過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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トシオとコータロー (追記)

T161005-01-blog.jpg

米子幼稚園



この写真を探し当てるのにまる2日かかった。
本来なら前回の記事にいっしょに載せたかったのに、どうしても見つからないので諦めて 「トシオとコータロー」 を公開してしまったあと、やっぱりあの写真は載せたい、と思い直して大々的に捜索を始める。
引っ越しのドサクサでどこかに紛れてしまったらしい。 ようやく片付いたばかりの新居なのに、またまた僕が家中の戸棚や本箱をひっくり返して何十冊というアルバムを取り出したり、整理されていない写真の束を床にばらまいたりするのを見て、女房は口の中で言葉にならない小言をつぶやきながら、それでも表立った抗議がこないのは、コータローの写真を探しているのを知っているからだった。 そうでなくともこの数日間は、友人の死で沈んでいる僕をまるで腫れ物に触るように扱っている。

「おまえどこに隠れてんだ。 いい加減で出てこいよ」 などとぶつぶつ言いながら、まるで、紛失した宝くじの当たり券を探すような勢いであちこちを引っかき回していたら、この、手札版よりもずっと小さな色褪せた写真は分厚いプリントの束の中からひっそりと出てきた。



さてそこで…

子供達の1番前で頭に大きな絆創膏を貼って、指をくわえているのがコータローである。
そういえば、幼稚園から小学校へかけてのコータローはどの写真を見てもなぜか必ず指をくわえている。 くわえる指が1本の時もあれば2本の時もある。 中には両手の指を1本づつ口の中へ入れている写真もある。 あの習性がいつ無くなったのかを訊こうと思いながら、ついいつも忘れて訊かないままに時が経ってしまった。 もう訊けない。
そして、コータローのうしろで T の野球帽をかぶった、まるで皇太子のように気品のある少年がトシオだとは、説明するまでもなくすでにお分かりでしょう。

さらに付け加えると
先生たちの中で向かって左から二人目に顔を見せているのが僕の母である。







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コメント:

*

コータロー少年、いい味出してますね。(^^)
そしてトシオも、周りがみんな丸坊主なのに1人野球帽をかぶって。
当時こんな子供はなかなかいなかったんじゃないでしょうか。
そう考えると、大人になった顔からは想像しやすい子供に感じます。
そしてお母さん。わかって見ればやっぱり似ているような気がします。
こんな写真が残っているっていいなぁ。こういうのが本当の宝物ですね。
2016/10/06 [川越] URL #uvrEXygI [編集] 

*

まず写真の中のトシオとコータローを探しました。
コータローは1秒で発見!
やーん、全然変わってないじゃなーい(笑)
絆創膏がたまらなくいいわーー。
ところでトシオだけど、何?このすまし顔(笑)
ええとこの坊ちゃんてこういうのを言うんだきっと。
スカしてる。とも言う(笑)
男の子はみんなクリクリ坊主なのねー。
私の幼稚園にはおかっぱで赤いリボン付けた男の子がいた。
あれはなんだったんだろう。
2016/10/06 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: タイトルなし

川越さん、

子供の頃の写真はもっとたくさんあったのに全部失ってしまった。
というのは
前妻といっしょにアメリカへ渡った時に
私物一切を前妻の実家へ預けて、そのままアメリカで離婚をしたためです。
せめて写真のアルバムだけでも送ってもらえないか
と実家に出した手紙は完全に無視されてしまった。
もっと何度もしつこく懇願すればよかったと今では後悔してるけど
その時はとてもそういう気持ちにはなれなかった。

というわけで
僕が現在所有する子供時代の写真は数は多くなくて
その全部がずっとあとになって友達や先生や
ただ一人の身寄りになってしまった叔母から拝借して
自分のカメラで撮り直したものばかりです。
2016/10/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: タイトルなし

