過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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タイの国王が亡くなられたこと

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タイのプミポン国王死去のニュースをテレビで見た.。
一瞬のうちに僕の思いは50数年前のあの夜へ翔(と)んでいた。

昔々、赤坂の迎賓館で催されたタイ国王夫妻のレセプションで、大学生の僕らのジャズオーケストラが演奏をしたことがあって、その頃まだ30代半ばだった若い国王が気軽に僕らに混じってサックスを吹いた、あの夜のことである。
おそらく厳選されただろう100人以上もの招待客はそのほとんどが在日タイ人で、日本人の招待客といえば駐タイの日本大使ほか数人しかいなかった。 そんな特別なレセプションで、大学バンドをやっていた日本人の僕ら十数人がジャズを演奏することになったのにはちょっとした経緯(いきさつ)があって、長くなるけどそこから話を始めよう。


高校を卒業したあと、僕は大学受験に失敗してしまった。
東京外語大一本と決めていて(たぶん自信満々だったから)、他のどこも受験しなかった僕はその結果として東京で浪人生活を送ることになる。 山陰の田舎からいきなりポッと東京に出てきて、めくるめく大都会の生活に浮き沈みしながら溺れそうになっている僕を心配して、いろいろと面倒を見てくれたのが郷里の先輩であった I さんだった。 その I さんとはほかでもない、今のペッシェクルードさんのことである。
そのペッシェクルードさんが、青山や上智や東大の学生6人で組んでいたジャズコンボに僕を誘ってくれてそこで僕はピアノを弾くことになるのだが、そこでクラリネットを吹いていたのが東大の留学生だったタイ人のブンサム・ウンパコーンだった。 1年後に僕が早稲田に入ったあとは、大学のジャズオーケストラに入部した僕がこのコンボを自然と抜けてしまい、そのあとバンド自体がいつまで続きいつ解散してしまったのかは記憶が定かではない。 確かなのはこのブンサムとペッシェクルードさんの交友はそれ以後もずっと長く続いていたということだ。

僕が2年生のとき、そのブンサムがペッシェクルードさんを通して僕に連絡を取ってきた。 タイ国王夫妻の来日があるのでそのレセプションで僕らの大学バンド、ハイソサエティ・オーケストラ(ハイソと呼ばれていた)に演奏してほしいと言ってきたのだ。 あとでわかったのは、ブンサムから相談を受けたペッシェクルードさんが僕が在籍するハイソを強く推薦してくれたらしい。
このブンサム・ウンパコーンのことをちょっと書いておくと、あの頃の日本に留学生としてきていたタイの若者たちは、例外なく上流階級や富裕な家庭の子女が多く、ブンサムもその例にもれず、ウンパコーン家といえば名家で代々タイ政府や皇室関係の仕事をしている。 このブンサムも後年になって国務大臣だか長官だかの要職についたと聞いている。 ひょうきんでいつもニコニコしていたブンサムの丸顔が今も目にある。

こういうわけで、ブンサム → ペッシェクルード → 僕 → ハイソ、のリンクを通してハイソとタイ留学生間に絆(きずな)が生まれ、今回の国王夫妻のレセプションのあとも、毎年ホテルオークラで催される彼らの盛大な新年パーティにはハイソが招待されることになる。



さて話をあの迎賓館でのパーティに戻そう。

タイ国王夫妻が会場の入口に姿を現したとたんに、参列者の全員が床にひれ伏して、前に伸ばした両腕のあいだに頭を埋める。 そのまま突っ立って無遠慮に国王夫妻を眺めているのは僕ら日本人だけである。 その時僕は、お二人の顔や動作から滲み出る常人には無い独特の雰囲気 (それがたぶん王室の気品とか尊厳と呼ばれるものなのだろう) に強く打たれたのを覚えている。

そのあとどんな順序で何があったのかは僕の記憶からまったく落ちているが、忘れられないのは最後にバンドの演奏になった時のこと。
国王がアルト・サックスを抱えてステージの真ん中に席を取り、譜面が渡される。 周りでハイソのメンバー達があれこれと演奏上の打ち合わせをする中で日本語の判らない国王が謹厳な顔つきでじっと座っているのを見て、バンドのマネージャーをやっていた4年生のUさんがグランドピアノの前の僕のそばへ来ると
「おい、サマオー(王様のこと) はかわいそうにツンボ桟敷じゃないかよ。 お前行って説明してやれよ」 と日本語のわかるタイ人が聞いたら卒倒しそうな言い方をするので。 少しだけ英語ができた僕がそこへ行って譜面の説明をするのを、国王はニコリともしないで頷いていた。 気難しい人というよりも、感情をあまり外に表さない人なのだろう、と僕は思った。

