過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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モノクロ写真について

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澱む水、朽ちる舟
Morrow, Ohio USA


僕はモノクロ写真は一種のアブストラクトだと思っている。
我々をとり巻く色彩あふれる現実を四角に切り取って、それをいったんバラバラに梳(と)きほぐす。 そしてあらためて白と黒と幾つものグレーの糸を使って、タペストリーのように紡(つむ)ぎなおしていく。 その紡ぎなおすという過程で僕にとってなくてはならないのが "RAW" のフォマットで撮影されたデジタルの原画と 『フォトショップ』 という道具だった。
その結果できあがったものは、現実に模されていながらすでに現実ではなく、どこにでもありそうで実はどこにも存在しない、それは僕の 「心象」 を描いたものにちがいなかった。

アンセル・アダムスが気の遠くなるような時間を費やして完成したゾーン システムは、フィルム現像の段階でコントラストを (ある程度) 調整することから始まり、いや、その前にウェストンの露出計でそれぞれのゾーンを設定するところから始まり、プリントの段階でそのネガのもつ最大のポテンシャルを引き出してやるところで終わる。 それは芸術と科学の見事な融合だったといえるだろう。
銀塩写真時代に僕はゾーン システムの狂信的な信奉者だった時期がある。 やがてそこから離れていった一番大きな理由は、ゾーンという科学的に既定された枠に縛られることなしに、もっと自由に、もっと感覚的に、白と黒の絵の具を思うままに使って絵を描いてみたかったからだった。  暗室の中の作業でそれはものすごく困難なことで、僕にはまるで不可能なことのように思えた。

やがて時代の流れとともに、僕は得体の知れないデジタルの世界へ入り込んで行き、そこで 『フォトショップ』 という魔術の道具を手にした時に、僕は長いあいだ愛してきた銀塩カメラを躊躇(ちゅうちょ) なく捨ててしまう。 なんの後悔もなしに。
デジタル化されてコンピューターに収められた画像は、それがデジタルカメラで撮られたものでも、あるいは銀塩カメラで撮られた古いネガをスキャンされたものでも、僕の自由な解釈と編集を受け付けてくれる。 昔なら暗室で何日かかって苦闘しても到達できなかった場所へ、今は僕をずっと容易に(そして何よりも)はるかに自由な道を通って連れて行ってくれるように思われる。
カメラの種類やレンズの選択、プリントの紙質などに厳しくこだわりを持つ Purist (純正主義者) から見れば、眉をひそめるようなことを僕はやっているわけだ。
しかし僕にとって、写真を撮るということは自分の心象を描くという以外の何ものでもないとするなら、そのためにどんな方法をとろうとも、それは僕個人の問題に過ぎないと思っている。



わたしにはモノクロ写真の
白と黒は、
ひとの希望と絶望を交互に象徴しているように思える。
Robert Frank




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コメント:

*

銀塩時代に写真を学んだ方(プロ・アマ含め)どうしてもできなかった手法がデジタルでできるようになり、拍子が抜けるほどあっさりとデジタルに転向していきます。
人類の長年の夢である撮った写真がすぐ見れるようになり、好きなように加工できるようになったのですから、夢の道具を掴むのは当然です。
フイルムは違う表現の手段で、現像が上がってくるまでを楽しむ、窯に入れて焼き上げる陶芸のような、そういう世界にもはや変化しています。
近頃のフイルム回帰とは、デジタルしか知らない世代の「新しいもの」への接触という面となんでも可能なデジタルという存在への反発なんでしょう。
2011/01/05 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

* 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011/01/05 []  # 

*

今年もよろしくお願いします。
デジタル写真のスタンスはまったくそちらと同意見というか
まさしく同じようなルートを辿ってきたような気がします。
手法へのこだわりは否定しませんけど、やはり写真は最後に
アウトプットしたものが何を語るのかが、すべてであると思います。

2011/01/05 [matsuURL #- 

*

私も最初は、撮った写真に、手を加えるのは邪道である・・・
と、ずっと頑なに思っていました。
でも、写真というアートは、ただある物を撮影し、表現するだけではなく、
画家がいろいろな手法で絵を描くように、写真も自分のインプレッション、
イメージに沿うように、手を加えてもかまわないのではないかと思うようになりました。
私も、photoshopと共に、写真というアートを楽しんでいきたいと思っています。
2011/01/05 [bluemillefeuilleURL #Xlf.8pIU [編集] 

* Re: No title

上海狂人さん、まったくおっしゃるとおりです。
ただ、最近のフィルム回帰にデジタル世代の若い人たちが多いというのは、私はうっかりして気がつきませんでした。驚きです。
銀塩時代の世代の一徹な純正主義だと思っていたのです。
2011/01/06 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

鍵コメさん、コメントをありがとう。
とても嬉しいです。
2011/01/06 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

Matsu さん、こちらこそよろしくお願いします。

『手法へのこだわりは否定しませんけど、やはり写真は最後に
アウトプットしたものが何を語るのかが、すべてであると思います』

私もそう信じます。

ところで、クイズの賞品がまだ届いていないようですが、
12月の27日に送り出しているのでちょっと心配になりました。
2011/01/06 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

*

あっ、昨年末チョートクさんと話していて同じような話がでて、フイルムという行為は不確かなものへの憧憬というようなことをおっしゃっていました。撮れないこと写っていないことを楽しんでいると。
手間のかかるペットのようなものでしょうか。
2011/01/06 [上海狂人] URL #wuZV7DPc [編集] 

* Re: No title

ハナさん、私は写真が現実のインスタントの記録にとどまらないで、絵と同じように手のかかるアートだと理解したのは、例の『海辺のワークショップ』でした。
そのあと、ボストンのプロ・ラボで暗室技師として十年も過ごしてしまったのですよ。
そのうち私の作るプリントを名指しで来てくれる著名なプロの写真家たちがいて、彼らの展覧会の作品を一手にひきうけるようになり、すごく良い勉強をしました。プリンターとしてだけではなく、フォトグラファーとしても。
2011/01/06 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: No title

上海狂人さん、『不確かなものへの憧憬』は私にもすごく理解でるような気がします。
現在、たまにフィルムカメラを使うときの、機材への愛着や、レンズへの執着、それに何よりも、シャッターをきったときのあの「快感」はデジタルにはありません。それが何なのか、私には言葉で表現することができないのですが。
2011/01/06 [September30URL #MAyMKToE [編集] 

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