ムーさん、

そうでしょう。
コータローはぜんぜん変わってないよね。(笑)
さすがに指はもうくわえなくなったけど。
この写真で彼の頭をよく見ると絆創膏を貼るために
その部分だけ髪の毛が剃ってあるんだよね。

トシオがひとりだけキャップをかぶったり
ふだん着ているものも他の子達より垢抜けていたのは
これはファッションにはうるさかった母の指図。
トシオの母はあの時代に北京に渡って数年暮らした時に
父の仕事の関係で欧米人や中国の王侯社会などとも交友があったらしいから。

ええとこの坊っちゃんといえば
それはコータローなんだよね。
彼の一族のN家といえば古い名家で、後年になって僕らは彼の家族を
米子のケネディ家と(からかい半分に)呼んでいたくらいだ。


おかっぱで赤いリボン付けた男の子?
うっそだあ!
その子はねきっと女の子だったのにムーさんが男の子だと思ってたんだよ。

2016/10/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

文章を読む前に、ノッペラが直ぐ分かった。それから一人一人見ていくと野球帽のお澄まし屋が分かった。タマキ先生も分かったし、中央のメガネの先生も記憶にある。その右隣のチェックのブラウスの先生は、もしかしてサワダ先生だろうか(昭和19年我が松組の担任だった)。婿入りされた数学の沢田先生は我々が東高卒業後、間もなく癌で亡くなった。
ノッペラさん、さようなら、いずれにしても近々だから。
2016/10/07 [ペッシェクルード] URL #j9tLw1Y2 [編集] 

* Re: タイトルなし

ペさん、

コータローにノッペラのあだ名を付けたのは僕なんだよね。
小学校1年の時、彼といっしょのクラスにいた時です。
彼の頭の格好が薄くて末広がり、つまりうちわ頭でヘラヘラしていたので
彼の苗字を最初にくっつけてノッペラとなった。
彼のお母さんがこのあだ名をすごく嫌って
家に遊びに行った時に、止めてくださいときつく言われた時はもう遅く
すでに誰もが彼をノッペラと呼んでいた。
当の本人はぜんぜん気にしなくて
真夏の暑い時、汗をかいている僕を見て 「扇いでやるよ」 と
僕の顔の前で彼が自分の頭を上下させたことをはっきり覚えている。

20年以上日本を留守にした僕が帰ってみると
ノッペらはいつの間にかコータローになっていたけど
ぺさんのようにいまだにノッペラと呼ぶ人も少なくありません。


中央の眼鏡の人はオダ先生(のちに結婚してクマモト先生となった)でその右隣はそう、サワダ先生です。
婿入りされた沢田先生は僕が高校で数学を習っていた時に急逝され
葬儀には僕も出席しました。

そういえば
ぺさんのお姉さんも後年にはこの幼稚園の先生でしたね。
その頃のイシザキ先生の顔を今でもハッキリと思い出します。
ご健在らしいけど僕のことを覚えておられるだろうか?

2016/10/07 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* ひょっとして私からのコメントをちらっとでも思われませんでしたか?

久しぶりです、こんにちは

石崎先生は私のクラス、さくら組の担任でした
姪御さんが現在の我が家の近所にお住まいです
もともとその姪御さんのご主人と通勤電車で知り合ったのです

姪御さんのお母様が遊びに来られているからということでお招きにあすかり
お茶を頂きながら、米子はどちらのご出身でというような話から
石崎先生までたどり着き、パソコンのお写真も拝見しました

薄紫のきれいな髪で元気そうでした
私は石崎先生にずいぶんかわいがられ、隣にある小学校に入学してからも
毎日、幼稚園に遊びに行っていました
呉服店のおうちに呼ばれて東京にお嫁に行くのとお別れしたのが最後でした
もう60年も前のことですね
ペッシェルクルードさん、よろしくお伝えくださいね

幼稚園と言えば、経営者なのか理事なのか今となれば不明ですが
お寺の和尚さん、あの方のお孫さんにも偶然お会いしました、
こちらへ留学中の時に
本当に世の中は狭いです
2016/10/08 [のほほん] URL #60nqeuCY [編集] 