演奏が始まるとあとはダンスとなった。
最初にフロアに出てきて踊り始めたのはシリキット王妃と日本大使で、そのあとに正装した幾組かの男女が続く。 僕の眼は優雅にワルツを踊る王妃の姿を自然と追っていたが、こちら向きになった王妃と眼が合ったとき、彼女がはっきりと僕に微笑を送ったのに驚いた。 それから何度か眼が合い、眼が合うたびに王妃が優しく微笑(ほほえ)むのを見て、すぐそばでボンゴを叩いていた同級生のSが、「おい、シリキット王妃、お前の方ばかり見てるぜ」 とからかった。
曲が終わった時に王妃は、相手の身体から腕を解くと振り返って真っすぐにピアノに向かって歩いてくる。 あわてて椅子から立ち上がってそれを迎える僕に向かって、王妃が英語で言った。
「あなたのピアノ、とても素敵でした」。
僕は慌てて 「ありがとうございます」 と答えて頭を下げる。


その対面シーンが報道陣に写真を撮られ、某女性週刊誌のグラビアに大きく載ったものを僕は長いあいだ大切に持っていたが、これも後年アメリカに渡った時に日本に残したままいつの間にか失ってしまった。
形のあるものはいつか失われることがあっても、心に残るものは誰もどんなにしても取り去ることができない。 永遠に自分のものとして残っている。

プミポン国王の生前の写真を見ると昔の面影が紛れもなくそのまま残っているのに比べて、50数年ぶりに対面したシリキット王妃は見分けがつかないほど変わっていた。 昔の清楚さや優しさが消えて、強靭なたくましさのようなものがそこに見えるのは、長いあいだ病臥していた夫のことや、その間の王室家族の統制、しかも自身の病気などを乗り越えて、タイ国の母として君臨してきた結果なのかもしれない。
しかし、あの迎賓館の夜の、プミポン国王の若々しい謹厳な顔とシリキット王妃の笑顔と言葉を、僕は忘れることはないだろう。

(終)



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コメント:

*

septemberさん!
シリキット王妃の、その時の写真の紛失は、至極残念でした。
50数年ぶりに教えて頂き、有難うございました。あの夜は多分
アカシアで飲みながらズージャを聞いていたでしょうね。国王は
サックスの人だったそうですが、ブンサムがクラを吹いていた
から、そのためですかね、記憶が方向性を失いつつあるのは。
否、耄碌はprestissimoで疾走しています。
しかし有難うございました。タイの留学生との交流が続いた等、
いい話で感動しました。
2016/10/17 [ペッシェクルード] URL #j9tLw1Y2 [編集] 

* Re: タイトルなし

ペさん、

そういえば、ペさんがベースを弾いていたあのバンドのことは忘れられない。
全員の名前と顔がハッキリと思い出せる。

覚えてますか?
正月明けに郷里から東京へ戻った来た僕をぺさんが下宿で待ち構えていて
そのまま電車で長野へ行ったこと。
すごい大雪が降ったあとの公民館で演奏をして
終わったあとで農家の主婦らしいおばさんがやってきて
「とってもいい音楽をありがとね」と言ったことを忘れません。



2016/10/17 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

タイはとても好きな国。と言っても詳しいってわけじゃなくて、バンコクに2度遊びに行っただけ。国王の穏やかな表情の写真がどこにでもあるけど、独裁政治の国という印象じゃなくて、人々がとても国王を愛し、尊敬しているのがよくわかる。日本の天皇陛下と同じように思われているんじゃないだろうか。最近は情勢不安が伝わっているけど、誰もがとても親切で、質素で、また何度でも行きたい国です。タイ安定の要でもあった国王が亡くなられたことで、さらに混乱が広がらなければいいのですが。それにしてもSeptember30さんの人生はなんとも。
2016/10/20 [川越] URL #uvrEXygI [編集] 

* Re: タイトルなし

川越さん、

親日的なタイが大好きだという川越さんのコメントを読んでいて思い出したこと。

ずっと以前に僕がまだ仕事をしていた頃
どこだったのかはまったく記憶に無いけどアメリカ南部の中都市で
日本人の顧客数人といっしょにタイのレストランへ行った時のことです。
壁にかけられたタイ国王夫妻の大きな写真を見て思わず懐かしく
この迎賓館での出来事を思い出した僕が
挨拶に出てきたタイ人のオーナー夫婦にその話をしたらことのほか喜んでくれて
そのあとは注文しない酒や料理が出てくるわ出てくるわ…
そして精算の時に絶対に金を取ろうとしない。
仕方なく法外のチップを置いて店を出たのですが
僕のお陰で(国王夫妻のお陰で?)思わぬところで忘れられない夕食となった、と
いっしょにいた顧客にも感謝されました。

そういえば昨今のタイレストランは洗練されすぎていて
国王の写真を壁にかけるところなどまず無くなってしまいました。



2016/10/20 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

*

昨日21日鳥取で震度6の地震があったとニュースで知り、
米子市は大丈夫かと心配しました。
大きな揺れは倉吉市、北栄町で、米子は震度4だったので、
大きな被害は無いと思いますが、
御親戚やご友人は大丈夫だったでしょうか?

