過ぎたこと、過ぎて行くこと  by September30

アメリカに長く暮らしながら日本やヨーロッパを周る著者が、写真と文章と音楽で綴る随筆のようなもの

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過ぎて行くこと

2016/08/16  朝の散歩
2016/08/08  やれやれやっと…
2016/07/17  古い手紙や書籍など…
2016/06/24  新しい生活へ向かって
2016/06/18  長い眠り
2016/06/15  中庭のある生活
2016/06/05  歳をとったのかなあ (その2)
2016/05/09  引っ越し嫌いの僕だけど…
2016/04/28  夢一夜
2016/04/23  
2016/04/14  人嫌い
2016/04/08  ある日…
2016/04/03  帰ってきた楊貴妃
2016/03/29  古いレンズよさようなら
2016/03/18  遠くへ行きたい
2016/03/11  モノクロの世界へ
2016/02/26  この頃のこと…
2016/01/18  自殺の季節
2016/01/13  太郎の手袋
2016/01/04  申年の女
2015/12/15  静かな夜のこと
2015/11/20  パリは燃えているか
2015/10/14  秋が深まる
2015/09/20  日本の味を求めて
2015/08/25  過ぎていく夏
2015/08/11  ブログとは何か?
2015/08/06  アメリカの女たち
2015/07/29  処刑の日
2015/05/25  古い靴よ、さようなら
2015/05/16  続・小さな贅沢

朝の散歩

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川辺りの並木道




朝の散歩
なんて洒落たことを、生まれてこのかたやったことがあったろうか?
絶対になかったと自信を持って言い切れる。
それが新居に移ってから、ほとんど毎日やるようになった。
とはいっても僕が一夜にして粋な風流人に変身したわけではなくて、それにはちゃんと2つの理由があった。

一つは犬の散歩。
以前の家なら柵に囲まれた裏庭に出してやれば、犬が勝手に自分で用を足していたのが今度はそうはいかない。 1階のアパートだから簡単に外に出れるとはいっても、それでもパジャマのまま外に出るわけにはいかずちゃんと着替えてから犬を連れ出す。 前の家なら下手をすると昼すぎまでパジャマのままで机に向かっていたのにくらべると、着替えることで生活に区切りがついて、さあ1日の始まりだといやでも自覚するということを発見した。 そしてそれはまんざら悪い気分ではない。 いかにだらだらと区切りのない生活を長年続けてきたかを、殊勝にも反省している自分に気がつく。

朝の散歩をやるようになったもう一つの理由は、喫煙だった。
前の家では2階の角に小さなサンルームがあって、両側の窓を開け放したその場所が僕の喫煙室になっていた。 何度もブログの記事にした隣家のしだれ桜をすぐ目の前に眺めたあの部屋だ。 (今回の引っ越しでこの部屋の窓ガラスを掃除したら、なんともまあゲエっとするほど汚れていた)。

今度越してきたアパートはビル全体が禁煙というわけではないにしろ、部屋の中で煙草を吸わないとすると一々外に出なければならない。 中庭なら簡単に出れるけれど、残念ながらここは禁煙となっている。 それで仕方なくビルの横手のドアから駐車場に出ると、そこから川べりまではほんの30メートルほどの距離だから、ついそちらへ足が向いてしまう。 鉄柵にもたれて川を眺めながらゆっくりと煙草を吸っていると、昼間ならいろんな人がそこを通る。 犬を連れて散歩する人、ジョギングの若いカップル、バイクに乗った老人、子供連れの家族、そしてカートに家財道具を詰め込んで押しているホームレスらしい人もいた。 その誰もが僕を見て例外なくハイとかハローとか声を掛ける。 フレンドリーという点では前に住んでいた住宅街とは比べものにならない。

というわけで、喫煙は一々外に出なければならないから、座りっぱなしの状態が中断されて立ち上がって歩くという運動を強いられることになり、これも悪いことではなかった。 それと当然ながら煙草の数が減った。
でもこれじゃあ、冬は大変だなあ。 それまでにきっぱりと煙草を止められるかしら。
たとえ煙草を止めたとしても、パイ公の朝の散歩は止める訳にはいかない。 雪が積もった冬の朝の散歩には、今まで履いたことのなかったブーツも必要になりそうだ。





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やれやれやっと…

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窓の外には



引っ越しをした日からあっという間に10日が経った。
山と積まれたボール箱に囲まれてまず最初にしたのは、極端に限られたスペースの中でベッドを組み立てて、寝る場所を確保したことと、それから鍋釜を取り出してキッチンを何とか使えるようにしたあと、大統領選挙のニュースとリオのオリンピックを見るためにテレビを設定した。
それをやってしまえばあとは何も急ぐことは無し。 今のところ不便この上もない生活だけど引越し前と比べると精神的にはずっとリラックスしている。 あとは時間をかけて一つ一つ箱を開けていけばいい。

この3週間いやというほど肉体を酷使したせいか体重が3キロ減った。
なにしろそれまではろくに運動もせず、毎日たっぷり8時間の睡眠を取っていた僕が、この数週間は毎日5時間とか6時間の睡眠でやってきたので、その結果蓄積した疲労が完全に取れるまで、引っ越しを終えたあと数日を必要とした。 萎えていた両脚に筋肉が付いたのは気のせいではないようだった。


でも僕はこの新しい生活の場所がとても気に入っている。

朝目を覚まして寝室のベネチアンブラインドを開けると、そこには以前とはまったく違う世界があった。
再び、異邦人に戻ったような気がする。
新しい生活の始まりだ。





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古い手紙や書籍など…

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ものを処分するなかで一番頭を悩ませたのは古い手紙と書籍類だ。
手紙の方はまだ楽だった。
ともすれば感傷的になる心を鞭打って容赦なくどんどん捨てた。手紙なんて保存するのに大した場所を取るわけでもないのにそうしたのは、 新しい生活を始めようとしている自分にはもう必要がない、過去はもうその全部が胸の中に収まっている、とこれはコメント欄にムーさんが書いていたのとまったく同じ気持ちだった。

ところが本となるとそうはいかない。
処分しないで保存しておきたい本が思ったよりもずっと多かったが、このフランクリンの世界文学全集はその中には最初は入っていなかった。 立派な装丁のこの本は70年台の貧乏の時代に、毎月1冊ずつ取り寄せたもので全部で40冊ほどある。 途中で止めてしまったのでもちろん全巻が揃っているわけではない。 どの本もまるで昨日買ったばかりの新品に見えるということは、あまり開かれたことがないということになる。 引っ越しで持ち運ぶにはあまりにも重すぎるし、今後こんな古典を改めて読むことは自分にはもう無いだろうということもあって、誰かに貰って欲しいと思ったが欲しがる人が周りに誰もいなかった。 図書館にでも寄付するしか無いかなあ、と思いながらその一冊を手に取ってパラパラめくってみると、至る所にすばらしい挿絵が入っていたのを思い出した。 一冊一冊が違うアーチストでそれぞれスタイルも大きく違い、絵を見るだけでも実に楽しい。 この挿絵だけでも保存する価値はある。と思い直して箱に詰めていった。
新しい住居に落ち着いたら、この絵を1冊ずつ丹念に見ていくのが楽しみだ。





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新しい生活へ向かって

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表玄関



前に 『中庭のある生活』 で書いたあの1階のアパートが僕らのものになった。
僕らより前にすでに手続きをした1組がいたのでほとんど諦めていたのが、ひょんなことからこちらに回ってきたのにはちょっとした経緯(いきさつ)がある。
つい先日このビルの事務所から連絡があって最上階のペントハウスが空くことになったので、見てみないかと言う。 彼らとしてはわれわれと同様に1階のアパートは最初の1組に決まると見ていたので、今回の新しい物件はわれわれを優先して最初に知らせてくれたらしかった。
そこでさっそく行ってみると…

ビルの最上階 (といっても13階建てのわりと小さな建物なんだけど)の このペントハウスは東向きに部屋が並んでいて、そこからの町全体を見下ろす眺めはたしかにすばらしかった。 部屋数が2ベッドルームに2浴室、それにリビングルームとキッチンというのは1階と同じだが、全体のスペースは1階のそれよりも少し広いだろうか。 日当たりが良いというのが大きな魅力だったが、1列に部屋を並べただけの間取りは、L字型に配置された1階とちがってなんとなく趣きのようなものに欠けていた。 ここではいったんドアを閉めてしまえばそこには外界と完全に遮断された密室があって、外の自然に触れたいときには、エレベーターの中に長いあいだ自分を閉じこめなければならない。 1階のアパートのような、窓の外には常に中庭が見えていて地面に近く生活をしているという安堵感のようなものがなく、そのまますぐに自然の中へ出れる便利さもなかった。 しかも家賃は1階よりも3割増しに近い。
僕らのあいだでは議論の余地はほとんどなくて、「No」 を出した。

ここまで書けば頭のいい読者はすでに事情を察したと思う。
そう、1階のアパートに唾を付けていたあの1組が、僕らのあとにここを見せられてその場で気に入ってしまい、即座に決めてしまったそうだ。 そのおかげで1階のアパートがこちらにまわってきた、という僕らにとってはラッキーな展開になったわけである。


事務所では7月18日を入居日にしたいといっている。
われわれとすればそれはもちろん不可能に思えるが、事務所側ではそれを延ばすことはできないという。 いったん借りてしまえばあとはいつ入居するかはこちら次第だから、7月18日から借りることにして、実際の引っ越しは8月1日ということになるだろうな。
あと1か月とちょっと。

さあ、忙しくなりそうだ。


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裏へ出れば…





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長い眠り

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古い帳簿



わが家の地下室の片隅に小さな部屋がある。
物置として使っているその部屋には、昔やっていた木工の工具だとか写真用暗室の器具などがぎっしり詰まっていて、もう何年もそのドアさえ開けたことがなかった。 それが今回、引っ越しという大事件が起こりつつある中で、このドアを開けなければならない状態に追い込まれ、中に入っているものを一々調べ始めた。 リョービ製のテーブルソーや電気カンナ、ルーター、ドリルスタンドなどのパワーツールから、十何本もの大小のクランプやノミ、手鋸など、よくこれだけ揃えたものだ、と自分でも驚くほどの数の工具が出てきた。 それに加えて写真の引伸し機や乾燥機、マウントプレスなどもある。 昔さんざん使いこなしたものばかりでその一つ一つに思い出があり愛着があった。 思わずセンチメンタルになってしまう自分を、いけないいけないと叱りながらも作業はなかなか進まない。 おそらくもう2度と使うことはないだろうと思うと、重ねてきた年月の重さに、つい動作が止まってしまうのだ。