*

お辛いでしょう。
心中お察しします。

お誕生日のコメントいつ入れようかなと思っていましたが、それどころではなくなってしまいました。
ただ、少なくとも大切なご友人にseptember氏が先に喪失感を与えなかったということだけはマシだったのかなと。

私はまだそのような経験をしていないのですが、願わくば誰よりも先に虹の橋を渡りたいと思っています。
2016/10/08 [micio] URL #O/XG6wUc [編集] 

* Re: ひょっとして私からのコメントをちらっとでも思われませんでしたか?

のほほんさん、

米子幼稚園が出てきてペッシェクルードさんが出てくれば
これはのほほんさんからのコメントが無いはずがない
とちゃんと予想していた。(笑)

ブログをやってると、もしそうでなければ起こりえないようなことが時々起こる。
ムーさんの昔の上司を僕がよく知っていたとか
みんさんの叔父さんと叔母さんは結婚するずっと前に大学で僕と同じサークルにいたとか。

だけどのほほんさんの場合はちょっとスケールが違う。
なにしろまず舞台が日本からドイツと広がっているだけじゃなく
つながる糸の絡まりがペッシェクルードさんや僕自身を含めてかなり複雑だったから。

のほほんさんはもちろん僕よりもずっと若い人なんだけど
今日のこの幼稚園の写真はきっと懐かしかったでしょう。
あの幼稚園は学校法人として経営されていて
のほほんさんの家の近くにある西念寺の住職だった豅含雄(ながたにがんゆう) さんが長いあいだ理事長を努めました。
(豅含雄氏はそのあと米子高校の校長になっている)
その豅氏のお孫さんにドイツで偶然に邂逅するとはこれもまた不思議な縁というか巡り合わせというか!







2016/10/09 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

全く[September30さんの周りはどうなっているのやら?
September30ワールドでは奇跡が奇跡ではなく、必然のような起こり方をしているように感じます。

このコメント欄の皆さんも、よくもまぁクモの糸を手繰ってSeptember30さんを取り込んだものです。いや、September30さんが張り巡らした蜘蛛の巣に、皆さんが端っこの方に引っかかり、手繰り寄せられたのかな?(^^) 幼稚園の仲間?すごいなぁ。
2016/10/09 [川越] URL #uvrEXygI [編集] 

* Re: タイトルなし

micio さん、

ありがとう。
大声で泣くような悲しみじゃなくて
ふだん胸の深部にひっそりと隠れていて、日常の生活の中で何の時折り関連もなくふっと出てくるような
そんな、淡いけれど消えるのことのない悲哀感のようなものなんだよね。

固い結束を持っていた郷里の6人の仲間の中で、これはふたり目の喪失。
数年前に最初に逝ったマコの遺言で、彼の灰を日本海へボートで漕ぎだして撒いたのは
ほかならぬコータローだった。

2016/10/09 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

お辛いでしょうと
コメントを入れようと思っていた矢先に幼稚園の記事が載ってしまい、(今回のアップはとても早かった)
しかも石崎先生なんて固有名詞まで出てしまって気持ちが高揚、
お悔やみを言うのが後手になってしまってごめんなさい

なんかねぇ、私の回りもどんどんあちら側に行ってしまったなぁ

母が亡くなる前は10年間、年に2回、多い時は3回帰国していました
その間、同級生がミニ同窓会を開いてくれて
高3の時のクラス会は3、4日前に幹事が声をかけたのに14、5人も集まってくれ
又、何回も、陸上部の仲良しが集まったり(私は陸上部ではなかった!)
又その陸上部の友人が参加したり、
帰国すると、母を見舞った後は毎晩のように宴会でした

その時に集まった人も、この数年で何人か亡くなっています
その宴会で初めて知り合った人も、あぁあの人が・・・と辛いです
最後の帰国は去年の11月、しばらく予定はないです

