過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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家族に気に入られなかった遺影

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Martha Louise Beall (1927-2017)



これは義母のマーサが亡くなる6日前の彼女の誕生日に僕が撮ったもので、今まで何十年もの長いあいだに数知れず撮った彼女の写真の中で、僕としては一番好きなポートレートの1つとなった。
ところが予想に反して、女房をはじめ一族の中で誰もこの写真を欲しがるものがいない。 義父が亡くなった時のポートレートは全員に切望されて何枚もプリントしなければならなかったというのに。
その理由はわかるような気がする。
このポートレートにはマーサのあの 「優しさ」 が出ていないからだ。 それに幸せな表情とは決して言えない。
カメラの非情なレンズが偶然に捉えてしまったのは、死をすぐ目の前にして、多勢の家族を離れて一人で旅立とうとしている一人の人間の複雑な表情だった。 それは悲しみともとれるし諦めともとれる。 また強い決意の現れともとれる。 ここには大家族に囲まれながら深い孤独の淵に沈む彼女があった。 ふだん周りの誰に対しても別け隔てなく優しくいつもニコニコと笑顔を絶やさなかった彼女を見慣れた家族にしてみれば、辛くて今さら見るに忍びないのだろう。
にも関わらず、僕はこの写真が好きだ。

もし本人のマーサが見たら、まちがいなく気に入ってくれると思っている。










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コメント:

*

私はこの写真が好きですし、
ご家族に人気が無い理由も理解できます。
親族っておばあちゃんには赤ちゃんみたいに無邪気な顔で笑っていてほしいもの。
大家族なら「おばあちゃんてほんとに幸せな人」のはずなんです。

でも人には家族の中の孤独という感情もあります。
孤独とはどんな環境にいても人は個人だということだと思う。
その個人としてのマーサさんの持つ知性や矜持をこの写真はみごとに映しています。
「みんなのマーサおばあちゃん」ではない「マーサさん」
毅然として寂しく美しいと思います。








2017/02/02 [ムー] URL #qiVfkayw [編集] 

* Re: タイトルなし

ムーさん

突きつめれば、ポートレートとは何かという問題に行き着いてしまう。
にっこり笑ってカメラを見つめる人は美しいと思う。
それはカメラに対してではなくその後ろにいる僕へ向けられた笑顔だから。
そこが映画俳優のブロマイドとは違うところだろうね。


それが時として廻りの目とかカメラの存在をまったく忘れた時に
人はふっと真実の自分を見せる瞬間があると思う。
たとえ目がカメラに向けられていても、その人の目は実際には自分の内部を見ている
そんな瞬間を掴めたら
きっと良い写真になるんじゃないかなあ。


2017/02/02 [September30] URL #MAyMKToE [編集] 

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