すべてを処分してしまうつもりだった。 捨てるものはほとんどなく、貰い手を見つけるのは難しくないだろうと思われるものばかりである。
そんな中に、見覚えのない小さな段ボールの箱を見つけた。 開けてみると3冊の使い古された帳簿のようなものが入っている。 明らかに僕のものでも家族のものでもなかった。 どこから紛れ込んだのだろう? 20年前にこの家へ越して来た時に、すでにそこにあったものに違いなかった。 手書きの帳簿のようなその本には日付や人の名前、それに金額の数字がぎっしりと書かれていた。
日付を見て驚いた。 1885年から1887年までの3年間となっている。 なんと130年前の記録なのだ!
それにしても何の帳簿だろう? 店のオーナーが金銭の出納をきちんと付けたように見えるが、それにしては売れた品目の名前などいっさいなくて、そこにあるのは人の名前だけ、というのが不思議だった。 と思いながら丹念に1行づつ読んでいくと、あったあった! ところどころに品目が書かれているじゃないか。 「1/4 ポンドのジンジャー … 10セント」 とか 「桃1缶 … 15セント」 とかがそれだった。 そうか、これを書いた人は町の食料品店の店主だったのだ。 その頃は買い物をして一々現金で払う客と(By cash とあるのがそれ)、ツケで買う客との二通りがあったようだ。 左欄がツケの金額、右欄が現金の売上げのようで、月末には左欄を総計してそれぞれのツケの客へ請求をしたのだろう。

上の写真に見える1886年といえば日本は明治19年。
その数年前に日比谷に鹿鳴館が建てられて西洋風の舞踏会が盛んに催され、当時の外務卿であった井上馨は欧化政策に失敗して1887年に辞職している。
そんな頃にこのオハイオ州の一都市で商売を営んでいた人の息子か孫かが、僕らが20年間住んだこの家の持ち主だったのだろうか。 家が建てられたのが1920年代だと聞いているから、それで辻褄は合うことになる。 そのあと、1996年に僕らがこの家へ越してくるまで、どんな持ち主の変遷があったのかは知る由もないが、その長いあいだ、この帳簿はずっとこの地下室に眠っていたに違いなかった。 それが130年ぶりに人の目に触れたことになる。 長い眠りだ。


この3冊の本が郷土史の資料として貴重なものなのか、それとも何の値打ちもないものなのか。
まったくわからない。
さて、どうしよう。

というようなことで、家の整理などまったく進まないこの頃だった。







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中庭のある生活

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石の中庭
Haute-ville, France



アパート探しが続いているこの頃、ようやくこれは、と思う物件に行き当たった。
さっそく申請料と頭金をうったのはいいが、ここに決まる確率は半々というところだろうか。 というのは、われわれの前に一組の借り手がすでに興味を示して同じ手続きをやっているので、彼等がほかのアパートに決めないかぎりこちらの番が回ってこないのである。
このアパートは市の歴史的建築物に指定されているというどっしりとした古いビルの1階にあり、そのビルはデイトンのダウンタウンを抜ける大きな川の畔に建っている。
まず1階というのが気に入った。 ビルの表玄関から重いガラスのドアを開けて守衛室の前を通り、感じの良い画廊を思わせる広いロビーを抜けて、二基のエレベーターの方へ歩いて行き、その横の通路へ入ると突き当りにこのアパートのドアがあった。 エレベーターを使うこと無しに簡単に外への出入りができるのが気に入った。 ビルの裏口から外へ出るとそこには大きな川が流れていてちょっとした公園のようになっている。 川に沿って散歩道とバイクルートがあった。 ビルの表玄関からは劇場やコンサートホールや飲食街までほんの数ブロックで、簡単に歩いて行けるのも、長いあいだ遠ざかっていた都市生活をエンジョイできそうだ。

われわれの見たこの1階のアパートは小さなコートヤードに面していて、L字型に配置されたどの部屋からも窓の外には石畳の中庭が見えて、水の出ていない噴水さえあった。 そこには鉄製の丸いテーブルやチェアーが幾つか置いてあり、部屋の中から見るその光景に、一瞬ヨーロッパのどこかの町にいるような錯覚を覚えた。 担当者の話ではここに降りてくる住民はほとんどいないそうだ。 庭への出口のドアは部屋のすぐそばにあるから僕ら専属の中庭のように使っていいと言う。 ラップトップを持ち出せばここで仕事もできそうだし、女房もイーゼルを組み立ててここで絵を描くという想像さえできた。


ビルの経営者からの連絡を待つあいだ、わが家では家の整理が進んでいる。 といっても気の遠くなるような大作業で、あい変わらずのろのろだ。 でもこのアパートが決まれば一大奮起できるかもしれない。



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歳をとったのかなあ (その2)

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自画像



この骨董屋はふだん余り足を向けることのない地域にあるので、たまに他の用事で近くまで来た時には時間さえあればのぞいて見るようにしている。
先日そこで目にしたのがこの置物だった。 6x9cm の木の台座に、見れば見るほど精巧に作られたミニチュアが乗っていて、ブルー系の色も綺麗だし、何よりも、自画像と題しながら本人とはまったく別の顔がキャンバスに描かれているのがおもしろい。 それをただのユーモアと取るか、もっと深く人間の潜在意識の描写が芸術だ、などと小難しく解釈するかは人しだいだろうが、僕はいっぺんで気に入ってしまった。 よく見るとキャンバスにピカソやレンブラントの自画像が貼り付けてあるのもいい。
そして $15 の札が下がるその置物を持ってレジスターへ立った時、僕はポケットに財布が無いことに気がついた。 家に置いてきたのだ。 ということは免許証も持たないで車を運転してきたことになる。 この骨董屋の女主人は50代のハッとするほど凄い色気のあるいい女で、僕がここへ来るのは売り物を見るためなのか彼女の顔(と身体)を拝むためなのか、自分でもわからない。 その彼女に訳を話して品物をリザーブしてもらい、急いでうちへ帰り、またいそいそと彼女のところへ取って返してようやく自分のものにしたのがこの置物というわけだった。

財布を持たないで外出するなど、以前ならまずなかったことが最近は時々起こるようになった。 それ以外にも 「ボケてきたのかなあ」 と思うことがいくつかあるのに気がついた。
そう言えば 『歳をとったのかなあ』 というタイトルでブログ記事を書いたことがある。
あれを書いたのはかなり以前のことで、今読み返してみて気がついたのはあれからもう5年以上たった今でも、そのほとんどは現在の僕にあいかわらず当てはまる。 ところが当てはまらない部分も出てきているしさらに新しく付け加えなきゃならない事実もある。 それはそうだろう。 なにしろあの時よりさらに5年分だけ墓場に近づいているわけだから。
つまり、『歳をとったのかなあ』 には改訂版が必要なのだ。 いや改訂版ではなくて増補版と呼ぶべきか。

まずあの時の記事をここにもう1度挙げてみると…


歳をとったのかなあ、とこのごろ思うのは、

・ マテニーが昔のように超ドライで飲めなくなったとき
・ 立ったままで靴下をはくときに片足でバランスがとれずよろめくとき
・ 運転中に大胆な追い越しや割り込みをしなくなったとき
・ 心の優しい醜女に魅力を感じたとき
・ 自分ほどテニスのうまくない30代の男性にシングルスで負けたとき (悔しくて夜眠れなかった)
・ 30年前に絶交した友の顔を懐かしく思い出すとき
・ 女性のヌードを見て純粋に芸術的に美しいと思うとき
・ しょうもないメロドラマを見て涙が溢れそうになるとき
・ 起ち上がるときに思わず 「よいしょ」 と声をかけているとき
・ 自分の容貌や服装が以前ほど気にならなくなったとき
・ 雲の流れや月の満ち欠けを時間をかけて眺めているとき
・ 自分の子供たちと電話で話しているときの声が以前よりも優しくなっているのに気がついたとき
・ 英語でファックとかシットとか汚い言葉を発言する回数が減ってきたとき
・ はらわたがちぎれるように怒っているのにニッコリと笑えるとき
・ 医者が次回の健康診断の予約を1年先に取ってくれたときに、それまで生きていたら、と冗談で答えたとき
・ パーティですご~く魅力的な女性が自分に強く関心を示しているのを軽く受け流せたとき
・ 老成した作家の名作が自分の歳より若いときに書かれたことを発見したとき



この中で1つだけ変わったのは、「自分の容貌や服装が以前ほど気にならなくなったとき」 という項だった。
5年後の現在、なぜなのか自分の容貌や服装が急に気になり始めたのである。 髭だって毎日ちゃんと剃る。 別に外出するわけでもないのに。 そして汚れたものを以前ほど平気で着ることができないようになった。 鏡なんてまず覗いたことのなかった僕が、今では1日に1度は鏡で自分の顔を見つめたり、外出前に等身大の鏡で全身をチェックするようになった。 この歳になって人の目を気にするようになったのは進歩なのか退歩なのか自分にもわからない。

というわけで上記のリストにさらに加えなきゃならないものの幾つかは…

・ 買い物をしていて、金を払う時になって財布を持っていないことに気がついたとき (これが今日の記事のこと)
・ 日常の会話やメールの文中で、「…だと思う」 とか 「…かもしれない」 という婉曲な表現が消えて断定的に言い切っている自分に気がついたとき
・ 急に思い出したことがあって急いで階下へ駆け降りたあと、何しに降りてきたのかわからないとき
・ 信号無しの横断歩道で犬を連れて立っている僕を見て、通りがかりの車が止まってくれたとき (サングラスをかけていたのでもしかしたらメクラと盲導犬に見えたのかも)   
・ 店屋の入り口で前にいる若い女性がドアを支えてにっこりと僕を優先してくれたとき
・ 風呂上がりに体重計に乗って体重が減っていないのを見てほっとするとき (増えているともっと嬉しい)。
・ 昔懐かしい映画俳優や有名人をテレビで見て、その加齢ぶりに息を呑んでしまうとき




歳をとったからといって人を愛せなくなるということはないわ。
でも、愛することで歳をとらないということはありえるわね。
ジャンヌ・モロー (1928 -)





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引っ越し嫌いの僕だけど…

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雨の葉桜



雨の日の朝、隣家の枝垂れ桜がびっしりと若葉をつけているのを見て、嬉しくなる。
しばらく前に満開の花を見ていた時には、その風情がなんとなく元気がなく、花の数も少なめで爛漫という感じからは遠かった。 やはり老樹だから仕方がないのだろう、人と同じで盛りを過ぎればあとは衰えていくのを待つだけなのかと、寂しい気持ちにさせられたばかりだったから、こうして隣家も空も見えないほど隙間なく密に茂った元気な葉桜は、僕を喜ばせた。