母と言えば、September さんは牧野博士のお宅で私の母ともすれ違っておられるのですね

でも私たち、遇えませんねぇ
2016/10/10 [のほほん] URL #60nqeuCY [編集] 

*

再度この場をお借りします。
《のほほん》さん、フランクフルトで会われた姪の母親と石崎先生には
このseptemberさんのブログとコメントを読むように連絡しました。
直ぐ開けてみると言いました。豅含雄師の孫の文雄は同級生で、彼がドイツに
留学したかどうかは知りませんが、小学生時代、西念寺でよく遊んだのです。
のほほんさんはあの辺りのお生まれですよね。大学卒業後は、高校の同窓会にも
出席を拒むようになり、米子である小学校のクラス会等来たことがありません。

妹によると、明道校の運動場で松田の正ちゃん達ととしお君達を
遊んで上げたよ、と言います。その中にノッペラも含まれていた事でしょう。
ニ中のテニスコートは校舎の中で風を遮る特別扱いだったから、
テニス部はいいいな、と思っていたものです。松田の一ちゃん、木下、
誠ちゃん、正ちゃん、としおとニ中は米子を制覇していた筈です。
と、としおのテニスが今に繋がっているのがよく分かります。

小学校のクラス会があるので、近々帰省します。
2016/10/10 [ペッシェクルード] URL #j9tLw1Y2 [編集] 

* Re: タイトルなし

川越さん、

もし時間をかけてじっくりと話すチャンスが与えられれば
川越さんと僕だって過去にどこかで接点があったのかもしれない。

たとえば
xx年x月x日の午後x時頃
新宿三光町を歩いていたでしょう?
あの時僕たちは群衆の中ですれ違いざまにぶつかりそうになって
あわててお互いをよけたんだよね。
2016/10/10 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: タイトルなし

のほほんさん、

そういえばそうだったね。
この写真の左端の人が牧野先生で
灘町(だっけ?)のあの牧野宅は僕らの溜まり場のようになっていた。
牧野博士の奥さんのトセコさんが自宅でドレスメーキングの教室をやっていたので
いつも数人の女性がそこにいて、すぐそばでギャアギャアとうるさく遊ぶガキたちに
きっとのほほんさんのお母さんも閉口した中の一人だったんだろうな。
あそこのお祖母ちゃん(牧野兄弟の母上)にコータローや僕たちはとても可愛がられたものでした。

20数年ぶりで米子へ帰った時に
コータローが幼稚園の同窓会を設定してくれた。
まだ健在だった牧野先生をはじめ、たしか6人の女性が来てくれた。
この写真はその牧野先生が貸し出してくださったのを僕がコピーしたものなんだけど
その牧野先生も数年前に他界されてしまった。






2016/10/11 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

>September30さん

(^^)ありがとう。
そう思えないこともないほどに、はや自分も時を重ねました。
2016/10/11 [川越] URL #uvrEXygI [編集] 

* Re: タイトルなし

ぺさん、

二中のテニスコートは
風を遮るために回りを校舎に囲まれた中庭に作った
というより
広さがちょうどいいからテニスコートにした
というのが歴史的真実じゃないかと思いますよ。
(その証拠に後ろがちょっと狭かった)。
そういえばぺさんの妹さんと米子書店の松田のタカちゃん(二人とも僕より一つ年上)は仲良しで
やはりテニス部にいましたね。

そしてぺさんはたしかバスケットボール部にいたという記憶がある。
(あの頃は篭球部と呼ばれていた)。
そして排球部(バレーボール)のキャプテンをやっていたのがコータローでした。
2016/10/11 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

ペッシェルクルードさん、ありがとうございます
果たして、石崎先生は私を覚えていらっしゃることでしょうか?

