義と魯迅
著者:丸山昇
出版社:中央公論社(中公新書)
発行年:1976年

 猶、上記新書の記述を同じ著者が更に増補改訂した別の図書もある模様です。ただし、私は未読です。

 案外に、現代日本のインテリが、知識分子が、今後の日本社会で生き抜く知恵を示唆してくれる図書かも知れません。
 お元気で。
2016/06/20 [Yozakura] URL #Y2lB8pKc [編集] 

* Re: 鋭い指摘です。丸山昇の著書をご一読あれ。

Yozakura さん、

戦争下にあったり独裁政治の統治下にあった国
といえば世界中でそれに該当しない国はほとんどないでしょう。
日本がむかし 「鬼畜米英」 と呼んだそのアメリカに来て
鬼畜の家族の1員となってしまった僕ですが、思い出したことがあります。

これはまだ結婚する前、初めて彼女の実家を訪問した時に
この大家族に暖かく迎えられ、古い家族アルバムを見ていたら
ある1巻は両親がまだ若いころでちょうど大戦中のものでした。
おやじさんは子供の頃に片目を失っていたので、兵隊といっても衛生兵として徴用され
実際に銃を持ったことはなかったそうだけど
アルバムには対戦中の新聞記事や写真が貼り付けられていました。

そのわきに若いころのお母さんの字で "Scrap Japs!" 「日本人をメチャメチャにしろ!」と書かれていました。
僕が笑いながらそれをまわりに見せた時のお母さんの
恥ずかしさで泣きそうな顔を忘れません。
家族中で大笑いになりました。

カソリック教徒であったこのお母さんほど、人を憎まず誰に対しても温かい人はいない
とあとになってよくわかったわけだけど
戦時下の情勢ではああやって 「建て前」 でものを言うしかなかったのでしょうね。
Yozakura さんのコメントを読みながら
このことを思い出していました。


2016/06/21 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 著者・丸山昇の記述を再確認。微妙な時代を生きる難しさ

9月30日様
 再度の返信を拝見しました。貴方が身辺で体験した貴重な事実の披瀝、有難う御座いました。
 一度、私が引用した図書【ある中国特派員、山上正義と魯迅】に付いては、再度熟読し、貴方が言及している点を今一度確認の必要があると思ってはいたものの、時間が無く、延び延びとなっていました。
 失礼しました。m(_ _)m

 先程、書庫の奥からその図書を手許に引き出し、点検してみました。著者の丸山は、山上の足跡を時系列に沿って丁寧になぞりながら、急変著しい東アジアの国際政治情勢に関して、彼(山上)がその時々に発表した記事や時局評論をなぞり、
 東亜の政治情勢と日本国内の政治状況の双方を睨みながら、自身の身の振り方に就いて悩んだであろう、当時の先端を走っていた知識人・山上正義の心境に関し、丸山は次のように概括しております。

(以下は、P.168より引用を開始)
 (1936年5月に北京より、東京の同盟通信)本社に帰任後、その死去(1938年12月15日)までの山上の足跡は複雑である。実を云えば、私(丸山)も現在のところ、彼(山上)の真の考えがどういうものであったか、結論を下すのに躊躇いを感じている。
 本社に戻ってからの山上には、日中関係の急展開の下で、時局に関する評論活動が急激に増える。1937年7月7日の盧溝橋事変から、八月上海戦へと拡大し、日中全面戦争が開始されてからの約1年半は、特にそうであった。
 それらの中には、殆ど今日では意味を失ったものも、極言すれば、読むに耐えないものもある。広東時代の文章が、今日でも新鮮さを失わないのと対照的でさえある。
 全体としては、戦争協力の性格は否定し難いものと云うべきであろう。それはある意味で、彼の「転向」の完成といえるかも知れない。
(中間省略)
 そこに、私は当時の状況の中で、強くはなかったかもしれないが、真剣に良心的に生きようとした一人のジャーナリストの歩みが、複雑な屈折したものとならざるを得なかった跡を見、それを通じて、1930年代後半、「昭和十年代」と云う時代が、当時の日本人にとって、どう云う時代であったかを、改めて見る思いがするのである。

(引用を終了)
(上記引用文中の、()内部の記述は原文には無く、引用者が読者の便宜を図って勝手に付したものです。)


 戦争中に付ける日記に、自分自身の心情や意見を果たして如何程に、思うが儘に記載出来るのか?
 果たして、自分の本音を如何程までに記述出来るのか?

 上記の引用部分は、貴方が提起した問に対する答の一種には、なっていると思います。お元気で。
2016/09/03 [Yozakura] URL #Y2lB8pKc [編集] 

コメントの投稿

:
:
:
:
:

:
: ブログ管理者以外には非公開コメント