こうやって窓越しに隣家の枝垂れ桜を眺めるのは今年が最後かもしれない。
というのは、わが家では引っ越しの話がまたまた持ちあがっていて、もうすでに幾つかのアパートを見に行っている。 そのどれも高層ビルの中の住居で庭もポーチも無い、 (ベランダは付いているけど)。 われわれが最低条件に上げているのは、うんと広いリビングルームにベッドルームが2つ、浴室が2つ、それに今よりもずっと大きなキッチンを備えていることだった。 そんなの贅沢だと日本の友人たちは言うかもしれないが、そうは思わない。 リビングルームは女房のアトリエも兼ねるだけのスペースが必要だし、ベッドルームの1つは僕の仕事部屋になる予定だった。 浴室が2つ欲しいといってもその1つはバスタブの無いトイレとシャワーだけ、つまり不動産屋がハーフバスルームと呼ぶあれでかまわない。 アメリカではベッドルームが2つ以上のアパートで浴室が1つだけというのはまずないからだ。 キッチンも今の古い家のキッチンがあまりにも狭いのに改造のしようがなくて長年我慢をしてきた。 だから今回の僕らの望みはけっして贅沢ではないのである。

そうやって探し始めてみると我々の条件を満たすアパートはけっこう多くあって、そのどれも近代的で機能的で快適に暮らせそうな場所だったが、今のところ、これはというものにまだ行き当たっていない。 僕がいいなと思うものには女房が異論をとなえ、彼女が気に入っているのにこちらが気が進まず、というぐあいである。 そしてほぼ完璧に二人を満足させる住居が見つかったと思ったら、その地域が感心しない環境だったり、不便な場所だったりする。

引っ越しの話は数年前から何度も持ち上がっていたが、いつも話だけに終わってこうやって積極的に探し始めたことは今までなかった。 今回は実現するかもしれないという気になっている。 なにしろ建てられてから80年以上も経つ古い家にもう20年住んでいるから、あちこち具合が悪くなるのはしょっちゅうでその修理が大変だし、大きな庭の手入れをするのもわれわれには年々きつくなってきた。 子供たちが出て行ったあと使わない部屋やスペースが多すぎる。 もっと以前に移るべきだったと思いながらそれをしなかった理由はただ一つ。
昔から僕は引っ越しが大嫌いなのだ。





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夢一夜

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 アーチ、噴水、石畳
Seguret, France



このところ毎晩のように夢を見る。
以前よく見た夢のように刹那的で筋の通らない夢とちがって、近頃の夢は一つの話に定着してちゃんと物語になっている。 目が覚めたあとでも実際にその物語を経験したような生々しい現実感があり、あらためてその話を最初から克明に反芻することができた。 まるで自分が違う世界へ行って違う人生の一部を生きたあと、またこの現実へ呼び戻されたような奇妙な気分である。
おかげで最近は眠りにつくたびに、今夜はどんな世界へ連れて行かれるのだろうと楽しみにするようにさえなった。 こんなことは今までになかったことだ。
それというのはたぶん、掛かりつけの医者に最近なかなか寝つかれないとこぼしたら、処方してくれた軽い睡眠薬を服用し始めたせいのようだ。


ゆうべはこんな夢を見た。
僕はあの南フランスの山の上の小さな村、セギュレの石畳の路を歩いていた。
ひとりではない。
ふたりの連れがいてそのふたりはもう何年も連れ添った夫婦のようだった。 その見知らぬふたりを、この村へはもう2度も来たことのある僕が案内しているというわけでもなく、むしろふたりの後について曲がりくねった細い路を登っていた。





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村の夕暮



このふたりと僕は友人でも知り合いでもないのに、どうも奇妙な関係にあるようだった。 男はがっしりとした大きな体をしていてほとんど口をきかない。 細身の女の方は時々男に話しかけたり振り返って僕がちゃんとそこにいるのを確かめたりするのだが、そんな時、僕を見る女の眼が何かを訴えるかのように妙に熱っぽい。 おや、この女、俺に惚れてるのかなと思わせるような色っぽい微笑を見せたりする。
女は自分の好みのタイプではないし、そばにいる亭主らしい男はなかなか恐そうだ。 にもかかわらず、この触れなば落ちん風情の女にこれ以上誘われたら拒むことができるだろうか。 と思いながら僕は女のくびれた腰から視線を外して遠くの山脈にかかる雲を見ている。





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教会


山上の小さな教会に辿り着く。
何百年とそこに建っている教会のドアは重く、男と僕とが二人がかりで押してようやく中へ入ることができた。 うしろから入って来る女が僕の背中へそっと手のひらを当てるのを感じた。
燭台が幾つか灯されただけの薄暗い教会の中で、やがて男と女が抱き合ってダンスを始める。 音楽はない。
そのすぐ傍にぼんやりと立っている僕を、がっしりとした男の肩越しに女がじっと見つめている。 そしてこちらへまっすぐ手を延べてきた。 僕はその手を握りながら、ああこの女とは寝ることになるな、とはっきりした予感に襲われる。 それは嬉しいというよりはどちらかと言うと 「困った…」 という気持ちに近かったようだ。
僕は女の汗ばった手の平を離すとそのまま教会の外に出た。 石だらけのゆるい坂道をひとりで下りて行った。




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石の坂道



*****






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Dayton, Ohio, USA



右眼を手術してちょうどひと月が経った。
きのう診察してもらったらすべて順調で腫れも完全に引いている、あとは1週間のあいだ目薬を日に2度入れ続けろ、と言われた。 そして新しい眼鏡を作るための視力検査をしてもらう。 その結果、今の状態なら眼鏡無しで立派に運転免許証の試験をパスできると保証してくれたのは嬉しいが、このひと月すでに眼鏡無しで車を運転している僕は、はるか遠くの看板が見えにくいことを知っているので、そのためにも新しい眼鏡を作るのが待ちきれなかったのだ。 ところが医者が言うには左眼はまったく度が進んでいないからレンズの入れ替えは必要無い、今のままのフレームの右眼に新しいレンズを入れればいいじゃない、安上がりで良かったねと人の懐を見透かしたようなことを言った。 新しいフレームを買うことを予想していた僕はちょっとばかり失望したとはいえ、まあ余分なことに金を使うことはないか、と医者の言うことに従うことにした。

書いてくれたレンズの処方箋を手にしてその足で眼鏡屋へ行った。 1週間でできるという。
このひと月、眼鏡無しで不自由なく動き回れるのは嬉しいことだったが、なにしろ不便だったのは本を読んだりPCのモニターを見る時にはリーディンググラス、つまり老眼鏡をかけないとまったく何もできないことだった。 バイフォーカルの眼鏡に馴れた僕は一々かけたりはずしたりするのが面倒でしょうがない。 外に出る時も老眼鏡を持っていないと、店屋で値段表も見れずレストランでメニューも読めない。 そうか、細い老眼鏡を鼻の先までずらして掛けっぱなしにしている人をよく見かけるのはこれだったんだと納得する。 あれは高齢者の勲章のようにいつも思っていた自分も、今はその勲章をもらってしまったのか、とこれもまた寂しく納得した。 しかし何よりも腹が立つのは、写真を撮る時にファインダーを眼鏡無しで覗けるのは嬉しいとして、カメラの設定をあちこち変える時に機体の字や数字がまったく読めないからそこでまた老眼鏡を掛けなければならない。 そのあとファインダーを覗く時にはまた眼鏡をはずす、というバカバカしくて滑稽な動作を繰り返さなければならないことだった。
ああ、早く眼鏡ができて欲しい。



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人嫌い

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誰もいない駐車場


最近よく感じるのは、以前からの 「人嫌い」 の兆候がだんだん激しくなってきたのじゃないか、ということ。
引退する前の会社では、それこそ毎日人に囲まれて人と取引をするのが仕事だったから、実は自分は人嫌いなんですなんて言っても誰にも信じてもらえなかった。 僕に言わせればあれは仕事だから仕方なくやっていただけで、できればひとりで部屋に閉じこもってひっそりと、それでいて金になるような仕事がもしあれば、と夢見ながらその機会はついにやってこなかった。

仕事を退いたあと、ひとりで過ごせる時間がいやというほど持てる身分になったわけで、それ自体はまったく苦にならない。
世間との交渉を絶つということが、こんなに楽しいものか、と自分でも驚いた。 交渉を絶つといっても山中の一軒家に独りで暮らすわけじゃないから、家族親族、近所、店屋など、周りとの接触は当然出てくる。 そういう接触を最小限にとどめるということを、べつに努力しないで自然とやっているようだ。 パーティなどに誘われてもそれがごく親しい人ばかりの小さな集まりでない限り、出席することはまずなくなった。 そして親しく気心の知れた人ならたまに自分から呼び出して会ったりさえする。 そういう時、自分でもびっくりするほどよく喋る。 だから僕は人嫌いというんじゃなくて世間嫌い、あるいは社交嫌いと言うべきかもしれない。

写真を撮るというのは、それが誰もいない駐車場であろうと、人で溢れるマーケットであろうと、孤独な行為だという点では変わりがない。 その撮った写真をPCに向かって時間をかけてあれこれ手を加えて編集するのは、さらに孤独な作業である。
そんな孤独な過程が僕にとっては実に楽しく、最後に1枚の写真が仕上がった時に、しみじみと幸せを感じる。
こんなんじゃ変人と呼ばれてもしょうがないね。




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ある日…

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インターナショナル フェスティバル 1
Wright State University, Dayton, Ohio


数年前に僕の個展を主催してくれたライト・ステート大学国際部門のディレクター、キャロルさんからメールが来て、学生たちがインターナショナル フェスティバルをやるのでよかったらいらっしゃい、と言ってくれた。 隣接のナッターセンターで半日だけのこじんまりとした集まりらしく、行ってみるとデイトン市が毎年やっている同名のフェスティバルとはその規模も観客数も比べものにならないほど小さい。 市民の娯楽というより外国人学生同士の親睦会という感じだった。

それでもステージではきちんと衣装を着けて民族舞踊を見せたり、幾つかの屋台ではエスニックの料理が売られたりしていた。 この会場になっているナッターセンターは市では最大のスポーツ施設で、バスケットボールやアイスホッケーの試合を見に何度も来たけれど、いつも観客席から見下ろしているだけでこうして中央のコートに立ったのは初めてである。 なるほどスポーツ施設もこういう使い方があるんだ、と感心した。





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2

パーティなどで群衆の写真を取る時は、その時は何も考えずにただシャッターを切るだけで、撮った直後にモニターでチェックすることさえしないのに、あとで家に帰ってからよく見るといつもきまってふーんと思うことがある。
人間とはなんと孤独な生きものだろう。 ということ。
そこに写されている一人一人の頭の中には、この瞬間何が去来しているのだろう?
お互いにこんなに近くに存在しながら、実際にはそれぞれの間に星と星ほどの距離を感じる。