小学校のクラス会というのは、とてもワイルドで高校のクラス会とは全く雰囲気が違う
と同窓会大好きな同級生に聞いたことがあります
その同級生というのは、やはり、あの並びにあった靴屋の娘です
しっかり楽しんでください、雰囲気も知りたいです

高校の私の学年はパスワードで入れるブログがあって、
投稿者はたいてい同じような顔ぶれなのですが、私も1年に1、2回投稿しています
そこで以前話題になったのは、米子幼稚園 → 明道校 → 二中 → 東高というのが王道だそうです
私、他にあまり威張ることもないしなぁ

兄が牧野先生に受け持っていただいたように記憶しています
小さくて、すたすたと独特な歩き姿でしたね
2016/10/11 [のほほん] URL #60nqeuCY [編集] 

* Re: タイトルなし

川越さん、

あはは
未知の多数の人間とお互いの軌跡が過去のどこかで接していたんだ
と考えれば
みんな仲良くやっていけるんじゃないだろうか。(笑)
接すると言っても必ずしも出会う必要はないわけで
インターネット上でのすれ違いだった大いにありえるからね。

2016/10/13 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

september さん、もう一度書かして下さい。古い事です。
13日、ご逝去されたタイ国王が皇太子時代来日されました。
ジャズ好きでクラリネットを吹いておられ、東大で電子工学を
学んでいた留学生のブンサム・ウンパコーンが私に相談に来ました。
皇太子と一緒にジャズを演奏してくれる楽団を紹介して欲しい。と。
私は即座にプロでない、早稲田のハイソがいいのでは、と。ブンサムは
私の推薦通り動きました。彼があとで迎賓館での模様を教えてくれました。
何しろブンサムの家系は国王の執事を代々している一家だったのです。
ブンサムは同級生のMよりも何かと私に相談に来ました。駒込にあった
タイの学生寮にも遊びに行きました。20年ほど前仕事で来日し、久し振りで
会いました。こんな事を国王のご逝去報道で思い出しました。
前に書いた中で、たかちゃんを正ちゃんなんて書きました。相当耄碌が
進んでおります。もう私を信頼しないで下さい。バンドの打ち上げでチークを踊ってたなんて書いても許されるかな、亡くなって大分経ちます。
ブンサムは皇太子と言ってたけど、既に国王だったのかな。
2016/10/14 [ペッシェクルード] URL #j9tLw1Y2 [編集] 

* Re: タイトルなし

ペさん、

返信が遅くなったのは
実はあのタイ国王夫妻の迎賓館のレセプションのことを
ブログに書こうと四苦八苦していたためです。

あの時35歳だった彼は皇太子じゃなくてすでに国王になっていたと思います。
(17歳で王位を継承してる)

あの夜の話はブログを読んでくださいね。
2016/10/17 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

本文も読ませていただきました
なんとすごい出会いがあったのですね
Septemberさん、ペッシュクルードさん、いったい何者?
2016/10/18 [のほほん] URL #60nqeuCY [編集] 

* ブログを媒介した偶然の関連でしょうか?

9月さま

 級友の訃報を機に、昔の若かりし頃の写真発掘作業に邁進した結果、世にも貴重な「幼稚園時代に撮影された園児と先生の集合写真の複写」が出現。
 それにしても、9月氏は物持ちが宜しいですねぇ!
 以前の住宅に密かに放置されていた130年前の売上帳簿も、保管の意図は無かったのですが、結果的には「良好に保存して居た」のであり、それ故に、19世紀も末の地方都市の商店の経営情況や近隣住民の暮らしぶりまで掌握できたのです。
 何だか、物の蒐集に物凄い情熱を傾けられる人なんですね。

 その売上帳簿が紹介された《長い眠り》(2016/06/18)に私が投稿した際に引用した戦前の通信社特派員・山上正義の事績ですが、その図書【ある中国特派員の生涯----山上正義と魯迅】に詳しく紹介されています。で、私が3回目の投稿(2016年09月03日)で引用した通り、山上は北平支局長退任後に帰国し、1938年12月に病死しています。