なんとなく日本海側は安心と思っていたけど、
安心な場所など日本には無いですね。
2016/10/22 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* シリキット王妃のオシリもきっと、

Septemberさんは触られたと思ってました。だって、「のび太、さっき俺がシリキットとプレイしたってあの子に言ったけど、プレイってのは、ピアノだけとは限らないぜ」とか言うんですもの。

覚えてますか、コロンバスのBangkok Restaurantに僕が初めて案内した時のこと。レストランの壁にはプミポン国王とシリキット王妃の写真がそれぞれ額入りで飾られており、注文を取りに来たサービスの女の子に、Septemberさんが、「こんにちは、ベイビィ、サワディークラップ。今日のご機嫌はいかがかな。ところで、ボクはあの写真のシリキット王妃と東京でプレイしたことあるのさ。あっ、プレイってのはピアノのこと、もちろんさ。さて、今日のおすすめは何かな」とちびまる子ちゃんの同級生の花輪君風にに挨拶されたので、タイランドにはちょっと詳しい僕はびっくりしました。えっ、あの王妃と。

サービスの子は王妃との部分には大して反応せず、注文を取ると、さっさと厨房の方へ消えいき、そこでSeptemberさんは第一段落のセリフを僕に。あれから10数年、このブログを読むまで、Septemberさんがシリキットのオシリをなでなでしているイメージに苦しめられていましたが、実際はこんな風だったようで、ちょっと安心。

で、今日、次の国王に即位される予定のプミポンの長男のワチラロンコン皇太子の性格や素行問題についての報道もよく耳にしますが、まさか皇太子が留学している間にいろいろあっちの手ほどきをしたのは、Septemberさんってことはないでしょうね。まあ、皇太子がボストンにいたとかは聞きませんので。

Bangkok Restaurant、いまだリカーライセンスも取らず、8時半までの営業、一年に一度の里帰りシャットダウンなどのポリシーを固く守り続け、コロンバスの片隅でまだ頑張ってますよ。一応、ホームページなんかもあるのですが、全然メンテされていないようで。それでも、夕方や週末はいろんな人種の顧客で満員、今も僕のコロンバスのレストランランキングNo 1です。あっ、サービスの子がシリキット王妃の部分に大して関心というか、反応しなかったのは、彼女はラオス人で、アメリカで育ったからだってのが後でわかりました。コープクンクラップ。

www.bangkokcolumbus.com

2016/10/22 [November 17] URL #- 

* Re: タイトルなし

ムーさん、

鳥取の地震のことは知らなかった。
アメリカにいて日本の日常ニュースを毎日気にしてるわけじゃないので
知らなくても不思議じゃないんだけど
それでも大きな地震などのニュースはこちらでもちゃんと報道するのに
(僕はニュースは毎日必ず見る)
きのうの地震はムーさんから聞くまで知りませんだした。
叔母に電話をしてみよう。
2016/10/22 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

* Re: シリキット王妃のオシリもきっと、

November さん、

バンコック・レストランに連れて行ってもらった時に
ウエイトレスの若い女の子にこの話をした、というのは
のび太の捏造のようだね。
忙しいウエイトレスを捕まえて長々と自慢話をするほどの常識知らずでは
僕はないつもり。(笑)

だいたい、このサロンでののび太のコメントには
事実じゃないことがかなり含まれているようだ。
その点はドナルト・トランプといい線いくんじゃないか?


レストランでタダ酒、タダ飯にありついた記憶は実はもう1つあって
これはタイではなくて中国の話。
昔々の東京時代に横浜の中華街で北京料理の店へ入った時に
壁にかかっていたあの天安門広場の写真を見て
「戦前に僕の父の会社がこの広場にあって、しかも僕はこのすぐ近くで生まれたんだ。 いつか訪ねてみたい 」 と
暇そうにしていた高齢のオーナーシェフに言ったら
やはり北京生まれだという彼が異常に喜んで
腕をふるってごちそうしてくれた。
もちろんその時はずっとあとになって天安門事件が起こり(1989年)
この広場がむごたらしい殺戮の場所になるなんて
まったく思ってもみなかったけどね。


2016/10/23 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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