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帰ってきた楊貴妃

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きのうのこと、朝から降っていた雨が止んで、遅れてすみませんみたいな感じで申し訳なさそうな陽が射してきたとき、何気なく窓から外を見てはっとした。
隣家の枝垂れ桜に幾つかの白い蕾がついている。
あっ、楊貴妃が帰ってきたのだ。 まったく予想していなかったので驚いて去年のブログを見ると、4月の14日の記事にその前日初めて蕾を見たと書いている。 今年はそれより半月も早い僕の楊貴妃の帰宅である。 よしよし、よく帰ってきた。 さあ何も言わずに俺の腕の中へおいで。 うんと可愛がってあげよう。 とそんな優しい気持ちになった。

そして明くる日の今日。
あっという間にもうこれだけの花をつけている。 外でさんざん浮気をしてきた女が忘れずにちゃんと帰って来てくれて、長いあいだ放っておいた男を喜ばせようと懸命に花を咲かせているのは、実にいじらしい姿だった。 怒ってなんかいないよ。 浮気女であろうと悪女であろうと構わない。 俺はあるがままのお前を愛している。 そして、お前が真実愛しているのはこの俺だけだ、とちゃんとわかっているんだ。
今年もまた春は短いけれど、その短い春を激しく燃えながらいっしょに謳歌しようじゃないか。
とにかく酒だ。 乾杯だ。







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古いレンズよさようなら

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ニッコール 35mm f/1.4


このレンズを手に入れたのは70年代の半ばだったから、もう40年以上も僕といっしょに年月を重ねてきたことになる。
当時としては貧乏アーチストの僕なんかにはとても手の届かない贅沢で高価なレンズで、これを買うためにしばらくのあいだ生活を極端に切り詰めことを忘れない。 今では古いカメラやレンズ類をほとんど処分してしまったあと、最後に残ったわずかなものの一つがこのレンズだった。
今あらためて手に取るとそれは手のひらにずっしりと重く、プラスチックをふんだんに使っている昨今のレンズには無い重厚な貫禄がある。 あちこちの塗りが剥げ落ちていて、とくに回転リングの部分はひどい。 胴に彫られた数字はかすれてしまいレンズの曲面にも幾つかの傷がある。 絞りのリングは少しガタついているしピントの操作リングは逆にゆるゆるで締りがない。 こうやって眺めるといかにも 「刀折れ矢尽きた」 老兵という感が強い。 しかし僕の後半生の荒波ををいっしょに生き抜いた仲間だ。 死ぬまで手放すことはないだろう。


だから 「古いレンズよさようなら」 というのはこのレンズのことではなくて、実は自分の眼の中のレンズ、つまり今回の白内障手術で取り除いた右眼の水晶体のことだった。
新しいシリコン製のレンズと取り替えてみたら、最初の数時間は何も見えず、まるで万華鏡を見ているように訳の判らない形や色が眼の前に飛び交っている。 まるでずっと昔に何度かやったことのあるLSDでトリップしているような感じである。 それがだんだん落ち着いてくると少しづつ物が見え始め、時間が経つにつれてそれが次第に焦点を結んできた。 手術した右眼の奥の方には鈍い痛みがあったが、鎮痛剤を数回飲むうちにその痛みは夜までには消えてしまった。

手術後は3種類の目薬をそれぞれ違う頻度で眼に入れるようにと医者が言う。 目薬1は日に2回、目薬2は4回、目薬3は2時間おきに日に8回というぐあいで、これを1週間続けたあと2週目はそれが目薬1と3に減り3週から5週までは目薬3だけを日に4回というけっこう複雑なスケジュールになっている。 混乱を防ぐために医者がくれたチャートに、目薬を使用するたびにチェックをするわけである。
手術の翌日のフォローアップで医者の検診を受けたら、視力はすでに 20/20、つまり日本でいう視力1.0 になっていた。
嬉しいことに以前は常に紗がかかったように見えていた周りの世界が、今は見違えるようにハッキリと鮮明に見えるようになった。 このぶんだと以前の眼鏡なしの生活に戻れそうである。 ただし、医者が言ったとおりで本を読むなどうんと近くのものはやはり見辛い。 その時だけリーディンググラスを使うか、そうでなければ以前と同じバイフォーカルの眼鏡をかけるしかないだろう。 手術前にはリーディンググラスをかけても右眼がぜんぜん見えず、本を読んでもすぐ疲れてしまったのが今では嘘のように楽に読めるようになった。 以前なら虫眼鏡を使わなければ読めなかった新明解の小さな字も、今ではリーディンググラスをかければ楽に読めた時には、僕は思わず 「やったあ!」 と手を叩いてしまった。

予期しなかったことを発見してショックだったのはそのあとである。
左右の目で別々に見る世界の色が違う!
新しいレンズを入れた右眼で見る世界はすべての色がニュートラルで正常に映るのが、左の古い眼で見る世界はずっと暖色系に見えるのだ。 ちょうど写真でいえば、昔のフィルムカメラに着ける #85 とか LBA の暖色フィルターを装着したような感じだった。

右眼

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左眼

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ということは、今まで何十年ものあいだ、ニュートラルじゃなくて暖色フィルターを内蔵した両眼で写真を撮っていたということになる。
これにはちょっと参った。
もっとも自分の趣味としては下の暖色の写真のほうが好きだとしても、これは趣味の問題以前の 「いかに正確に見る」 かが問題点だとすると、これではまったく自信がなくなってしまう。 色の違いのことは医者も言及しなかったし、いろいろとサーチした記事にもシャープさにだけ言及して色彩には触れていなかった。 左眼を手術すれば解決するわけだから、これはもうそうするより他にないような気になっている。 医者に言わせれば今のところ手術の必要はまったくないそうだ。

困った…






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遠くへ行きたい

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冬の旅
Bellbrook, Ohio USA










歌唱: 鮫島有美子









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モノクロの世界へ

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陰影礼賛


久しぶりにモノクロの世界へ入ってみると、どういうわけかほっとする。
それはまるで、自分のまわりの色彩に満ちた現実世界が実はマヤカシの世界に過ぎず、それはいつか必ず滅びるだろう頼りなくてあやふやな存在であるのにくらべて、白と黒とグレーのモノクロの世界には100年前も100年先も変わらずにそこに存在する 「確かなもの」 ―― 恒久といってもいいような世界があった。

ふだん見慣れたリビングルームのフロアスタンドも、モノクロのフィルターを通して見ると、裏に隠されて今まで気づくことのなかった新鮮な美しさを表してくれる。





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二つのカップ


毎日1度は必ず飲むエスプレッソ。 それ用のデミカップを普通のコーヒーカップにうっかり入れたらそのまま取れなくなってしまった。 湯で温めたり冷蔵庫に入れて冷やしたり、いろいろやってみたけどどうしても出てこない。 これは破壊するよりほかに方法はないのだろうか? もしそうするとすればどちらのカップを助けるか? これは難しい問題だ。
それも忍びなく、といって捨てるのもなんとなく気が進ます、仕方なしにそのまま放ってある。 さいわいデミカップは違う形と色のものをほかに数個持っているから、エスプレッソが飲めなくなったわけではないんだけれど、この角を落とした正方形のやつを1番気に入っていたのに…





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本棚


本というものはその数が増えることはあっても減ることはない。 日常手に取ることはまずないのに、家の中のかなりの場所を占めているのは理屈に合わないと思いながらそのままになっている。 何度か処分しようと試みたが、そのたびにこれは取って置きたい、これはいつかまた読むだろう、この本には思い出がある、と結局また本棚のもとに場所へ収まってしまう。 古い本ほど特にそうだ。 





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楽譜


先日地下室で、長いあいだ開けられることもなく積まれていた段ボールの箱を開けてみたら、むかしボストンで音楽学生をやっていた頃の教材やピアノ楽譜やノートブックなどがごっそりと出てきた。 その中には自分の作曲編曲した譜面がかなり混じっている。 そのページをめくりながら僕は、昔の恋人に40年後に出会ってしまった時のような懐かしさと切なさを感じていた。
この写真の鉛筆書きのスコアは "Why am I treated so bad?" (俺ってなんでこんなひどい目にあわされるんだ?) のタイトルでジャズオーケストラ用に書いたもので、教師だったフィル・ウィルソンのバンドで最初に演奏された時のあの興奮をはっきりと思い出していた。 僕の耳に、重厚なハーモニーをバックにソロを取るフィルのトロンボーンが聞こえている。


モノクロの世界への旅は一種の現実逃避なのかもしれない。 酒やドラッグがそうであるように…









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この頃のこと…

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ヴェネツィアの朝


最近どうも眼鏡が合わなくなったようだ。
見るものすべてにうっすらと紗がかかったような感があって、外の風景を見ても机上のモニターを見てもなんとなく不鮮明で、車の運転をしても道路標識の文字が読みづらくなった。 数年前までは近眼と老眼がうまく中和されたらしく、日常のたいていのことは眼鏡なしでできるようになっていた。 眼鏡なしで車の運転ができるなど、生涯を通じて初めての経験である。 さらに嬉しかったのはカメラのファインダーにピッタリと眼をつけられるので写真がずっと撮りやすくなったり、夏にはクールなサングラスをかけられるようになったことだった。

ところがそのあと視力がさらに悪くなって、2年前に新しい眼鏡を作った時に僕の眼鏡なしの生活は終りになった。 それが最近になってまたまたその眼鏡が合わなくなってしまったのである。 まあ2年も経てば視力が変わるのもしょうがないだろう、とそこでしかたなく眼医者へ行って検査をしてもらうと…

視力そのものはそれほど変わっていない。 しかし白内障が右の目に見られる、と言われた。
まだそれほど進んではいないけど、日常生活で不便を感じるなら手術をするべきだという。 手術と聞いて僕は一瞬ギョッとしてしまった。 つい今まで考えても見なかったことだったから。 眼鏡のレンズを変えれば済むことだと簡単に考えていた僕は、手術と聞いて眼球に針を突き刺したりメスで切ったりするのを想像して身震いしてしまう。 (僕は生まれつき医者とか病院が大嫌い、というより常に激しい恐怖感を抱いていた)。
医者の説明によれば、眼球内のレンズを人造のレンズと取り替えるわけだけど、15分ほどで終わってしまうわりと簡単な手術で、今では誰でもやっている。 麻酔をかけるからなにも感じなく知らないうちに終わってるよ。 失敗の危険度はほとんど無い。 それに両眼じゃなくて悪い方の右眼だけだし、まあ、考えておいてください。 などと気軽に言っていた。

家に帰ってからあれこれ考え続けたけど、どうも踏ん切りがつかなかった。 危険度はほとんど無い、ということはいくらかはあるということじゃないか。 もし失敗して眼が潰れてしまったら、そのあとの一生を黒い海賊眼帯をかけて生きることになるのか。 あの今は亡くなった女房のおやじさんみたいに。
でも片目が潰れてもまだもう一つの眼があるからいいか? とも考えたりする。 でも片目じゃ車の運転もしにくいだろうし、テニスだってもうできなくなるだろう。 などといくら考えてもどうしても踏ん切りがつかなかった。

そんなある日、郊外に住むある知人を訪ねた。
この夫婦は数年前に新築の家を建てて市内のアパートから引っ越して行った。 その時、新築祝いとして僕の写真を額装して贈ったことがある。 ヨーロッパに何度も旅行しているこの夫婦は、僕のヴェネツィアの運河の写真をことさら喜んでくれて、新築の家の玄関の壁に架けていた。
今回の訪問でその写真を改めて見た時に僕は思わずギョッとしてしまう。
そこにはピンボケでなんともあやふやなヴェネツィアの運河が写っていたからである。(上の写真)
もちろん、ボケているのは写真じゃなくて自分の眼だとは十分に承知しながら、その瞬間、僕は決心をしていた。 こりゃあもう眼を手術するしかない、と。
そうすればこの知人の家にも元の鮮明なヴェネツィアが戻ってくるにちがいない。

誰だ?
ボケている写真の方がいい、なんていうやつは?