 こからが大事なのですが、9月さん、その死後1940年に山上の未亡人は自身の母と共に、当時日本軍が占領し統治していた北京市に再度渡航・移住し、そこで母娘で美容院を開いていたのです。未亡人とその母は、元を糺せば、上海でやはり美容院を開業していたのでした。
 旧姓は柿木原だったと思います。只今、手許にその図書がなく確認出来ないのが残念です。

 で9月さん、その元の夫が北京駐在の通信社支局長であり、北京に復帰後に開業したのが美容院なら、これは、その得意先や顧客が現地駐在の日本人の役人や銀行員、商社マン、通信マスコミ関係、軍人等の家族に絞られるのは、容易に想像できます。
 その美容院の所在地は不明ですが、大手商社員や銀行員、その家族が利用し易い場所に立地していた筈です。

 あなたの投稿に拠れば、

> ファッションにはうるさかった母の指図。
> トシオの母は、あの時代に北京に渡って数年暮した時に、
> 父の仕事の関係で、欧米人や中国の王侯社会などとも交友が
> あったらしいから。

 と云う生活習慣や、社交活動に親しんでいた母上の暮し振りが詳述されています。貴方が数年前に、このブログで掲示した「この写真が、僕が生まれた北京市の旧居の門です」との住居の住所と、その美容院の名称や住所が判明すれば、母上が当該美容院を利用していた蓋然性は、或る程度は判明するやも知れません、

 別段、こんなことまで予想して【ある中国特派員----山上正義と魯迅】を引用したのではありません。ただ、ブログが齎す「偶然の連関性」に私も聊か驚いている処です。
 お元気で。
2016/10/18 [Yozakura] URL #Y2lB8pKc [編集] 

* Re: タイトルなし

のほほんさん、

またまた驚いたのは
のほほんさんがドイツで偶然に出会ったという西念寺の豅含雄さんのお孫さんと
ペッシェクルードさんが高校の同級生だったということ。

蜘蛛の糸のように巧妙に張り巡らされた人間の絆が
こうして次々に浮かび上がるのは、運命のいたずらとしか言いようがありません。
2016/10/20 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: ブログを媒介した偶然の関連でしょうか?

Yozakura さん、

通信社特派員の山上正義氏の未亡人が母上といっしょに北京市に開いたという美容院に
新婚早々の僕の母が通っていたということは
大いにありえますね。

敗戦後すべてを没収されて日本に引き揚げた僕の家族の
数少ない持ち物の中に、数着の母の支那服があったのを子供心に覚えています。
母がそれを外で着ることはまず絶対に無かったけど
家の中で着て自分の姿を鏡に映しながら
華やかだった過去の生活を偲んだことは間違いないでしょう。

映画 『ラストエンペラー』 は中国皇帝の一生を描いた英、中、伊、三国の共同制作による大作で
1987年のアカデミー賞を多部門にわたって総なめにしたものですが
その映画の中の、皇帝を囲んでの会食のシーンを見ながら
僕はそこに自分の両親を見ていました。
山上正義氏もそこにいたのかもしれない。
2016/10/20 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* 現在、原本を捜索中です

9月さま
 返信が遅くなりました。で、その経緯を記した原著が自宅の中で行方不明となった儘なので、北平支局長であった山上氏の未亡人親子が経営していた美容院の具体的な所在地は、未だに判明しません。
 確か、日本軍が北京を占領統治していた時代の市内の要所を説明したブログやHPなどもネット上にはあったのですが、最近、そうしたサイトを訪問しては居ないので、そちらの方面でも、不明です。
 また何か判明しましたら、投稿します。お元気で。  
2016/10/29 [Yozakura] URL #Y2lB8pKc [編集] 

* Re: 現在、原本を捜索中です

Yozakura さん、

ご苦労さまです。
北京は大都会といっても今ほどじゃないと思うし
日本人は(今でもそうだけど)寄り集まって住む習性があるから
思いかけず僕の生家の近所かもしれませんね。
2016/10/30 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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