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3月23日が手術日となっている。





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自殺の季節

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わが家の兵馬俑(へいばよう)


僕のまわりでつい最近、二人の男が相次いで自殺するというショッキングな事件が起きた。
この二人はもちろんお互いにはまったく無関係で、その一人など息子の親友の父親というだけで、僕にはつい会う機会さえなかった人だ。 しかし息子にとってみればその人はただの知り合い以上の人だったようで、彼の家庭でいっしょにテレビのスポーツ観戦をしたり、親友と3人で何度か釣りに行ったりしたそうだから、その衝撃度は僕とは比べものにならなかったに違いない。
退役した警察官だという60代のその人は、家族が外出したあとの自宅の地下室で拳銃で頭を撃ち抜いた。

自殺したもう一人はスティーブだった。
スティーブは妻の弟がまだ大学生だった若い頃からの仲間の一人だったから、僕は彼をもう30年以上も知っているということになる。 僕が初めて妻の実家を訪れた時に、僕らはまだ結婚前で妻の実家には泊めてもらえず、当時スティーブと義弟がシェアしていたアパートに2週間ほど世話になったのが始まりだった。 電子機器の製作所に勤める彼は結婚して子供もあり、50代になった今では部長に昇進していた。 彼の顔をしょっちゅう見るというわけではなかったけれど、僕らの一族の集まりにはよく出席する常連の一人だった。
そういえば、つい数か月前のマイケル(僕の甥)の大学卒業のパーティでたまたま彼と隣り合わせの席に座り、久しぶりにあの頃の昔話をして懐かしんだばかりだったのに。
そのスティーブは先日、自宅のガラージで首を吊って死んでしまった。

話を聞くとこの二人とも鬱病気味で、医者に薬を処方してもらっていたそうだけど、それほど強度の病状ではなく、家族の人達にさえその深刻な苦悩は伝わっていなかったらしい。
現に、数か月前にスティーブと親しく話した時にも、そんな危険な気配などまったく感じられす、飲んで笑って一晩をいっしょに過ごした。 その彼の、誰にも見せない心の奥深くは大きく病んでいたのかもしれない。


世界保険機関(WHO) の資料によると世界中で1年間に約80万人が自殺している。 40秒ごとにどこかで誰かが自殺するそうだ。
自殺の理由は 「精神病」 というのが圧倒的にダントツで多く、その下に 「愛情問題」 「最近の危機感」 「健康問題」 の順で続き、それからずっと低いところに 「仕事上の問題」 「財政困難」 があるようだ。 自殺は男性が圧倒的に多く、女性の3 ‐ 4倍にもなるという。

理由が何であるにしろ、自分の命を絶つほど切羽詰った状態になったことが無い自分のような人間は、ラッキーだと言えるだろう。 僕の人生はもちろん順風満帆というようなものではなく、むしろそれからはずっと程遠く、山あり谷ありの繰り返しだったから、時にはギリギリまで追いつめられたことも数知れずあった。 それでも本気で自殺を思ったことはなかったような気がする。 もっとも、 「もう死んでもいいや」 と絶望の状態に陥ったことはあったけれど、その時でさえ自殺を考えたことはなかった。
「何とかなるさ」 という楽観というか諦観というか、そんな気持ちが常に自分の中にあって、そのおかげで周りの人たちに迷惑をかけながらも、いつのまにか難局を切り抜けていた。

精神的に病んでいない限り、自分で自分の命を絶つには恐ろしいほどの勇気と決断力が必要なのだと思う。
根が怠け者の僕はその勇気も決断力も持ちあわせなかったことを、ありがたいと感謝している。 第一、自分が突然いなくなってしまったら、それを悲しむ人がいると思えばそれだけでも自殺を思いとどまる理由になる。 いつか必ずまちがいなく死はやって来るのだから、それをことさら早めるのはもったいなさすぎる。 どんなことがあっても生きてさえいれば、「いつか良いことあるさ」 と思いたい。



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太郎の手袋

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雪の森へ


雪になるという予報が当たった。
今朝起き抜けに外を見るとそこには白の世界があった。 ふだん見慣れている風景が驚くほど新鮮に目に映る。 今年の冬に初めて雪らしい雪が降ったのだ。 よし、となんとなく浮き浮きして出かける準備をする。 雪の森へ。
アウディにはしばらく前にスノータイヤを履かせたばかりだし、自分もジーンズの下にスパッツを履いて(これは日本からM子さんが送ってくれたもの) 上はフラノのシャツにセーターの重ね着、その上にさらにスウェードのコートを着て長いマフラーを首に巻きつける。 何しろ外は零下15度の寒さなのだ。 ただし、靴だけはふだんのスリッポン。 というのは足を窮屈に締めつけるあのブーツというやつに僕は先天的な拒否感があって、昔から雪の中でもブーツを履いたことがない。 あとはボルサリーノの帽子をかぶり最後に手袋をすれば、雪の森へ入る準備は整ってしまう。

手袋といえば僕は何組かもっている。 厚手の革製のものや太い毛糸で編まれたやつ、それにエスキモーが着用するようなごついミトンなどを長年使ってきたけれど、そのどれにもいつも不便を感じたのは、カメラを操作するたびにいちいち脱がなければならなかったからだ。 1度など、ラップシンガーが着用するような指先だけ外にでるようなやつを試してみたことがあるが、これはたしかにカメラの操作には便利とはいえ、氷点下の寒さの中では指先が凍ってしまい使い物にならなかった。
それが、2年ほど前から愛用しているこの手袋はすごく気に入って、今ではもうこれ以外をまったく使わなくなってしまっていた。 それは濃い茶色の、薄くて驚くほどしなやかな上質の皮でできていて、内側はウールのライニングが付いている。 手にはめると5本の指先にピッタリと密着するので、そのままでカメラ操作だけではなく大抵のことはなんでもできるのは。便利この上もない。

この手袋は息子の太郎のものだったのを、ある時、家に忘れて行ったので試しに手にはめてみたら、びっくりするくらい具合が良いのですっかり惚れ込んでしまい、そのまま略奪してしまった。 代わりに僕のものを使えと言ってみたのに、もともと手袋を好きではないらしい太郎はそれもしなかった。 それでも僕がかなりの罪悪感を感じたのは、実はその高価な手袋は太郎のガールフレンドからの贈り物だったからである。
その女の子と太郎は、2年ぐらいつき合ったあと別れてしまった。
心を込めた贈り物を父親に譲ってしまうような無神経な男だから、というのが原因というわけでもなさそうだけれど、一方的に息子から手袋を取り上げてしまった父親の僕としては、なんとなく後味の悪い話だった。 だから今でもこの手袋を手に取る時によく彼女のことを思い出す。
かんじんの息子の方は過去の恋人のことなんかもう忘れてしまったかのように、最近になって新しく知り合った女の子とのデートに忙しい。



手套を脱ぐ手ふと 休(や)む 何やらむ こころかすめし思ひ出のあり
石川啄木



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申年の女

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2016年 元旦のマヤ



クリスマスから正月にかけてマヤが帰って来た。
こうして家に帰って来たのは2012年のクリスマスが最後だったのを思い出すと、3年ぶりの帰省ということになる。
それなのに、すごく久しぶりという気があまりしないのは、去年の6月にマヤの住むピッツバーグまで家族全員、といっても女房と息子の3人で押しかけて数日を過ごしたから、顔を見るのは半年ぶりというわけだし、ふだん電話やメール、フェイスブックなどでしょっちゅう家族間の交信があるせいだろう。

そのマヤが、申年の今年は年女だと気がついた。
9月には36歳だと? なんとまあ年増になったものだと驚く。
世間並みに言えば結婚して子供があっても不思議ではない歳なのに、いまだに独身なのである。 まわりに男友達を多数に持ちながら、そしてその中にはマヤを本気で好きな男性が幾人かいるらしいのに、恋愛や結婚の気配がまったく無いようだった。 その理由を本人に訊ねたことはない。 彼女が過去に経験した2つの恋愛がそれぞれ別の理由で悲劇的な結果に終り、それで彼女が大きく傷ついたことは、父親の僕にはよくわかっていたから。
今ではマヤは、多忙な仕事に没頭しながら、多くの友達に囲まれた私生活を楽しんでいるらしく、その幸せそうな顔を見るのは、父親としては嬉しいことだった。



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4歳の誕生日のマヤ





ところでそのマヤは酒に強い。
元旦の夜、家族で食卓を囲みながら話が酒のことになった。
お父さんが酒が好きなのは理由があるんだよ。 と僕が昔話を持ちだす。
あれは確か僕が10歳のころ、一族郎党がそろって団体を組んで汽車に乗り、隣町の松江市で催されていた大きな博覧会を見物に行ったことがあった。 その時どこかのレストランで昼食をとった時に大人たちが酒を飲み始めた。 僕の臨席にいた父が、飲んでいた生ビールのジョッキを僕の前に押しやると、「一口だけ飲んでみるか?」 と言った。 うん、と答えて僕は重いジョッキを両手で持ち上げて、ゴクリと喉を鳴らして飲み込んでみた。 そして、世の中にこれほど美味なものが存在するものなのか、と子供心に驚嘆してしまったのである。

この話を聞いたマヤが
「そういえば、お父さんは私が6つの時にスコッチを私に飲ませたのよ」 ととんでもない事を言い出した。
母親が外出して僕とマヤとが2人きりでいた時に、僕が飲んでいたスコッチのオンザロックを、アップルジュースだよ、と言ってマヤに少しだけ飲ませたという。 それがあまりにも美味しかったのでもっと飲みたかったのに、僕はダメダメと言って飲ませなかったそうだ。 その代わり、それ以後は同じことが数回起こったという。
僕にはまったく記憶に残っていない話だったが、そばで聴いていた女房が 「あなたまあ、なんて事を…」 と非難の眼でこちらを睨んで絶句している。
僕は僕で30年ぶりに明るみに出た秘密に、なんという父親だったのだろうと我ながら呆れていた。
そうか、自分の父親が僕にしたことを、知らないでそのまま自分の子供にやっってたんだ。 僕はそのままアルコール依存症になってしまったのに、マヤはそうはならなかったのはありがたい。 どうか酒にも男にも強い女になってくれよ、とこれは言葉に出さない心のなかで父親の僕が念じた2016年元旦の祈願だった。


マヤに起こったいくつかの不幸せなことは、ずっと以前、『娘への手紙』 に書かれている。



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静かな夜のこと

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Dayton, Ohio 2015


クリスマスまであと10日というのに、今日は思いがけず暖かい日となった。
昼間は青空を白い雲が悠々と流れて気温は18℃ まで上がった。 こういうのを小春日和というのだろう。 日が落ちてあたりが暗くなった頃、2階の窓から外を眺めると、近所の家々にはクリスマスのイルミネーションが灯されて、中にロウソクを点けた紙袋がきれいに道沿いに並んでいた。

この平穏無事な光景を写真に撮りながら、僕の頭の中にはコルトレーンのソプラノサックスが流れ続けていた。 そして撮った写真を改めて見てみると、平和なクリスマス風景というよりも、何となくこの世の終焉という不気味さを感じてしまったのは、先ほど見た悪いニュースのせいかもしれない。 ダマスカスではロシアの爆撃で50人が死にその中には子供もいたというし、フィリピンの沿岸では前代未聞の台風が吹き荒れているという。 それだけじゃない。 世界一安全な国と思われていたアメリカにも、テロリストの魔手がまちがいなく伸びていることがはっきりとわかってしまった。

僕が20代のころ、東京で聴いたコルトレーンの同じバラードは甘い恋の歌だったというのに、今の僕の耳にはこの曲は、世界の不幸を弔うレクイエム(鎮魂歌) のように響いた。


John Coltrane
"Say it"





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パリは燃えているか

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モンパルナスの秋
Montparnasse, Paris


秋がどんどん深まっていく。
その鎮静な空気の中で、僕の心は嫌でも内へ内へと向かっているようだった。
庭の芝生にぎっしりと堆積した乾いた落ち葉が、冷たい風に吹かれてつむじを巻きながら空に舞うのを眺めながら、「生きる」 ことの無意味さをつい思ってしまう。
こんなんじゃだめだ。 何とかしなければ…

そんな中でパリのテロ事件が起こった。
これは良くなかった。
そうでなくても、濁った沼にはまり込んでしまったような厭世的な気分になっていたのが、さらに深みへと引っ張り込まれたようだった。
このところ、無気力に毎日を過ごしている僕だった。 友人へのメールの返事は書かれることはなく、ブログの更新は忘れられ、締め切りを過ぎた仕事はそのまま放って置かれた。 そして1日中テレビの前でパリからの実況を見ているうちに時が過ぎていく。
こんなんじゃだめだ。 何とかしなければ…


テロ集団 ISIS がアメリカに送りつけてきたビデオを見ると、彼らが次の標的としているのはワシントンDC かニューヨークのタイムズ・スクエアだと明確に予告している。 それがただのハッタリかどうかはもちろん誰にもわからないが、これまでは比較的小規模の集団と見られて、9/11の時のアルカイダほどの高度にシステム化された戦闘力は無いと思われてきた ISIS が、実はそれほど幼稚な集団ではないということが、前回のロシア航空機の爆破で証明されてしまった。
ISIS が発行する英語版のプロパガンダ雑誌には、あのロシア航空機の爆破に使われたものと同じだと自称する爆弾が写真入りで紹介されていた。 ただの小さなソーダ缶である。 旅客機の機内には持ち込めないとしてもラゲッジの中にこっそり忍ばせるのは、これほど簡単なことはないだろう。
ソーダ缶に穴を開けて中の飲料を捨てたあとに、高性能の爆薬を注入して、それに電池式の小さな起爆装置を着けたものと思われる。 時限装置を着けるほどのハイテックなものではない、とアメリカ当局は見ているようだ。 自爆を覚悟で旅行者に紛れ込んだ ISIS のテロ分子が、時を見て乗客席でリモートコントロールのスイッチをオンにするだけ。 それだけで224人の命が一瞬にして空中に散った。

そしてパリの多発テロの数日後、フランスの捜索団がパリ郊外のアパートに ISIS のアジトを突きとめて乗り込んだ。
数人を検挙したが、爆弾チョッキを着た女性の要員はそばにいた一人を巻き添えにして自爆している。 もしこの検挙がなければパリ市内のどこかで次の爆破計画が遂行されたのは間違いない。


こんなふうに次から次へと起こる一連の事件に、ISIS の次のターゲットになっているアメリカ国民の危機感はいやでも高まっているようだ。 彼らにとって幸いなのはアメリカは巨大国とはいえ一応は島国であることだろう。 陸続きのヨーロッパと違って簡単に入国は難しい。 だからこそ、シリアからの何十万人という難民を受け入れるかどうかで、アメリカの議会は大騒ぎになっている。 もともと難民の寄せ集めだったと言っていいアメリカだから、他国からの犠牲者に対しては十分な同情を持つ彼らだけど、そのためにアメリカ自体が危機に晒されるとなると話は違ってくる。 そう、難民にまぎれ込んだ ISIS の侵入を恐れているのだ。


これを書いている今も、パリからのニュースは刻一刻と入って来る。
パリ郊外のアジトで自爆した女性のそばで死んだ男は、ヨーロッパ中の国が捜索していた、今回のパリ多発テロのリーダーだったことが、たった今判明した。 そしてフランス当局が公表した録音には、自爆直前にその女性が 「彼は私のボーイフレンドじゃない」 と叫んだ悲壮な声が鮮明に残されていた。


世界戦争が始まろうとしている。
そんな気がしてならない。





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秋が深まる

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最後の2輪


秋がどんどん深まっていく。
今頃からハロウィーンにかけての数週間が、1年を通してもっとも気持ちの良い季節かもしれないと思う。 そのあとにはあの恐ろしい冬が、手ぐすねひいて待っている。 この時期には、家に居ても冷暖房を完全に切って窓を開け放したままにしておけるから、外の樹々を風がさわさわとわたる音が聞こえて、その風が室内に吹き込んで壁のカレンダーをめくっている。 外に出ても陽射しがずっと弱くなり、ひんやりとした空気が澄んでいるのを感じる。

毎日の犬の散歩にはいつの間にか幾つかのルートが決まっていて、どれを選ぶかはその日の気分しだいということになる。
自分の気分だけではなく犬の気分も尊重することにしているから、家を出たあと犬が引っ張る方へと歩き始めることも多い。
そんな幾つかのルートの一つに、このヒマワリ畑があった。
ヒマワリの花も数本だけならあちこちの庭に見ることができ、わが家の庭にも大輪のヒマワリが毎年1本だけぽつんと咲く。 ところが、この屋敷の庭には、長い柵に沿って数100本のヒマワリが群れをなして並んでいて、それが一斉に花を咲かせている光景は、この近所ではちょっとした見ものだった。

この日、久しぶりにこのルートを通ってみると、あの見事に咲き乱れていたヒマワリの群がすべて枯れて、黒ずんだ茎だけになっている光景を見てがっかりしてしまった。
そうか、夏はもう終わったんだ。 と今更のように季節の移りを感じながら、荒れ野を思わせる枯れた植物群に沿って歩いている時に、この2輪の花が目に留まった。 仲間がすでに逝ってしまったのを知りながらそれでも可憐に、懸命に、咲き誇っている風情に胸を打たれた。
僕はそのまま家に取って返すとカメラを持ちだして来たのは言うまでもない。


その2日後に同じ場所へ帰ってみると…
あの2輪のヒマワリは跡形もなく消えていた。





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日本の味を求めて

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銀座 『天龍』 の餃子


日本に帰るたびにいつも 「何が食べたい?」 と聞いてくれる友人たち。
僕の答えはだいたいいつも決まっていた。
寿司とか刺し身ではない。 豚カツとかうな丼とか天ぷらでもない。 焼き肉でもなければラーメンでもない。
餃子だった。

アメリカでも和食の料理屋へ行けばほとんどのものが食べられるし、日本の食材も豊富に手に入るようになった最近だが、それでも、これはやっぱり日本じゃなくちゃ、というものが幾つかある。 その筆頭が僕には餃子ということになる。 アメリカのチャイニーズ・レストランなら Potsticker (ポットスティッカー) という名でメニューには必ず載っているものなのに、アメリカに何十年暮らしながら美味しい餃子を食べたという記憶がまったく無い。

数年前に、といってももう7年も前になるが、友人のSが連れて行ってくれた銀座の 『天龍』 の餃子は、食道楽の彼が自信を持って薦めるだけあって、一度食べたら病みつきになってしまった。 それ以後は東京に行くたびにここに来る。 ニンニクのまったく入らないユニークな餃子だから、食べた後の口臭を気にしないですむ、ということでランチの時間など周囲のオフィスから人がどっとやって来る。 以前はそんなことはなかったのに、すっかり有名になってしまった天龍へ行く時は、開店の11時よりも前に到着しないと、長い長い行列に並ぶことになる。 (僕は生まれつき何が嫌いといって、行列に並ぶことほど嫌いなことはない。 それがレストランであれ、空港の入国審査であれ、美術館の入場であれ)。

最後に天龍へ行った時に同行した女性が、先日メールをくれて、今日は久しぶりに天龍へ行きました、と書いてきた。
そしてその時に携帯電話で撮った写真まで添えてある。 これは僕にとっては残酷な仕打ちといえた。
「早く日本へ帰っていらっしゃい。」 と書く代わりに、1枚の写真に彼女の気持ちを込めたわけだろうが、その効果は十分以上にあったようだった。

そんなことがあって急に餃子が食べたくなった。 といってもそのへんのレストランに行く気はしない。 行っても失望させられることはわかっているからだ。
仕方がないから自分で作っちゃおうと、餃子の皮や合い挽きのひき肉やキャベツなどを買ってきた。
餃子を作るのはもちろん今回が初めてではない。 前に何度もやっている。
それがどうしてもうまくいかないのである。

どうしてもうまくいかないのは、その焼き方なのだった。
調べてみると焼き方に関しては2つの説があるようだ。
まず最初に餃子を焼き、そのあと少量の水を加えて蒸すという方法と、最初から水を入れて火にかけ、水が無くなったあとそのままさらに焼く、というのと。 僕はその両方を試してみたけれどやっぱりうまくいかない。 皮が水っぽくブヨブヨになってしまい、どうしてもパリっと仕上がらないのである。 水の量や火力を変えてみたけどだめだった。

どなたかコツを伝授してくれないかなあ。




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過ぎていく夏

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ダウンタウン
Dayton, Ohio



子供たちの学校が始まったらしい。 車を転がして町を行くと、学校の近くで 《速度 20マイル (32キロ)》 の標識が点滅していて、長い夏休みを終えた子供たちがぞろぞろと校舎へ吸い込まれて行くのが見えた。
アメリカの学校の夏休みは、日本と違って2か月という長さで、6月の半ばに夏休みに入るから、8月の半ばにはもう大抵の学校では新学期が始まることになる。 この頃にはあの暑さも急激に衰えていき、今朝など気温は18度を示して涼しい風が吹いていた。 秋の気配がすぐそこまで来ている。

最近の僕は体の調子がすごくいい。
数年前までは次から次へとあちこちがおかしくなって、これが老化というものか? この痛みや不安や不愉快さと、これから死ぬまで付きあっていくのか? とうんざりしたものだった。 それがどう訳か、この数年ほどはそんなものが消えてしまい、身体がシャキッとしてきた、という感覚が内部にあって、前よりも少し若返ったような気さえしている。

少し若返ったと感じるのは、身体だけではなくて気分もまたそうだった。
体内にエネルギーが溢れているような感じがあり、しかも常にピリピリとした一種の覚醒感のようなものがある。 少し前までは何をやっても 「あ~、面倒くさい」 と投げやりな気持ちが強く、すぐに疲れてそそくさと終えてしまったり途中で投げ出した事も多かった。 それが最近は一つ一つを丹念に最後までできるようになった。 以前と違って身体を使うことを嫌がらないばかりか、進んで探している自分を自覚するのは嬉しいことだった。

なぜそうなったのか、自分にもわからない。
食餌を変えたりエクササイズに専念した訳でもないし、生活自体は何も変わっていない。 相変わらず肉を食い(量は減ったけど)、酒を飲み(量は増えた)、煙草を吸う。 運動といえばテニスと自転車乗りしかしていないのはもう何年も同じだ。
ただ、生活が前よりも規則正しくなったのは確かで、毎日同じ時間に寝て、同じ時間に起きて、同じことをする。 変化が無くつまらなくなった日常生活は、好むと好まざるとにかかわらずいつの間にか規則正しくなってしまった。 そして睡眠時間はたっぷり8時間とらないと調子が悪い、という発見もした。

精神的に健康だからそれが肉体にも影響するのか、それとも身体の調子が良いからそれで気分まで健全になるのか?
これは僕にはわからない。
少し若返ったと感じるのは、これも老化への一段階に過ぎないのかも、と思ったりする。


今週末には親子3人と犬1匹とでフロリダへ行くことになっている。
車で片道14時間の距離をノンストップで走る予定だが、息子と運転を交代すること無しにどこまで行けるか、見極めてみたい。





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ブログとは何か?

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抱擁
Isle-sur-la-Sorgue, France



つい先日、ある人のブログを読んでいて 「ブログとは何か?」 をつくづく考えさせられることがあった。
そのブログに出会ったのは、もう7,8年前のこと、今は親しくしているあるブログ仲間のサイトのリンクから、偶然に覗いたのが始まりで、それ以来時々思い出したように訪問をするのを習慣としていた。
訪問してもコメントを残したことは一度もない。 自分と共有できるものがほとんど無いそのブログには、コメントの書きようがなかったからである。 にも関わらずそのブログへ帰って行くのは、僕の知らない世界を覗かせてもらえるという好奇心がそうさせたのだと思う。

そのブログの著者(仮に B さんと呼ぼう)は東京在住の写真家らしい。 らしい、というのは写真の他にデザインとかバラの栽培とかもプロとしてやっているようで、その上しょっちゅう旅行をしている人だった。 彼のブログに毎回載せられる膨大な数の写真は僕自身とは異質のスタイルのものだし、瀟洒なビストロや高価な料亭での料理の記事も、居酒屋派、大衆食堂派の僕には夢のような世界だった。 バラの栽培や数匹の愛猫達の記事も僕との接点は無い。 にも関わらず、僕などおそらく経験することは無いだろう世界を、洗練されたセンスと軽妙な文章で綴る彼のブログは、いつも僕を楽しませてくれたと云わなければならない。

その B さんが先日、ブログ閉鎖を宣言した。
その理由を読んだ時、僕はちょっと驚いてしまった。 彼が言うには、10年前にブログを始めた時から決心していたのは、記事にメッセージ(コメント)が入らなかったら、その時はブログを止めるということだった。 そして今回それが起こったらしい。

書いた記事にコメントがなかったことが、それほど彼を傷つけたという事実に僕は驚いた。 僕のブログでは記事にコメントが何も付かないのはよくあることだし、それでちょっとがっかりすることはあっても、あまり気にならない。 たとえ誰からもコメントが来なくても、毎日平均して100人内外の読者が僕のブログへ来てくれていることを知っているからである。 
B さんはまた、彼のブログへのアクセス数は増える一方なのににコメントの数が増えないなら、ブログなど止めてその少数の人達にメールか何かで記事を送ればいい、と書いている。 それなら (僕のように) 記事を読むだけの大多数の読者の存在は彼にとっては何なのだろう、と思ってしまった。
コメントをしたくとも常連達の馴れた文章に圧倒されてしまう人もいるだろうし、僕のように、もし書けばネガティブな内容になってしまうとすると、つい遠慮してしまう人もいるだろう。 読むだけで十分に毎日の活力を得ている人も多いに違いない。 そういう不特定多数の読者、影も形も見えない訪問者は、B さんにとっては存在していないのだ。 



「ブログとは何か?」 と言う問いに B さんは、「ブログ=自慢」 だと断定する。
ここも僕とは大きく違うようだ。 僕は自慢のつもりでブログの記事や写真を載せたことは一度もない。 「過ぎたこと」 は僕が生きている間に書いておかねばならないこと、僕がこう生きたという証明であり、ある意味では懺悔録のようなものだし、「過ぎて行くこと」 は残り少ない日々を書き留めておく日記のようなものだと思っている。 どちらも書かずにはいられないから書くわけで、それを読んでくれる人の有る無しは僕にはまったく二次的なものなのだ。 ましてや、僕の写真を見たり文章を読んだりして、感激や共感を感じてくれる人がいるかいないかは、僕には推測すらできないことだ。 ほんの僅かの人達がコメントという形でそれを表現してくれるのはありがたく、その人と心が通じたことは何よりも嬉しい。

僕のブログは、たとえば 「クイズ」 のような遊びも、誰よりも本人の自分が楽しんでいるし、賞品に差し上げる写真が世界中へばらまかれて愛されて、僕がいなくなった後も世に残るのはすばらしいことだ。 これは写真を自慢しているのではない。 アーチストとしての使命だと僕は思っている。 「写真のレシピ」 シリーズだって人々に教えるというよりも、あれを書くことで写真に対する自分の姿勢を改めて見直すことができるからだった。

そして、僕のサロンへ集まってくださる人達との交友は実に楽しく、そして僕にとっては掛替えのないものだ。
あまりにも長い年月を異国で過ごしながら、いつもいつも夢見ている日本。 その日本へ還ることのできる唯一の場所がここだからである。 サロンの人数が増えればいいなあ、と思うことはあるとしても、そのためにブログの書き方や写真の選択が変わることはありえない。


B さんのブログは、(予想したように) 閉鎖を宣言したとたんに 「止めないで~」 とコメントが山のように来ているようだ。
そういえば数年前にも、彼が一度ブログ閉鎖を宣言したことを思い出す。 その時にも同じような現象が起こった。 あの時はほとんど間を置かないで彼のブログが再開したのはそのせいかどうかはわからないが、今回も彼は、今すぐに閉めるというわけではないと書いている。 僕自身も、このまま続けて欲しいと思う中の一人であるのは確かだ。 彼の世界は僕にとっては十分に魅力的なのである。 B さんは、閉鎖宣言を読者の反応を引き出すための小道具として使うような人ではない、と信じたい。
ただ、もし僕なら、閉めると宣言したらその場で閉めるにちがいない。 それが読者に対する最小限の誠実だと思う。


実はそういう僕自身、ブログを止めようと決心したことがある。
それほど以前のことではない。 実際に閉鎖宣言の記事を書いて、クリックひとつで公開できる所まで行っていた。
でもクリックしなかった。
サロンの人達と別れるのは実に辛いことだし、来る日も来る日も僕のブログを訪ねてくれる100人の人達にも申し訳ない。
しかし何よりも、僕にはまだ書かなければならないことが残っている。 それが無くなった時にブログを閉めよう。 その時のために、前に書いた閉鎖の記事はそのまま取ってある。





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アメリカの女たち

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僕の住む町に 'Antique Village' と呼ばれる骨董品のモールがある。
「オハイオ州で最大の」 と宣伝の謳い文句にあるように、たしかにでかい。 フットボールのフィールドほど広い平屋建ての建物の中に、300以上のショップが整然と並んでいる。 どのブースにも店主の姿はなく、運営はビレッジが取り仕切っているようだ。 ここで売られるのは、金持ちの収集家が目を光らせるような高価なものはなくて、昔から人の生活に直接関わってきた日常品がほとんどだったが、一応すべて骨董品である。 といってもここはアメリカだから、ヨーロッパや日本の骨董屋のように100年とか200年とか経ったものがごろごろあるわけではなく、多くは1930年代から1980年代までのものだった。

あれこれ手に取ってみると驚くほど安く、誰にでも気軽に買えそうな値段が付けられている。
店主がいないので、巷(ちまた)の蚤の市のように掛けあいをして値段をさらに安くさせるという、あの楽しみはここにはないが、そのかわり多くのブースが期間を決めて安売りをしていた。 全品15%引き、20%引きというのが多かった。

僕が時々ここを訪れるのは、何か買う目的があって来るというよりも写真を撮りに来ることのほうが多い。 そう、店内はいっさい撮影自由なのだ。 といっても、つい何かを買わずにはいられないことも今まで何度かあった。

たとえばある時、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の複製画がちゃんとした額に入れられて25ドルで置かれていた。 この絵は数年前にパリの蚤の市で見つけて買った小さな複製が、我が家のリビングルームの壁にかかっている。 いくら払ったのかは全く覚えていないが、この時ビレッジで見たものはそれより二回りも大きく、うちにあるのよりもずっと質の高い複製だった。 マホガニーの額を裏返してみるとそこに、誰かから誰かへの贈りものとされた年代が1935年とあるのがうっすらと読めた。
迷うことなく買ってしまったのだけれど、さらに嬉しかったのは、たまたま安売りの週だったので20%引きになった。

ここにはアメリカの古き良き時代の匂いがぷんぷんと漂っていた。 しかもいつ来ても店内に流れているのは、ビートルズやローリング・ストーンズやママス&パパスなど、60年代の音楽だというのも嬉しい。
そんなノスタルジーの世界で骨董品の山の中をさまいながら、片隅にひっそりと隠れているアメリカの女たちを探し出す。
彼女たちの帽子や髪形や衣装や赤い唇に、木石と化した僕でさえつい心ときめいてしまうのを、誰が責められるだろう?


ところで上の写真だけど、彼女を見た時にまたまたデジャヴが起こった。 優しい笑顔や全体の雰囲気などが知っている人とぴったり重なる。 そして彼女は日本人だった。
今はどうしてるかなあ.....








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処刑の日

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わが家の松の樹


裏庭の松の樹が伐られることになった。
年齢不詳のその松はいつからそこに立っていたのか知らないが、二階建てのわが家の屋根よりもはるかに高いところまで伸びていて、十数年前にこの家へ引っ越してきて以来、われわれ家族が毎日見慣れてきた松の樹だった。
ただ、その生えている場所が悪かった。 隣家のドライブウェイとうちの裏庭を仕切る板塀の、すぐ内側なのだ。 そのため、上空で大きく広げた枝々の西側の半分は隣家のテリトリーに突き出しているので、隣人が所有する数台の車はガラージに入れる以外はその枝の下に駐車することになる。 おびただしい数の松葉がその上に振りかかるし、何よりも困るのは車に落ちる松脂(まつやに) だった。 これは僕自身も経験があるが、車にこびりついた松脂は取るのがほとんど不可能だった。 下手をすると車のペイントまで剥がれてしまう。

この松の樹に対する隣家の苦情はわれわれも知っていて、費用はむこうで持つから伐らせてもらえないか、という話がすでに何度か出ていたが、女房の猛烈な反対に会ってそのままになっていた。 この隣家というのは、僕が部屋の窓から毎日眺めている、あの枝垂れ桜のある家で、しょっっちゅう親しく行き来をするような間ではないにしろ、顔を合わせる度に雑談をしたり、庭の手入れの器具を借りたり、休暇の時期にはお互いに留守の家に目を光らせたりして、友好的な関係が保たれている。 彼らは一方的に要求を主張をするような人達でも、話の分からない人達でもなかった。 僕の女房が動物や草木に対して、人並み以上の愛着を持つ人だということも、彼らはよく承知していた。

最近になってまたその話が持ち上がった。
隣家の娘さんの仕事が変わって実家に戻って来ることになり、それで車の数が更に増えるので、どうしても松の樹の下に駐車しないわけにはいかない、と言う。 路上駐車ならできなくはないけどそれでは不便だ、というのも僕にはよく理解ができた。
これはもう決着を付ける時期だと思った。 隣人の長年の苦情には十分な理由がある、と僕は判断したからだ。 そこで、例によってにべもなく頭から拒否する女房を説き伏せるという、調停者の役割を僕が受け持つことになった。 そこで、隣家側の枝だけを部分的に伐り取るという折衷案を出してみた。 まず女房が反対した。 そんな片輪(かたわ)になった可哀想な樹なんか見たくない、と言う。 隣人も、それだと町の美観を損ねるということで、市の方から何か言われるかもしれない、と これも反対した。 その結果、樹を根本から切ってしまう、という結論に女房はしぶしぶ同意しないわけにはいかなくなったのである。 反対を見越して提案した僕の折衷案がうまく 効を奏したようだった。







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処刑の朝


松の樹の処刑が決定した日から、女房の機嫌が目に見えて悪くなる。
調停者としては、なだめようとあれこれ試みた。
「悪いことばかりじゃないよ。 あの樹の下にある屋根の樋(とい) にはいつも松葉がぎっしりと落ちただろう。 ガラージの樋は俺か太郎がハシゴに登っていつも掃除してたけど、二階の屋根の方は職人を雇わなければできなかった。 その必要がなくなるんだ。 それに昼間でも暗かったキッチンと二階の俺の部屋が、ずっと明るくなるのを考えてごらん」。
などと言ってみたが、そんな慰めの言葉も彼女の耳には入らなかったようだ。

伐採の日の前夜、女房は電話で妹とそのことを話しながら号泣した。 そんな彼女を僕は見たことがなかった。 父親が亡くなった時も、愛犬のベラが死んだ時も、静かに涙を流しただけの彼女が、樹が一本切られることにこれだけ激昂(げきこう)するとは驚きだった。 ワインを少し飲み過ぎたことも手伝ったようだが…

当日になると、職人たちが来る前に、女房はパイシーを連れて朝早くから母親のいる施設へ出かけて行った。
すべてが終わったら電話して、と言い残して。




やがてやって来た死刑執行チームは、4人の男と1人の女からなりたっていた。
隊長らしい屈強な男が松の樹のはるか上まで登ると、恐れげもなく枝の上に立って、長い竿の先に付いたチェーンソーを操った。 松の枝には、電柱から近所の家々へと数本の電線が抜けていたが、その電線を破損すること無しにどうやって枝を落とすのかと、僕は興味があった。 見ていると、枝を切る前にその枝にロープを掛けて幹に巻きつける。 切られた枝が落ちて電線に触れる直前の地点にぶら下がるようになっていた。 地面に立つ男たちがこれも長い竿を操って、その枝を電線に触れないように注意深く地面まで下ろしていた。 地上に横たわった大きな枝はその場で1か所に集められる。 そこへバックで入ってきた巨大なトラックの粉砕機の中へ枝が投げ込まれた。 そのあと地面に撒き散ったおびただしい小枝や松葉を、熊手と箒で掃除するのは女性の役目だった。

数時間後には、あの豊かな枝を広げていた松の樹はその原型をどんどん失っていって、最後にトーテムポールのように一本の太い幹だけが空中に突き出していた。 幹には枝々の大小の切り口が痛々しく無惨に付けられていたが、その幹も1メートルくらいの間隔でどんどんぶつ切りにされていき、最後に短い切り株だけが地面に残された。
処刑が完了したのだ。








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手向け











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古い靴よ、さようなら

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老兵消ゆるべし



よくもまあ、こんなになるまで履き古したものだと、われながらあきれる。
このプリンスのテニスシューズは、購入したのがいつだったのか、完全に忘れてしまっている。 4年まえ? 6年前? もっと前だったのかもしれない。 フロリダの休暇や日本の郷里への帰国にも、この靴とラケットは必ずスーツケースに入っていた。
冬にはほとんど使うことはなく、シーズンの最中でも週に1,2度しか履かない靴だからこれだけ長く保(も)ったのだろう。 改めて手にとって見ると、あちこちが破けているだけではなく、詰め物がはみ出したり、靴底のトレッドはほとんど摩滅していた。 テニスをやる度に息子に、いつになったら靴を替えるの、とせっつかれながらもずっと無視してきたのは、気に入ったものは最後まで使う、という持ち前の自分の性格に違いない。 (車も衣服も食器も器具も女房も、全部そうだとは必ずしも言いきれないけれど)。 それに運動靴の場合は他の靴のように見てくれを気にかける必要はない、というのも今まで買い換えなかった理由の一つだった。

それが、とうとう新しいテニスシューズを買うことになったのは、このところテニスを数回やった時に、ヒップの左側に痛みを感じ始めるようになったのが起因となった。 ボールを打つ瞬間に大きく腰をひねるわけだが、その時は何も感じないのに、全力でボールをめがけてダッシュする時に、左の腰にほんの少しだけ痛みがある。 その痛みはテニスのあとまでも残っていて、とくに階段を登る時などにかなり酷く、自分の動作が目に見えて鈍くなっているのに気がついた。 これはまずい。 アスピリン系の薬を飲むと数分で痛みは感じなくなったが、それでは完全治療にはならない。 スポーツシューズのスペシャリストである息子が、それ見ろと云わんばかりに、とにかく靴を替えるところから始めろとアドバイスしてくれたので、それで新しい靴を買うことになったのである。

息子が連れて行ってくれたスポーツシューズの専門店で、あれこれさんざん試したあと、ようやくニューバランスというブランドの、ハードコート用テニスシューズに決めた。 レジスターで代金を払いながら、「よし、これであと10年はだいじょうぶだな」 と云いながら息子の顔を見ると、彼は苦笑しながら何かを云いたそうにしていたが、何も云わなかった。
「そんなに長生きするつもりかよ」 と云いたかったのかもしれない。





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続・小さな贅沢

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リンダの店から道を挟んだ向かいには、大きな病院がある。
その病院に入院している患者を見舞う人たちが、よくリンダの店を訪れる。 殺風景な病室に、何か彩りを添えるものを置いてやりたいという家族や友人の思いやりなのだろう。 花もいいが、ありきたりだし、しかも長くは保たないのにくらべれば、小さなアンティークならいつまでもそばに置けて、見るたびにそれをくれた人を思い出すにちがいない。

しかしこの店にやってくる人たちの多くは、ある特定なものだけを探すコレクターだ。 それが人形であったり、動物であったり、動物でも犬猫とか蛙とか兎とか馬とかふくろうとか、それも陶器製でなければならないとか、ガラス細工に限るとか、なかなかうるさい。 レノックスの食器を集める人はイタリアのガラスには目が行かないし、浮世絵のコレクターは中国の山水画には興味が無い、というぐあい。

インターネットでの商売がこれだけ普及してきて、台所のゴミ入れから自動車まで、なんでも家に居ながらにして注文できる中で、骨董品だけはやはり店に身体を運んで、自分で実際に見たり手に触れたり、値段を交渉したり、昔ながらの方法で買われているようだ。

僕が手に入れたマテニーグラス (写真前面) には20ドルの札が付いていたが、それを16ドルに値切ったわけじゃない。
リンダが VIP の割引をしてくれたのだった。 それにしても背後の巨大なグラス。 ボトルの大きさと比べてほしい。 これはたぶん、水草を入れたりして花瓶の役目をするんだと思うけど、どうだろう? それともこの大グラスは、ビールでもなみなみと入れて飲むのかしらん。




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